僕は何をやりたいんだ?

 僕は何故か、駅前の繁華街の喫茶店でコーヒーを飲まされていた。


「おい……、一緒に帰るというのは、帰宅するという意味ではないのか?」


 佐藤が笑いながら言い訳する。


「だーって、上凪くんの家聞いたら、私達の誰とも方向が違うんだもんー」

「ねえねえ、上凪くんって部活入ってないみたいだけど、家で何してるの?」


 黒埼がテーブルの上に身を乗り出して訊いた。


「そうだな……、戦闘訓練と学習、夕食の調理と片づけ、着用した衣類が溜まっていれば洗濯、あと最近はハッキングプログラムの開発を行っている」


 四人の動きが停止した。


「……どうした?」


 佐藤が手で口元を押さえ、肩を震わせる。


「ぷっ……くくくっ、あははは!」


 それに釣られ、残りの三人も笑いだした。


「何かおかしな事でも言ったか?」

「あはは……、上凪くんて何者? 軍人? 『戦闘訓練』とかって超ウケるんだけどー」

「どういうことなの? 何かの競技の練習? よければ詳しく聞きたいなー」


 ヤドリギから口止めされている訳ではないが、その目的が何なのか、僕にだって分かっていない。


「……そう命じられて、やっているだけだ。それが何の為なのかは、まだ分からない」


 再び女達の動きが止まった。が、先程とは雰囲気が違うようだ。

 最初に大沢が口を開いた。


「え……、どういうこと? 誰かに命令されてやってるってこと?」

「そうだ」

「そ、それ、警察とかに言ったほうがいいんじゃない? 誰に命令されてるの?」


 鈴木が険しい表情をしながら聞いた。


「ヤドリ……いや、後見人の指示だ」

「コウケンニン? なにそれ?」


 一様に呆けた表情をした四人に、単語の意味を説明してやる。


「え、じゃあ上凪くん……」

「……親が、いないってこと?」

「そうだ」


 四人がお互いに顔を見合わせた。


「そ、そうだったんだ。なんか、ごめんね」


 そういえば内川もそうだったが、親がいないと知ると何故人間は謝るのだろうか。お前達が僕の親を殺した訳でもないだろうに。


「じゃあその、コウケンニンって人に、『戦闘訓練』をさせられてるの?」

「そう言っただろう」

「なんかそれおかしいよ。ヤバい人なんじゃない?」

「上凪くんは、どう思ってるの? 辛い? やめたい?」


 佐藤にそう聞かれた。僕がどう思っているか?

 自分自身の意思……。そんなもの、考えた事もなかった。


「分からない……。僕の使命の為、やっているだけだ」

「使命って! 上凪くんの人生は上凪くんのものだよ!」

「そうだよ、自分のやりたいように生きればいいんだよ」


 僕のやりたいように生きる? 僕は何をやりたいんだ?


 僕のやりたい事……。ヤドリギを越える事? いや、それはヤドリギの意思だ。

 分からない。自分が何をしたいのか。だが、そんなもの分からなくとも、与えられた使命があればいいのではないのか。それが、生きる意味になるのではないのか。

 なら、この胸の虚しさのようなものは何なのだ。内川に抱きしめられた時に感じた満ち足りた感覚が、全て抜け落ちたような、寒さのようなものを感じる。


「なあ……、お前たちは、何の為に生きているんだ?」


 視線を落として言ったが、四人の人間が微かに驚いたような表情をしたのが見えた。


「え……、何のために、生きてるんだろう」

「うーん」

「そんなの考えたことないよねぇ」

「だよねぇ」


 四人は唸りながら考えているようだった。


「内川は、人は幸せになるために生きていると言った。お前たちも、そうなのか?」

「え、内川って、ユキちゃん先生のこと? あはは、それユキちゃんっぽいなぁ」

「そうだねー。幸せになるため、か。確かにそうかもしれない」

「うんうん、私も、幸せになるために生きてるかも」


 やはりそうなのか。人の生きる意味は、『幸せ』にあるのか?

 内川は、僕も人間だと言った。僕も、幸せになるために生きているんだろうか。幸せになるために、生きるべきなんだろうか。


 では、僕にとっての幸せとは何だ? 今日屋上で感じたあの穏やかな暖かさだろうか。

 コミュニケーションは『幸せ』の基盤。内川はそうも言った。だが、目の前の人間達と会話を交わしていても、あの時のような満たされた感覚は得られない。


「……お前達に、少し頼みたい事があるんだが……」


 僕がそう言うと、女達はみな嬉しそうな表情になった。


「なになに? 何でも言って!」

「上凪くんの頼みなら何でも聞いちゃう!」


 テーブルの上に身を乗り出した佐藤の目を見て言う。


「僕を抱きしめてくれないか」


 またしても、四人の動きが止まった。女達の顔が何故か赤くなっていく。


「……どうした。熱でもあるのか?」

「な、な、な、なにそれ、急に何言ってるの上凪くん!」

「何か変だったか?」


 こいつらに抱きしめられることでも、あの時のような幸福を感じられるのか、試してみたかったのだが。


「だ、だって、そんなの、こんな街中では恥ずかしくて出来ないよ」

「そうなのか? じゃあどこでするものなんだ?」

「そ、それは……自分の部屋とかぁ……あと、ホテル、とか?」


 女達は顔を見合わせ、「だよね」とか「うーん」「じゃないかなぁ」などと言いあっている。


「そうか。じゃあ、行くか、ホテルに」


 女達がまた固まった。よく動きの止まる人間達だ。僕の部屋ではここから距離があるから、より近くにある可能性が高い選択を提案したのだが。


「もうー、上凪くん私達をからかって遊んでない?」

「……そんなつもりはないが?」

「本気なら余計厄介だよ! 大胆すぎるって上凪くん!」


 僕の隣に座る大沢が、赤い顔で笑いながら僕を叩いた。


「だ、だいたいそういうのって、恋人同士とかがするものだよ」


 鈴木がコーヒーカップを持ちながら俯きがちにそう言うと、佐藤がテーブルに立てた手に顎を乗せ、ニヤニヤしながら同意した。


「そーだよー、私達そんな軽い女じゃないからねー」


 抱きしめるというのは、恋人同士の行動なのか。「軽い女」というのはどういう意味だろうか。話の流れからして物理的な軽さの事ではなさそうだが。

 じゃあ、あの時の内川の行動は、何だったのか。恋人同士……ではない事は明らかだ。そのような関係になるような経緯が記憶にない。それに、僕がやろうとした時は、拒絶された……。それが意味するものは……

 また、心臓に電撃のような痛みが走る。この痛みが、意味するものは……


「あれ……落ち込んじゃった?」

「え……そんなに抱きしめてほしいのかな……」

「ま、まあ、上凪くんが私達の中から誰か一人を選ぶっていうなら、話は別だけどね……」

「う、うん……そうだね」

「えー、それちょっと怖いなー。選ばれなかったらショックー!」

「じゃあとりあえず、みんなで上凪くんと連絡先交換しよっか」

「あ、それいいねー」


 考え事をしている間に、何か勝手に話が進んでいるようだ。


「上凪くん、ライン交換しよっ」

「ライン? 何だそれは」

「あれー、上凪くんもしかしてスマホ持ってないの?」


 スマホ……。大沢が右手で、じゃらじゃらと飾りのついたピンク色の物体を振った。携帯電話の事か。


「持っていない。必要無いと判断した」

「えー、それ超コドクじゃなーい?」

「まあ上凪くんらしいっちゃらしいね」

「しょうがない、電話番号だけ書いて渡そう」


 そう言って、佐藤は鞄からノートを取り出して一枚破り、名前と数字の羅列を記入した。それを他の三人に渡し、全員が記入していく。


「じゃ、これ。コウケンニンって人のこととか、何か相談したいこととかあったら連絡してね。この中の誰かを恋人に選ぶ気になった時もね!」


 その後、カラオケに行こうと誘われたが乗り気になれなかったので、佐藤達と別れて帰ることにした。もうコミュニケーションは十分だろうし、期待したような幸福は、得られなかったし、何より、胸の苦しさが、拭い取れなかった。

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