[3-39] 深夜放送に浪漫の嵐

『わたしはシエル=テイラ亡国第一王女、並びに国王代理、ルネ・"薔薇の如きローズィ"・ルヴィア・シエル=テイラです。

 ゲーゼンフォール大森林に住まう、全てのエルフたちに問います』


 大森林の木々を震わせ、その声は月夜に響き渡った。

 その名はもはや森中のエルフたちが知っている。


『あなた方は悔しくないのですか? 怒り、恨む気持ちは無いのですか?

 全てを奪い去ろうとしている帝国が憎くはないのですか?』


 切々と訴える少女の声。滲むのは疑問でなく、やるせない思いと悔しさだった。

 帝国の強さを知って打ちひしがれるエルフたちの無力感を蹴散らすような、一直線な幼い純情……少なくともそう聞こえるもの。


 悔しさを噛みしめて拳を握りしめる者が、森中にあった。

 親を奪われた子が居た。子を奪われた親が居た。

 夫を奪われた妻が居た。妻を奪われた夫が居た。

 隣人を失った者が。友人を失った者が。恋人を失った者が。


『叫びなさい。泣きなさい。その声をわたしが聞きましょう。

 弓を取り、わたしに続きなさい。その矢は天をも射貫きましょう』


 少女の声音はいつしか、支配者の冷厳さと、変革者の熱気を帯びていた。

 その言葉が悪質な扇動でしか無かったとしても、彼女はその時、エルフたちの側に居た。


『座して死を待つのであれば構いません。そうでない者は立ち上がりなさい。

 今こそ復讐の時。傲慢と暴虐を、血によって贖わせる時』


 彼女はただ、運命の袋小路に追い詰められた者らに道を示すのみ。

 それは救いの手ではない。しかし、だとしても、無為に無力に怒りを抱えて死んでいく結末だけは避けられる。


『……我らを捨てた世界に、悪の鉄槌を!!』


 拳を突き上げて叫んだ者は、決して少なくなかった。


 * * *


 真白く輝く獣骨の剣がリエラミレスを取り囲んでいた。


 不吉な暗緑色の髪に、怪しげな金目。

 褐色の肌に纏う黒革の鎧は、編み上げ構造になった体側や胸部の上半分などを大胆に露出している。

 リエラミレスのその姿は一目でそれと分かるダークエルフのそれだ。


「そんな、まさか……隊長……」

「何故、ダークエルフなどに……!」

「守るためだ」


 かつて彼女の部下であった戦士たちが、リエラミレスを包囲していた。

 あり得ないことに、絶望的なことに、ダークエルフとなって帰ってきたリエラミレスを出迎えた。

 警戒しつつ、困惑しつつ、敵意を向けながらも、信じられないし信じたくないというのが全員の表情にありありと浮かんでいた。


「この森を。皆を。守るため……

 こうするしかなかった……」

「しかし!」


 己に向けられた獣骨の剣をリエラミレスは掴む。

 刃は震えるだけだった。つ、と赤い血が一筋、リエラミレスの手を伝って肘から滴った。


「聞け。

 お前たちは何が起こったのか知らなければならない。

 私たちは父祖の御意志と思い込み、何かとんでもないものに従っていたのかも知れないんだ……」


 自らの唇を重たく感じながらもリエラミレスは語る。


 自分に向けられる剣など恐ろしくなかった。

 もっと恐ろしいものを……信じていたものを根底から揺るがされる恐怖を、既にリエラミレスは知っていたから。


 * * *


 人の背丈ほどもある大釜が森の広場に置かれ、煮立っていた。


 大釜は平たい石の上に置かれていた。魔石が並べられ、魔法陣が描かれた石は、自ら熱を放っている。

 火の使用を厳格に管理しているエルフたちのやり方に合わせた形だ。


 人でも煮込めそうな大釜を巨大な木匙でかき混ぜるのは、大釜に相応しい魔女だ。

 鐔広の三角帽子を被った魔女はほぼ下着同然の姿だったが、色とりどりの有機的な染みが付いたエプロンで豊満な肉体を隠していた。


 興味深げに大釜を覗き込んでいるのは蜂蜜色の長い髪を二つ結びにして三角巾でまとめた少女。……少なくとも外見的には少女である存在。

 カントリー調のワンピースの上に鮮やかな赤白チェックのエプロンを着けていた。


 何らかの惑わしの魔法が作用しており、目を離した瞬間に二人の姿は記憶の中で曖昧になってしまう。

 ただ、この場において二人が極めて異質な存在であることは明らかだった。


「本当にこれで料理になるの?」

「なるんだなー、これが」


 鞄の中からエヴェリスが取りだしてトレイシーに見せたのは、掌サイズの焼き菓子みたいな物体だった。エヴェリスはそれを大釜に放り込んではかき混ぜて溶かす。


「異世界の技術、『フリーズドライ』。

 調理済みのスープを凍らせて、真空状態で水分を飛ばせばこーんな風に固形にできる。

 これを煮え湯の中に放り込めば、魔法抜きで元に戻るって寸法よ。

 問題は保存に気を配らないとすぐシケて駄目になっちゃうって事だけど、亜空間に突っ込むなら問題無いからね」


 エヴェリスの持っている鞄は当然のように収納用マジックアイテムであり、外見からは想像も付かない量の物を亜空間に収納できる代物だ。

 亜空間は基本的に外界と遮断された空間となっており、濡れた物を放り込みでもしない限り湿気が侵入することも無い。


「やー、エドフェルト侯爵領攻略の時に買い占めた食料が役に立って良かったわー」

「なんか出発前にスケルトンの皆さんが総出で厨房回してると思ったら……」


 トレイシーは感心しているのか呆れているのか微妙な様子だった。


 エヴェリスはこれまでに地球からの転生者と何度か会ったことがある。

 都合良く進んだ技術を持っている者はそうそう居ないが、概要だけ聞き取った技術を、自らの科学知識と天啓の如き閃きによってエヴェリスはいくつか形にしていた。

 『フリーズドライ』もその一つ。理論だけは作っていたものだが、大量の魔力と食品をどれだけ実験に使ってもいい状況になったので試したのだった。


 意味も無くエプロンを着けた割烹スケルトンたちが、折りたたみのテーブルを置いて椀を並べていく。

 そのうち一匹から椀を受け取り、エヴェリスは巨大木匙で掬った汁をそこに流し込んだ。


「てなわけで。みんなこれ要る?」


 沈黙が流れた。


 ここは森の中にいくつもある住宅地の一つ。

 生きた蔦草やよくしなる木などを絡め合わせた住居が並んでいる。

 森の南西側に位置するこの場所には、帝国の侵攻によって住処を失ったエルフたちが逃げ込んでおり、住宅の数に比して明らかにエルフの数が多い。


 突然現れて調理を始めた胡乱な集団を、エルフたちは遠巻きに観察していた。

 弓を手にする者もあったが、射かける蛮勇は持ち合わせて居ない様子。そもそも弓以外に武装していないところを見ると部族の戦士ではない様子だ。

 ただ単にわけも分からず戦々恐々と観察していたらしいエルフたちは、呆気にとられているのか警戒しているのか、いずれにせよエヴェリスの呼びかけには応えなかった。


 エヴェリスはちょっとむくれて、八つ当たりのように大釜を掻き回す。


「つれないねー。ホレホレ、どんどん美味しそうな匂いが広がってくよー」

「ねえ、みんな食べないならボクが最初に貰ってもいい?」

「もちろん、どうぞ」


 椀を受け取ったトレイシーは、まず香りを確かめてから、ほころびかけた春先の蕾のような唇を椀に付けた。

 そして、一口。


「美味し――っ!!

 どうなってるのこれ、普通のスープと一緒じゃん!」


 トレイシーは大げさなくらいに驚き喜び、次の一口を匙で掬って口に運ぶ。


「豚肉の脂と適度な塩気が身に染みるぅ。薬草で風味と辛みをちょっと付けてる感じかな」

「あんまり際どい味にしちゃうとみんな食べられないだろうから、エルフにも馴染みがあるであろうハーブベースの味付けのやつを出したのよ。

 ……そうだ、豆類も追加しとこうか。皆さん炭水化物が足りてなさそうな顔してるし」


 匂い袋みたいなものをエヴェリスが取り出して大釜の上でひっくり返すと、その中からはフリーズドライ状態の豆が滝のように流れ出た。

 釜が掻き回されると、豆に汁が染みていく。


「こ、こら、やめとけよ!」

「危ないぞ!」


 やつれた様子をしたエルフの少年が一人、ふらふらと大釜の方に向かってきていた。


 環視するエルフたちの中には止めようと声を上げる者もあった。

 だが、彼の親兄弟らしきエルフの姿は無い。

 少年は躊躇うように何度か振り返ったが、結局最後まで立ち止まることはなかった。


「やあやあ、20年後が楽しみな少年よ。この食事は人道支援だから遠慮無く召し上がりたまえ」


 手を伸ばせた届く距離までやってきた少年に、エヴェリスは笑いかけて湯気の立つスープの椀を差し出した。

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