第12話:『水槽』『廊下』『歪み』

 僕の中学校では、職員室前の廊下に水槽が置いてある。水槽の中ではメダカが元気に泳ぎ回っている。その数は九匹。いつも九匹だった。


 中学生という多感な時期の子供たちに、小さな生き物は実に相性が良い。それも職員室前の廊下とあっては、彼らの度胸試しのだしに使われることは必然と言っても差し支えなかった。


『教師に見つからないように、メダカを素手で捕まえてくる』


 成功すれば、得られるのは仲間からの賞賛と笑い。馬鹿げているけれど、中学生というのは徒党さえ組めばそんな残酷な遊びにも平気で手を染めてしまえるのだ。

 水槽に手を突っ込み、ばしゃばしゃと散々にかき回しては、メダカを追い込んで乱暴に握りしめる。水から引き揚げて、ひとしきり周りにアピールすると、あとは水槽にリリース。またもキャッチ、アピール、リリース――。やがて、弱ったメダカが死んで水面に浮かび漂うようになる。飽きるまで、あるいは教師に見つかるまで、その遊びは終わらない。


 ここまでは必然。

 不思議なことはここからだ。


 翌日になれば、決まって死んだものと同じ数だけの新しいメダカが、水槽に仲間入りしているのだ。誰もその瞬間を見たことはないけれど、気づけばそうなっている。だから、泳ぎ回る数は九匹。いつも九匹だった。


 そんなメダカたちに、束の間の平穏な日々が訪れる。というのも、先日メダカを弄んでいた中学生たちが、しばらく鳴りを潜めるようになるからだ。特に少数の者に関しては、まるで性格の歪みの一切が消えたみたいに、不気味なほどに静かな態度へ一変する。理由は定かではない。その人数は、決まって殺したメダカの数に等しい。


 平穏の日々はすぐに終わって、別のグループがまたも度胸試しをやる。その度にメダカが殺されて、新入りがどこからかやってくる。中学生たちの心の裡で、何かが切り替わる。心変わりした彼らは、決まって死んだ魚のような目をしていた。



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感想・振り返り


 僕、って誰やねん。

 ホラーテイストで書くならより綿密な描写が必要。

 貴志祐介(「新世界より」「クリムゾンの迷宮」など)の真に迫ったホラーの文章は非常に怖いので改めて読み込むべき。


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