第10話:『焚き火』『トナカイ』『早食い競争』


 記憶に残るクリスマスの思い出と言えば、ひとつだけ。

 

 俺が高校二年生の十二月二十五日は、ちょうど二学期の最終日だった。午前中に終業式とHRがあり、午後からは自由な時間で、俺の場合は陸上部の部活に出る予定があった。

 昼食を食べ終えた俺は、部活が始まる前にふと一人で図書室に向かった。今思い返せば不思議な話だ。俺はあまり本を読む人間ではないのに。

 

 不思議なことは重なる。


 図書室前の廊下で、同じ部に所属する後輩の女の子と行き会った。彼女も一人きりのようだった。


「こんにちはです、先輩」


 別段仲の良い間柄ではなかったが、彼女はそう言って元気な挨拶をくれた。要するに、良い子なのだ。

 それから、なんとなく一緒に図書室を回ることになった。二人とも目ぼしい本を見つけることはできなかった。何も持たずに横並びの椅子に座って、とりとめのない話をした。きっかけは思い出せないが、気づけばトナカイの話題になっていた。


「トナカイって、実在するんですか!?」

 後輩が本気で驚いていた。実はかなり天然なのかもしれない。

「まさかサンタは信じてないよな?」

「そんなのわかってますよ! だからこそトナカイだって架空の動物……ですよね?」

「いや、トナカイはいるんだって」

「し、信じませんっ」

 嘘のわけがない。

 何を思ったか、俺は言葉を紡いでいた。

「じゃあ、動物園に行って確かめてみるか。――今から」

 なんてベタな誘い文句だろう。恥ずかしい。けれど、

「行きたいです。――今から!」

 彼女の瞳が焚き火の爆ぜたみたいに輝いたから、報われたと思えた。



 俺たちはその足で本当に動物園へ向かった。


「部活はサボりになったな」

「いいんです、いいんです」


 寒くても、二人して笑うと暖かい気がした。わけのわからないほど楽しかった。

 かくして、動物園に到着した。ライオンにもゾウにも目をくれず歩み続けた先に、果たしてトナカイはいた。胴体の毛皮が茶色く、首回りは白い。長く伸びた角はまるで空がひび割れたみたいで、とても立派だった。


「ほ、本物です!」

「だから言ったろ」

「先輩、御見逸れしました」

「それは大袈裟だ」


 ちょうど飼育員さんが餌のカゴを置くところだった。三頭のトナカイが集まってきて、まるで早食い競争でもしているみたいに一心に餌を食み始めた。


「サンタさんを乗せるために栄養補給してます」

「なんだ、やっぱり信じてるんだな」

「もう! 冗談に決まってるじゃないですか!」


 頬を膨らませて怒る様子が可愛らしかった。

 しばらくトナカイたちの姿を眺めていると、やがて後輩が口を開いた。


「ありがとうございます。おかげで、嫌なこと忘れられました」


 嫌なこと。

 当時の陸上部では、ある色恋沙汰が発端となって女子部員たちの間で対立が起こっていた。彼女は渦中の人物ではないものの、特定のグループに肩入れすることができなかったために、孤立して、まるで加害者みたいに腫物扱いされていた。


「だから、先輩は私を誘ってくれたんですよね」

「逆だろう。お前が変な誘いに乗っただけだよ」

「素直じゃないですね、先輩」


 今度は彼女のほうが上に立ったみたいに勝ち誇った笑みを浮かべていた。



 たぶん彼女の言うことが正しくて、俺は素直ではなかったのだ。

 トナカイを十分に見尽くしたあとは、普通に動物園を巡った。そして夜暗くならないうちに解散となった。

 あれから彼女との仲が縮まったかというと、そうでもない。

 学校や部活では相変わらず挨拶と雑談を交わすくらいの関係だった。二人だけで遊ぼうと誘うことはもうなかった。陸上部内での彼女の立場が回復してからは、なおのこと誘う機会を失ったように思えた。

 

 社会人になった今も、あのクリスマスの日を思い出す。




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感想・振り返り


 オチが弱いというか。上手い締め方がわからなくて力尽きたというか。

 ベタっぽい恋愛展開を書いたが、文字数のわりに非常に時間がかかった。たぶん自分に向いていないのだと思う。

 ちなみにトナカイのいる動物園を調べると、意外と少ないことがわかる。しかしもちろん実在する動物である。

 リアルにトナカイの実在を疑っていたといえば伊藤かな恵である。

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