[3-40] キャンプがファイアー
ケーニス帝国青軍がゲーゼンフォール大森林に侵入するに当たっては、少しずつ地脈を切り取っていく方法を採った。
森に侵入した帝国青軍は、大勢の術師を動員して儀式魔法を行いつつ、妨害対策に二重三重の警戒網を構築した。
儀式と並行して、地脈に繋がった森の木々にダメージを与えることで修復と防御に力を使わせて、局地的にでも抵抗力を低下させ、そして地脈を奪い去る。
戦闘が発生すれば、まず何よりエルフたちの側に被害を出す事を最優先した。帝国青軍の兵にはいくらでも代わりが居るが、エルフたちの戦力は既に底を突きかけていたのだから。
そこに奇策は無い。ただ、圧倒的な物量によって相手の対処能力を超えるという、覇王の戦だ。
帝国が奪い取った領域の木々は適度に伐採され、物理的にも帝国軍の戦いやすい領域に変わっていった。
そうして手に入った木材も、帝国軍は当然余さず利用した。
地脈のコントロールを得た以上、地の元素魔法と木材を組み合わせて、即席の砦を作り上げることも容易いのだ。
エルフたちが長年力を注いで育ててきた木々は強靱で魔力をよく通す。砦の材料にするのが勿体ないほどの逸材だった。
森を奪っては木を伐り、その材木で陣地を構築する。帝国軍は既に大森林内に八つの陣地を築き、そのネットワークを盤石な足場としていた。
盤石だった。その夜までは。
「火攻めだと……!? エルフが!?」
森の外縁部に近い第二砦を預かる青軍第十一隊長・炎螢は、砦の居室で眠っていたところ、敵襲を告げる鐘にたたき起こされた。
四角く切り抜かれた窓から外を見れば、星を焦がして夜が燃えていた。
この砦は地の魔法によって変形させた土と石によって森から切り出した木材を繋いで築き、さらに簡易城壁で野営地を囲っている。
その全てに火が点いていた。
いや、陣地だけではない。その外の森さえも燃えている。陣地を囲うように周囲の木々が燃えていた。
燃え上がる木々の向こうから、流星のように炎の尾を引いて火矢が飛ぶ。
それは城壁の歩廊に突き刺さり、燃え移る。
エルフはとにかく火を嫌う。エルフの森の木々が簡単に燃えるはずもないのだが、それでも彼らは火によって森が傷つくことを厭い、極めて限られた領域で調理のために使うことがあるだけだった。
しかしそんなエルフたちが火矢を扱い、青軍に奪われた領域と言えど、自分たちの森に火を放った。
否。
エルフではないかも知れない。
つい先日、森に響いた声。様変わりしたエルフの森……
奴が関わっている。北より訪れし災厄"怨獄の薔薇姫"が。
「……周りの火はただの虚仮威しだ。どうせこちらに燃え移るような場所に木は生えていない。火矢を防ぐことに集中させろ。手の空いている者は消火に当たらせよ」
「既にそのように」
ゴツゴツして黒光りする鎧を着た紫髪の少女が……もとい、人間の基準で言えば少女に見える女が応じる。
報告のため部屋に飛び込んできた、炎螢の副官・空鉄だ。ドワーフの女は人間の基準からすれば12,3歳くらいの外見で成長を止め、死ぬまで姿が変わらない。しかし空鉄はドワーフにとっても既に中年と言える80歳過ぎで、歴戦の武人であった。
「……ですが、問題が」
常には鉄面皮である空鉄が、焦燥を滲ませていた。
「何だ?」
「
周囲を火に囲まれたことで、火の元素魔法を使うための下地が整えられて、そして……」
◇
熱気を孕む乾いた風が、夜の森を吹き抜ける。
炎のような毛並みを持つ巨獣が、ひび割れた大地を踏みしめ疾駆する。
見ようによっては愛嬌のある、ブルドッグのような顔をした魔物は、全く可愛らしくない絶望的な威力の炎を吐き散らし、陣地の外周の壁を満遍なく火で炙っていく。
削り尖らせた材木を束ねた壁は、エルフの森の木材を魔化によって強化したもの。そう簡単に燃えるはずはないものだが、しかし、容易く燃え上がる。
外壁部分だけではなく、所々に組まれた見張りの櫓も、その奥の砦も燃えている。
直接的に火を付けたのは次々と撃ち込まれる火矢だが、その火矢が簡単に火を付けて炎上したのは理由があった。
王冠のような金属質の角を手掛かりに、巨獣の頭に座す者あり。
鮮血の薔薇で穢した白いドレスを着ている……骸骨。
リッチの姿を取るルネだ。
呪いの魔杖を振りかざすルネを、フォージが運んで駆ける。
その足下は乾いてひび割れ、草は茶色く枯れていく。
≪
一定領域に存在する『水』の力を物理的・魔法的に徹底して弱める魔法。長く影響を受ければ人すら乾き死ぬ。
この魔法の支配下において木材など着火剤同然だ。
緑豊かな森の中は水の力が優勢な領域で、火の元素魔法は十全に力を発揮できない。しかしルネは森に火を放ち、それをテコに≪
いくらルネが強くても、一撃で陣地を破壊するには至らない。
だとしたら支援に回った方がより効果的にダメージを与えられると考えた結果がこの作戦だった。
◇
「……つまり、この火攻めは、防ぎきれぬと……?」
思わず炎螢は狭い窓にかぶりつく。
明らかに先程よりも火勢が強い。空鉄と話している僅かな時間にも状態は悪化していた。
ほぼ木造の陣地を作る以上、火攻めの危険は想定していなかったわけではない。
壁などは簡易的にでも魔化を施し、要所要所を地脈に接続して防御を固めた。
必要充分の対策だったはずだが、しかし、それを破られた。森に火を付けて魔法を強化するというえげつないやり口と、儀式級の広域魔法によって。
「とにかく救援要請だ! 森の外に控える第六隊がこちらに到着するまで持ちこたえれば…………」
炎螢が振り向いたとき、そこに空鉄は居なかった。
代わりに、空鉄の服と鎧を着た見知らぬ少女が立っていた。
片手には何故か手鏡、もう片方の手には三日月のような形をした歪な刃物を携えて。身長は空鉄よりも少し高い。
「……空鉄?」
「その人、もう居ないよ」
「何者だ、貴様……」
「ダメだよ隊長さん。砦に入れる商人はもっと選ばなきゃ。
エルフとアンデッド以外、ろくに調べてなかったでしょ」
少なくとも彼女が曲者であるという事だけは理解した。
炎螢はケーニス帝国軍隊格闘術『竜手』の構えを取った。
竜手は刃物を持った相手と渡り合うことも想定した格闘術だ。しかし炎螢は青軍で通り一遍の教育を受けただけ。並みの相手には負けないつもりだが、決して得意分野ではなかった。
炎螢が得意とする武器は、自らの身の丈すら超える大槍だ。それは今、ここに無い。あったところで、屋内で振り回すには大きすぎる得物だが。
寝起きの炎螢は鎧すら着ていない。
怪しい少女から目を逸らさぬまま、竜手の構えでジリジリと後ずさった炎螢は、己の背後、枕元に立てかけていた剣に手を伸ばす。
しかし炎螢の手は空を切った。
「もしかして探してるの、これ?」
「なっ……」
少女が背中に隠していた剣を、ひょいと炎螢の前に示す。
それは確かにさっきまでベッドの枕元に立てかけてあったはずの炎螢の剣だ。少なくとも炎螢が目を覚ましたときにはそこにあったはずなのに。
少女は炎螢の剣を背後に投げ捨てる。
同時、炎螢は引き絞られた弓のように拳を構えて、少女に躍りかかった。
「フゥッ!」
気合いと共に放たれた一撃は少女の身体を完全に捉えた。
はずだった。
血飛沫が舞う。
焼けるような痛み。
「なん、で……いつの間…………」
「『大槍の炎螢』、討ち取ったり。丸腰のとこゴメンネ」
目の前に居たはずの少女が、背後から炎螢の首を深々と引き裂いていた。
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