[3-31] キーアイテムは何故か光る

 轟々と水のせせらぐ音が、広大な石の地下室に響いていた。

 天井付近から噴き出した水が、石壁を滝のように流れ落ちて部屋の周囲の水路をぐるりと通り、何処とも知れぬ場所へ流れ去っていく。


 地下水道施設みたいな雰囲気の部屋には、非常識なほど大きな天秤を象った仕掛けが三つ並んで設置されていた。

 天井から突き出した二股三股のパイプが天秤の受け皿を狙っている。


 人一人分の大きさがある床スイッチを自分の体重で押さえつつ、ルネは天秤の仕掛けを観察して、水の流れる音に負けないよう大きな声で指示を出した。


「ミアランゼさん、最後は右おくのレバーです! それを動かせば右のてんびんと真ん中のてんびんに水がふってきて全部つりあいます!」

「こちらでしょうか!?」


 ルネの足下にあるのは、全ての仕掛けを起動するスイッチだ。

 仕組みも合理性もまるでミアランゼには分からなかったが、あれを踏んでいなければ天秤に水が流れる仕掛けは動かない。

 大きな天秤の部屋の隣、レバーだらけの小部屋で仕掛けを操作するミアランゼには天秤の様子が分からず、ルネの指示が頼りだった。

 つまり、スイッチを踏み続けながら指示を出す者と、仕掛けを操作する者が協力して解く大がかりなダンジョンギミックだ。


 ミアランゼがレバーを下げると、天秤の部屋から大量の水が降ってくる音が聞こえて、次いで、錠前の外れるような音がミアランゼにも聞こえる異様な大きさで鳴った。


「そろいました!」

「扉が開きましたか……これで先に進めますね」


 三つの天秤の皿が水平に並び、先へ進む扉が開いた。


「それにしても、この奇妙な仕掛けは一体……

 参謀殿のご趣味か、それともエルフ共の仕業なのか」


 この状況に釈然としないものを感じるミアランゼ。

 さっきから、吟遊詩人が歌う冒険者の冒険譚みたいなダンジョンギミックを解かされたり、館の部屋の中で謎かけリドルを解いて鍵を探したりして先へ進んでいる。

 幸いにも、殺傷能力を持った危険なトラップや、ダンジョンに付きものの番人が襲いかかってくる様子は無い。


 しかしエルフの森が神隠しをするとしても、こんな人工的で人間的な建造物を拵えるというのはしっくりこない気がした。

 エヴェリスの言う『割り込み処理』の産物なのかも知れない。

 いつまでこんなことをさせられるのか分からないが、ひとまずは、ギミックと仕掛けを解いて進んでいった先に出口があると信じて突き進むしか無い。


 新たに開いた扉の先は、狭い上り階段だった。

 こんな場所だというのに贅沢なことに魔力灯の照明が設置されている。

 登っていった先にあったのは、いくつもの竈と広い調理台が据え付けられた部屋だった。


「おや、ここは……調理場でしょうか」


 しばらく地下を歩き回っていたのだが、地上に戻ってこられたらしい。

 まあ、地上に戻ってきたと言っても外は相変わらず真っ暗なのだが。窓は奇妙な力で封じられていて、開けることもぶち破ることも既に試したが無理だった。


 住人の姿が見えない屋敷だが、奇妙なことに竈には火が点り、鍋では何かが煮えてなんとも言えない美味しそうな匂いが漂っていた。

 調理台の上にはこんがりと焼き上がった大きなパイが湯気を立てている。焼く前に卵の黄身をしっかり塗ったようで、つやつやと輝いて見えた。


「このパイ、まだ温かい。焼きたてみたい……」

「いけません、ルネ!」


 パイに手をかざして温度を確かめていたルネが、傍らのケーキナイフを手に取ろうとしたので、ミアランゼはひっぱたくような勢いで声を上げた。


 驚いた顔のルネは、ケーキナイフを取り落としたまま硬直し、調理場には薪が爆ぜる音しか聞こえない沈黙が流れた。


「その……このような異界で食べ物を見かけても口にしてはならぬのだと、参謀……私の魔法の先生より以前教わりました。元の世界へ帰ることができなくなるのだそうです」

「ご、ごめんなさい……」

「いえ、驚かせてしまいましたようで……申し訳ありません」


 咄嗟のことで語調が厳しくなってしまった。

 萎縮するルネを見て気まずくなり、ミアランゼは言い訳のように説明をする。


「わたしは、いいんです。おなか空いてないから……

 でも、ミアランゼさんが食べるかなって」

「なんと! お気遣いありがとうございます。そうとも知らずに私は……」

「いえ、いいんです。わたしを守ろうとしてくれたんですよね。ありがとうございます」


 感涙にむせびそうなのをミアランゼはこらえていた。

 ルネは出来過ぎなくらいに良い子だった。


「……飲み食いはできませんが、ここで休憩していきましょう。ここまで動き詰めですし、お疲れでしょう」


 調理場の隅、作業机の所には椅子がちょうど二脚置いてあった。

 ミアランゼが椅子を引くと、ルネは高めの椅子にぴょんと飛び乗って腰掛ける。


 身体に染みついた癖で茶でも用意しようかと動きかけ、それがかなわぬ事をミアランゼは思い出す。

 主のお世話を何もできないというのは落ち着かないが仕方ない。


 ミアランゼが調理場を見回し、何か隠されていそうな場所に目星を付けていると、何やらルネが目を輝かせてこちらを見ていることに気が付いた。


「あの、ミアランゼさん。お耳……さわってもいいですかっ」


 ずっと衝動を我慢していたらしいルネが、凄く真剣な顔でそんなことを言うものだから、ミアランゼは吹き出してしまいそうだった。


「どうぞ、お気に召すままご自由に」


 座っているルネの前に跪き頭を差し出すと、ルネは恐る恐る、産毛のような短い毛に覆われた三角耳に手を伸ばした。

 そして、ふにゃりと揉みしだくように耳に触れた。


「わあ……!」


 ルネは歓声を上げ、柔らかな耳の感触を楽しむように撫で上げ、さらには髪を梳くように夢中でさすり始めた。

 ミアランゼの髪質は、人間の髪よりも猫の体毛に近いしっとりとしたものだ。

 それを面白がった変態貴族に撫で付けられる時はいつも不快で仕方なかったが、ルネに触れられるのは悪くなかった。

 ミアランゼの喉はゴロゴロと鳴った。ザラザラの舌でルネの額を舐めてやりたくなった。


「ミアランゼさん。わたし、あなたのような方は初めて見るんです。どちらの方なんですか?」

「その質問が『どういった種族なのか』という意味でしたら、私は非常に数が少ない、猫獣人ケットシーと人間の合いの子ですよ。初めて見るのも当然です」

「そうだったんですか」


 ただ単に、『なるほど』と思っただけである様子でルネは応じた。それがミアランゼには心地よかった。


「……ふふっ」

「ど、どうかしました?」

「いえ。やはりあなたも、父と同じ……良い人間だと、そう思っただけです。

 獣人の血が混じっていると知っても、あなたは私を蔑んだり、忌み嫌ったりはしませんでした」

「見た目がちがうとか、血がどうとかって理由で他人ひとをきらったり、石を投げたりするのは……悲しいし、いけないことだと思うんです」


 訥々としたルネの言葉を聞いて、ミアランゼは己の考えが至らなかったことを悟る。

 良い子だとか、良い人間だとかいうだけの話ではない。ルネは、その痛みを知っているからこそ血筋や外見でミアランゼを隔てなかったのだ。


 ミアランゼは、あの忌まわしき処刑のことに目を取られ、それまでのルネがどのように生きてきたか意識していなかった。

 シエル=テイラでは忌み子とされる銀髪銀目。ただその姿に生まれついたというだけで、ルネはどれほどの苦労を強いられ、敵意と悪意に晒されてきたのだろう。

 そういう意味では、ルネにはミアランゼと近しい部分があったと言える。


「きゃっ!」

「……ご苦労を、なされたのですね……」


 ミアランゼはたまらずに立ち上がり、ルネを抱きしめた。

 長い銀髪がミアランゼの手に触れる。澄んだ風に触れているかのようだった。

 ルネの身体はどうしようもなく小さかった。力加減を間違えたら抱き潰してしまいそうなほど脆く思えた。


 胸が締め付けられる。

 こんな子どもに、なんと酷い運命が課せられたものか。

 そして、ルネに縋ろうとした自分の愚かしさを思い知った。ルネに全て任せてしまえばいいのだと思っていたが、そんな考えは今となっては虫が良すぎるように思えた。

 こんな子どもに何を背負わせようと考えていたのか。縋るより、託すより前に、共に歩まねばならない。


「あの……?」

「……すみません、失敬を」


 何故突然抱きしめられたのか分からない様子で、ルネは困惑していた。


「必ずや、ここから脱出しましょう。なんとしても私があなたを外の世界へ送り届けます」

「は、はい。ありがとうございます……?」


 決意も新たにミアランゼは誓った。

 勝手に決意を固めているミアランゼを見て、ルネは疑問符を浮かべているようだったが。


「今、鍵はいくつ持っていますでしょうか」

「えっと、さっきツボの中から見つけた青いカギと、パズルから出てきたハートのカギと……

 ネコの絵のうらがわにあった四角い鉄のかたまりもカギなのかな?」


 ルネはワンピースのポケットに突っ込んでいたものを机の上に並べていく。

 謎を解いて、鍵とか、事実上の鍵を手に入れると先に進めるというのが、この館のパターンであるらしい。

 依然として理解が及ばない状況だが、ワケが分からないなりに探索は順調だった。


「一度、先程の広間に戻ってみましょうか。開けられる扉があるやも――」


 ミアランゼの頬に生暖かいものが掛かった。


「「えっ?」」


 二人分の疑問の声が重なった。


 それは、あまりに唐突だった。

 まるでそこに見えない剣士が居て剣を振るったかのように、ルネは左肩から右脇腹に掛けてばっさりと斬られていて、服が裂かれ肉が裂かれ、返り血にように散った飛沫がミアランゼの頬にも掛かっていた。


「ルネ!!」


 血の塊を吐いて崩れ落ちるルネを、ミアランゼは彼女の血にまみれながら抱き留めた。

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