[3-37] やみのま
邪神が何らかの種族を一から創り出すことは無いのだとされる。
魔物や呼ばれるものは全て、大神の創造した存在を闇の力で歪めて生み出されたものだ。
魔物の中でも知的で社会を形成する種族を特に魔族と呼ぶが、そんな魔族も皆全て、人族を歪めて創られたという。
ダークエルフは魔族と呼ばれる者の一種であり、その名の通りエルフから生まれる。
浅黒い肌と金目が特徴。エルフより筋肉質で身体能力が高いが、それでいて魔法への適性は据え置きだ。
森を初めとした険しい地形での戦闘を得意とし、人魔の戦争においてはエルフたちの強みをことごとく殺す天敵となった。そのため、エルフを元にした種族であるという点も含め、エルフたちはダークエルフを不倶戴天の敵と定め、嫌悪と恐怖を抱いていた。
「私に……ダークエルフになれと!?」
「その通り」
流石にリエラミレスは、あまりのことに仰天した様子だった。
ダークエルフになる、というのは、忌避感を覚える前に唖然とするほど。こうして判断を迫られるまで考えもしないほどにあり得ない事であるらしかった。
「ぶっちゃけた話、この森を守ろうと思ったら邪気に染めちゃうのが一番良いとは思ってたのよねー。と言うか成り行きとは言え、もう染まりかけてるし。
こうすれば純粋に要塞としての強度も増すし、完全に邪神の手の内になった場所で人族は活動しにくいから敵は侵入しにくくなる。反面、うちの軍勢は若干一名を除いて強化される。
唯一問題があるとしたら、この森に現住してるエルフの皆さんが酷い目に遭うってことだったんだけど、まあダークエルフになっちゃえば関係無いよね。むしろ強くなるし」
「そ、そんな簡単に……邪神の眷属になれと……」
「別に死ぬわけじゃない。みんなダークエルフになれば生きられる。
ここが分かれ道よ。理想と古い信仰を抱いて死ぬか、生きるために戦うか」
「あり得ん……!」
戸惑うリエラミレスと対照的に血相を変え、文字通りに血を吐きながらジバルマグザが叫ぶ。
「それだけは、げほっ! ならぬぞ!
ダークエルフだと!? そんな……げほっ、ぐほっ……」
「長老さん、これは彼女の選択なのよー? 立場は対等じゃないけれど、選ぶ権利自体は彼女にある。私たちは何も強制はしないんだから」
「リエラミレス……!!」
老エルフは哀願とすら言える悲壮な口調で叫ぶ。
リエラミレスは全方位から剣を突きつけられているかのように硬直していた。
逡巡するリエラミレスを見て、ルネは地に伏す彼女の前に進み出、見下ろした。
「リエラミレス。
……この世界が間違っていると思ったことは無いかしら?」
「何を……」
「何故、あなたたちは死ななければならないの? どんな罪があるというの? ただここに住んでいただけで、全てを捨てて逃げるか命懸けで戦うかの二択を強いられた。野心と武力を備えた大国が隣にあったせいで……」
リエラミレスの感情が、僅かに熱を帯びて動くのをルネは感じた。
他人の境遇に同情して救ってやるような余裕など無いけれど。
それでもルネはリエラミレスが、自分と同じ痛みを抱いていると信じていた。
だからこそルネの言葉は、きっと、彼女を焚き付ける力となる。
「あなたの愛する人の中に、帝国の侵略によって死んだ者は全く居ないのかしら? 『同じ人族』? 上等じゃない。魔物の隣人になるよりも、人族として人族に滅ぼされる方が良いのかしら?」
胸の裡に燃え続ける、黒い怨みの炎を言葉に乗せて送り出すかのように、ルネはリエラミレスに語りかけた。
リエラミレスの視線が泳ぐ。
闇へと傾き掛けた自分自身に驚き、誤魔化そうとしたかのようだった。
「世界の滅亡に、加担せよと……」
「邪神の教えを知っているかなー、エルフさん。
大神が創ったこの世界を破壊しての、世界再創造……
邪神に連なる者たちは、新たな世界で幸福が約束されるって話でね」
「それを、信じよと?」
「信じなくてもいいわ。わたしが邪神に首輪を付けて引きずってでも、それをやらせるだけだから」
リエラミレスは『何を言っているんだ?』と言わんばかりに絶句していたけれど、ルネは本気だった。
いつかは大神にも己の所業を後悔させてやろうと考えているルネだ。邪神さんだって、もし自分の意に沿わなければどうにか動かしてくれよう。
天の高みは未だ悲しいほどに遠くても、やがてはそこに手を伸ばすのだから。
この世界の再創造……
壮大すぎる話だけれど、ルネはそれを一応の最終目標としている。
理想郷を作れるとは思っていない。ただ、もし全ての悲劇が、ボタンを一つ掛け違えたような小さな行き違いによって引き金を引かれたのだとしたら。何か些細な『IF』によって回避できたのだとしたら……
そんな世界を作り直すことはできないかと、ルネは密かに考えていた。
もちろん、その過程において世界をぶち壊して、ルネを見舞った悲劇の全ての原因に対して復讐するのも重要だ。
「わたしは滅びのために戦っているのではなく、わたし自身の祈りのために悪に堕ちることを良しとしたのよ。悪逆によってしか正せないものを正すために」
その祈りは不公平だ。ルネは自分に降りかかった悲劇しか正そうとしていない。
その祈りは不正義だ。大事を成し遂げる過程においては無関係の者すら踏み躙られる。
ダークヒーローなんて気取るには、身勝手で邪悪の度が過ぎるだろう。
だとしても根底にあるのは不正なるものへの怒りだった。それは正されるべきなのだという祈りと信念だ。
抱いて死ねない怒りを、この世界に叩き付けるためにルネは蘇った。
リエラミレスはルネの言葉の真偽を疑いつつも、何か、心を決めかけている様子だった。
ルネの言葉に打たれたとか、感動したとかではなく。ただひたすら単純に、歩むべき道を見つけたと言うかのように。
「怒り恨む気持ちが少しでもあるのならわたしの後に続き、戦いなさい。そうすることでしか守れないものがあるのだから。
……わたしは全てを失ったけれど、あなたにはまだ守るものがあるのだから」
「やめろ、耳を貸すなっ……!」
ジバルマグザの必死の叫びも、リエラミレスを揺るがすには至らない。
「この森のエルフを皆、ダークエルフに変えると?」
「そのつもりだけど」
「もし……ダークエルフになることを拒否する者があったとしたら、どうするのです」
「ん? 別になんともしないわよ。わたしに弓を引くなら
ま、エルフのままでこの森に住むのは不便があるとは思うけれどね」
トレイシーを例に挙げるまでも無く、使えるなら人族だって使うつもりだった。人族だからこそできることもあるし、有用でさえあれば人魔を問う気は無い。
そんなルネに、じわりと、リエラミレスは安堵の色を浮かべる。
ダークエルフになることを受け容れられるエルフはそう多くないはずだ。少なくとも一朝一夕には。だがルネはダークエルフになることを拒絶するエルフに対しても寛大に遇すると言う。
リエラミレスの動機はあくまで森の仲間たちを守ることなのだから、それをルネが苛烈に選別して敵味方に分けるとなれば付いて行けないだろう。
「そうですか……
安心しました。ならば私は共に戦わせていただきます」
リエラミレスが言うなりだった。
ジバルマグザが自身の身につけていた勾玉のような宝石を一つむしり取ると、死に物狂いでそれを投げつける。
宝石は光を帯びて稲妻の槍となり、地に伏し身動きの取れないリアレミレスを背後から突き貫いて焼き殺そうとした。
ルネでもエヴェリスでもなく、リエラミレスを狙って。
「≪
放たれた稲妻は、しかしルネが魔法で生みだした光の壁にぶち当たり、標的だったリエラミレスに届くことなく霧散した。
身につけていたマジックアイテムで不意を打とうとしたわけだが、『感情察知』の能力によって敵意や攻撃の意志を読み取れるルネには、この程度の不意打ちなど丸分かりだ。
「しくじったか……!」
「……教導師様」
「わたしの
ルネが指を鳴らすと、その辺で倒れて死んでいたエルフの戦士たちの肉体が塵となって崩れ落ち、骨だけの姿となって立ち上がる。
出来たてのスケルトンたちはジバルマグザを引きずり起こして、抱え上げて持ち去っていく。
「思い直せ、リエラミレス……お前に罪を犯させるわけにはいかん……ぐほっ、げほっ……」
リエラミレスはジバルマグザの方を振り返ることすら無かった。
それは敵意や反感からではなくて、きっと、顔向けできないと思っているからだ。
彼女はじっと罪の重さに耐えていた。
「さ、それじゃあ早速やっちゃいましょうか。それでさ……」
エヴェリスは空気を読まずにリエラミレスの顔を覗き込み、指を三本立てて、飲み物でも選ばせるかのように軽く問いかける。
「儀式もいくつかレパートリーがあるんだけどさ。
荘厳なのと淫猥なのとすっごく痛いのと、どれが良い?」
「……見栄くらいは張らせてください」
リエラミレスは観念したように、かくりと頭を垂れた。
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