[3-38] お前、僕に釣られてみる?
ゲーゼンフォール大森林の中心部、邪気に染まった大霊樹の麓の広場にて。
ぬめる鮮血のような色合いに輝く魔法陣が多重に展開され、足下からぼんやりと妖しげな光を投げかけていた。
ローブを着た骸骨……リッチたちが怖気の走るような声でコーラスのように呪文を唱え、一定のタイミングで錫杖を地面について打ち鳴らす。
魔法陣の中央では息も絶え絶えのリエラミレスがどうにか座って、新月に祈りを捧げていた。
魂を闇に染め、ダークエルフとする儀式だ。
それをルネは、果実のように大霊樹にへばり付いた蔓草の部屋から見下ろしていた。
こちらも邪気を受けて黒ずみ、引き裂かれたように半壊し、部屋を構成する蔓からは血のように赤い液体が滴っている。
「一ヶ月……? わたしたち、そんなに長い間あそこに居たの!?
主観的には半日くらいだったのに」
慇懃無礼という言葉に手足を付けたような老紳士グールが状況報告を始めるなり、ルネは仰天することになった。
「待って、それじゃ戦いはどうなったの。帝国軍が来るところだった筈よね?
そこから一ヶ月経ったということは……」
「順を追ってご説明致しましょう。
まず、姫様とミアランゼが消失したことを受け、我々は展開していた戦力を即座に引き上げました。
相手が
跪くアラスターは顔をしかめる。
とち狂ったエルフ側が何かを仕掛けてきたと考えてもいい状況だ。だとしたらもはや帝国軍と戦うどころではなく森そのものから一時退却するより他に無いだろう。
「……エルフ共は惨敗しました。いえ、戦闘にすらならなかったと言うべきでしょうか。
この一線が致命的敗北となり、帝国側はゲーゼンフォール大森林内に本格的に侵入。エルフ共は森の中に侵入してきた敵兵を、木々の合間に潜みゲリラ的に攻撃するのが精一杯でしたが、それすら十全とは言えず……
姫様を封じることに力を使っていたため、森の力が弱まっており、エルフ共はさらなる苦戦を強いられた模様です」
アラスターの淡々とした説明を聞いて、エルフたちに対してざまぁみろと思うよりもルネは頭を抱えたくなった。
推測混じりの大まかな経緯は既にリエラミレスから聞き出しているが、ルネを捕らえた異界……この森の地脈に宿る『父祖』の意志は、機械的と言えるほど目的に対して一直線で、それ以外の全てを放棄している。
「それ以後、エルフ共は決死の遅滞戦闘を仕掛けておりました。
敵の侵攻を遅らせる戦闘は、本来は時間によって状況が改善する見込みがあってこそ行われるものなのですが……」
「その辺はリエラミレスから聞いたわ。
『"怨獄の薔薇姫"を倒して力を奪う、そのために一ヶ月必要だ』ってお告げがあったんだって」
「なんと」
「それは結局大嘘で、エルフの『父祖』はわたしさえ倒せばOKで、後は森がどうなっても良かったみたいだけどね」
「エルフ共は皆、
「……この森の地脈、大神に関わる何かが起こっているとは思うんだけど何なのかしら……
わたしを捕まえたり倒そうとしたのが新月の夜というのも謎だわ。普通はこちらの力が強まるタイミングとして避けるべきものなのに。
そこはエヴェリスの分析待ちね」
ルネは、黒く染まった森を見回す。
あまり高い場所には居ないので、森を見渡すことはできず、邪気に染まって枝葉の全てが黒く歪んだ木々ばかり見える。視界全てが真っ黒に見えるほどだ。
こうして地脈を穢した今、この場所に居ることは別に危険ではないはずだが、それまではとんでもない地雷が埋まっていたことになる。
あの光の人影も、神聖魔法ですらない『エルフ独特の何か』だと思っていたが……
「話を遮ってしまったわね。続きを」
「はっ。
……エルフ共が地脈を掌握しているからこそ、この森は強い。
帝国側もそれは理解しており、儀式によって森の地脈を徐々に切り取って、大霊樹を中心とした
既に森全体の28%程が帝国軍の勢力下にあります。まともに抵抗もできない状況で一ヶ月もったのは、帝国軍が兵の損耗を抑え、堅実に歩を進める方針だったためでもありましょう」
アラスターはゲーゼンフォール大森林と、周囲三国を含んだ地図を黒ずんだ蔦床の上に広げる。
森の領域が右上から順に塗りつぶされていた。帝国が制圧した領域だ。
突出して中心部に向かっているという風には見えず、外縁部から舐め溶かすようにして侵略を進めているのが見て取れる地図だった。
「一ヶ月経った割に、意外と進んでないわね。
攻撃を強行しないで、時間を掛けても地脈を奪いながら進んでるってこと……」
「28%ったって、加速度的に抵抗しにくくなるわけだからねー。
四割取られたら後は一週間で終わるよ。エルフだけで戦うならだけど」
ほぼ下着姿の魔女が、巨大な蔓の道を登ってきて話を引き継いだ。
ダークエルフ化の儀式を地上で主導していたはずのエヴェリスだ。彼女はその辺に転がっていた椅子を引き起こし、外見上の布面積が最小になるポーズで足を組んで座った。瑞々しい太ももが絡み合って弾力を主張し合った。
「エヴェリス。儀式は終わったの?」
「別に私が付いてる必要は無くてね。
……そろそろ終わるんだけど、姫様、記念すべき最初の一人なんだから祝福してあげたら?
どうせこの先は流れ作業の儀式になって、情緒も何もなくなっちゃうでしょうし」
「分かったわ」
眼下では、儀式によって編まれた魔力の流れが収束しつつあるとルネは感じた。
ルネは解けた壁の穴から身を投げ、ドレスのスカートを押さえて自由落下する。
長い髪の空気抵抗で浮き掛けた頭部を嵌め直し、衝撃を殺して地に舞い降りた。
祈りを捧げていたリエラミレスの前に立ち、ルネは手の中に呪いの赤刃を生み出す。
騎士を叙任する王のように、ルネは剣の腹をリエラミレスの肩に当てた。
いきなり落ちてきたルネにも驚くことなく、リエラミレスはじっとされるがままにしていた。
「地に平和無く、人に正義無く。故に、天に神在るべからず」
「しかして、我らに道在りと信じます」
絶え絶えの息の中から力強く、リエラミレスはそう言った。
「……良い答えね」
ルネは刃の向きを90°変えて、リエラミレスの肩に刃を突き立てた。
「つぁ……っ!」
ズブリと沈んだ刃。
その傷口から、リエラミレスは染まり始めた。
存在そのものが塗り替えられていく。そこに存在する意味が書き換えられていく。
彼女の白木を思わせる美しい肌は、闇を帯びた褐色になっていった。翡翠のようだった双眸は、鋭く光る星のような金色に変化した。
ざんばらの緑髪はうっすら黒みが差す。エルフは皆、緑の髪をしているが、ダークエルフは黒や銀になることも、エルフと同じ緑髪になることもあった。
骨の軋む音がして、激痛を堪えるように彼女は身を震わせる。身体構造が少しばかり変化しているのだ。エルフはもっぱら華奢だが、それよりも逞しく力強く。
魔法陣を囲むリッチたちが一斉に錫杖を打ち付けて鳴らし、それと同時魔法陣から立ち上った闇色の光が絡み付くようにリエラミレスを包み、結ばれ、そして爆ぜた。
辺りは静まり、リエラミレスは変色した己の手をためつすがめつ眺める。
「……終わったのですね」
「始まったのよ」
リエラミレスは居住まいを正して片手を胸に当て、もう片方の手を開いてルネに見せる。
身体は楽になった様子だ。その身に刻まれた穢れは力となり、森に満ちた邪気は彼女の力を引き出す。
「さ、行くわよ。まずはこの森をわたしのものにしないとね」
儀式を見守っていたアンデッドたちが道を開ける。
ルネが歩き出すとリエラミレスも立ち上がり、よろめかぬようしっかりと地を踏みしめて付いてきた。
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