[3-30] むしろ短編ゲームのOPとしてありがちな
「姫様、私をお忘れですか!」
「ひめ……様? だれのこと?」
ミアランゼが必死で呼びかけても、ルネは恐れ戸惑う様子を見せるだけだった。
子どもが見ず知らずの相手に突然こんな風に迫られたら、普通はこうした反応を示すだろう。
「そんな……これは、一体……?」
戸惑っているのはミアランゼも同じだ。
そもそもルネは普通じゃないはずなのに。
「その、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「わたし、ですか? ……ルネ、って言います」
よもや双子の姉妹か何かかとも思って聞いてみたミアランゼだが、違ったようだ。
「失礼」
「きゃっ……」
ミアランゼはかがみ込み、銀色の髪を優しく掻き上げてルネの額に手を当ててみた。
生ある者の温もりが感じられた。
――外見は姫様そのものだが、体温がある。やはりアンデッドではない……
アンデッドとしての力と同時に、記憶まで失ってしまったのか……?
名前まで同じのよく似た別人とか考えるよりも、筋が通っているだろう。
現にミアランゼ自身がヴァンパイアの力を失っているのだから、ルネが同じように力を失うことも有りうるのかも知れない。
もっとも、そうだとしても何故、どうやって力を奪われたのか。そして記憶まで奪われたルネと直前のことを覚えているミアランゼの間で何が違ったのか、という疑問は残るが。
「あの、どうかしましたか?」
「なんでも……ありません。すみません」
いきなり額に手を当てられたルネは、為すがままでミアランゼの奇行に戸惑っている。
ミアランゼが手を離すと、小首をかしげながら自分の額をぺたぺた触っていた。
――私はどうすれば……そもそも、この場所は一体……
薄暗い穴の中に突き落とされたような不安感がミアランゼを苛んでいた。
理解不能な状況。戦う力も失って、頼りの
落ち着かない気持ちのままに、ミアランゼは部屋の中を見回す。
ここはミアランゼが目覚めた隣の部屋と同じような場所だ。アンティークのような雰囲気の家具が並び、誰が何時付けたかも分からない暖炉の火が燃えていて、なのに不安を煽り立てるような薄暗さに支配されていて……
――……これは?
隣の部屋には無かった物が、一つ。
木造で繊細な彫刻が施された本棚だ。
ぎっしりと本が詰まっているが、奇妙なことにほとんどの本は本棚と一体化した作り物で、取り出すことも開くこともできない。
その中に、一冊だけ本物の本があった。
奇妙に思ってミアランゼはそれを取り出してみる。
すると、辞典のように分厚い本はほとんどのページが固まっていて、真ん中の方の数ページだけ開いて読むことができた。
「『済まない、私のミスだ』……?」
本には、どこかで見たような手書きの文字でそう書かれていた。
流麗で、意味も無く官能的な文体だった。
◇
済まない、私のミスだ。
このゲーゼンフォール大森林は、何らかの形で『隠れ里』を形成している。
隠れ里、というのは専門用語だけど、神秘によって編み上げられた妖精の箱庭みたいな場所のこと。物理世界とは位相がずれた領域を指すんだ。
姫様はミアランゼと共にそこへ囚われてしまったらしい。つまり神隠しって言えば分かるかな。
これは事前の調査で森林の性質を見抜けなかった私のミスだ。姫様をみすみすそんな危険な場所に出向かせてしまった。
可能な限り解析し、隠れ里への割り込み処理を試みているけれど、そちらがどんな様子になっているか私からは分からない。
隔離された世界を外からこじ開けて姫様を助け出すのはおそらく不可能だ。
だが絶望しないでほしい。
このメッセージがどのような形で届いているかは分からないけれど、届いてさえいるのなら、その時点で大成功だ。
割り込みは上手くいった。
どんなにか細い道でも、一見すると
どうにかしてそれを探してほしい。
私も私で、外からやれることが無いか探してみる。
エヴェリス
◇
その本……いや、その文章を読み終えた時、希望と絶望がない交ぜになって、ミアランゼの中で渦巻いた。
――私ではなく、姫様宛のメッセージとは……参謀殿は、姫様がこのような状態である事を存じ上げないのか。現状を伝えて助言を請うことも、おそらく不可能……
神隠しの話はミアランゼも父から聞いた事がある。
山や森の中で人が突然姿を消す。ほとんどは人攫いや魔物の被害者なのだろうけれど、時折、消えた者が何年も経ってから戻って来たりするのだ。
そうして戻って来た者が語り伝えるのは、この世の出来事とは思えない摩訶不思議な世界に滞在した体験談……
そして、これは。この奇妙な状況は。ゲーゼンフォール大森林による神隠し。
ミアランゼとルネは異界に囚われ、力を奪われ、さらにルネは記憶まで失った。
「もしかしてわたし……ここにさらわれて来たの?」
何故自分がここに居るか分からない様子でルネは不安げに周囲を見回す。
「……分かりません。ですが私はあなた様のお味方にございます、姫様」
「その……『ひめ様』って呼ぶの、やめてください……はずかしいから……」
からかっているとでも思ったのか、ルネは心持ち頬を赤らめて目を逸らす。
掛け値無しにルネは姫である筈なのだが、今はそれさえ忘れているらしい。
何にせよ、ルネが否というならミアランゼには否だ。
「かしこまりました。それでは、『殿下』と」
「それもちょっと……」
「『ルネ様』では?」
「できれば『様』も……」
気後れした様子ながらも少女は抗弁する。
人族共通語には割と多様な敬称表現があり、親密さや関係によって使い分けが可能だった。
そして、これ以上親しい呼び方になるのは、ミアランゼの感覚としては許されない。
「では、何と」
「ふつうに名前で呼んでください、できれば」
あまりにも畏れ多い、とミアランゼは思った。第一、臣下であるミアランゼがそんな態度を取っては他の者に示しが付かない。
だがここではルネと二人っきりだから問題無い……かも知れない。それに、ルネから直々の頼みだ。それを断ることなどできようか。
「……ルネ」
「はい」
ミアランゼが名を呼んで、ルネが応えた。
背徳感とも悦楽ともつかないものがミアランゼの背を伝い落ちる。何故だか鼓動が早くなり、しかしそれは不快ではなかった。
何か取り返しが付かないことをしたようにもミアランゼは感じたのだけれど、何故かルネは嬉しそうだ。
にまーっと笑ったルネは、だらしなく緩んだ頬を押さえてくるくる回るように身をよじった。
「ど、どうかなさいましたか?」
「えへへ……お母さん以外に名前呼ばれたの、久しぶりだから。なんだかうれしくて」
ミアランゼは自分の顔が笑み崩れそうだったのを鋼の意志で抑え込んだ。
いつもルネは凍てついたように厳しい顔をしているのだけれど、あどけない顔立ちの彼女が子どもらしい無邪気な笑顔を浮かべると、相乗効果で恐ろしいほどの破壊力だ。
しかもルネを笑顔にしたのは自分の言葉なのだと考えると、慈愛の心が溢れ出す。
「お母さん、心配してるかな……」
「……お母様?」
ルネは真っ黒に塗りつぶされたかのような窓の外を見て呟いた。
ルネとしては何の気なしに言ったようだったけれど、ミアランゼは自分の身体の芯が一瞬で凍り付いたように感じていた。
それは、と喉元まで出かかった言葉をミアランゼは呑み込む。
「えっと……わたし今日が10さいのたんじょう日なの。
それでお母さんが『今夜はごちそうよ』って……でも、もう外が真っ暗で……」
ちょっとしどろもどろに説明するルネを見て、ミアランゼは何も言えなかった。
「あっ!
ごめんなさい、わたしのことばっかり言っちゃって。あなたはだれ?」
「……私はミアランゼ。あなた様にお仕えする身にございます」
心の中に浮かんだものを隠すように、ミアランゼは頭を垂れた。
「ミアランゼ、さん……? お仕えって、どういうことなんですか?」
「今は……それをお話することはできません」
ミアランゼは何も言わず、何も言えなかった。
このルネに、全てを告げるのはあまりに酷だ。
酷いとかそういう話を別にしても、ただ動揺させるだけで何の益も無い。
もしこれまでの事を伝えて、ルネが記憶と力を取り戻してくれるのならそれでいいのだが……それはあまり分の良くない賭けだという気がした。
――どうしようもなくなった時の最終手段にしておこう。それよりも姫様を動揺させて、行動に支障を来してはいけない。
もしこれまでにルネを襲った悲劇をミアランゼの口から語ったとしよう。
記憶を失ったルネの主観では、自分の臣下を名乗る初対面の不審な女から、母親共々惨たらしく殺され邪神の眷属になるという暗黒の未来を聞かされることになる。
そんな事をしたら、ミアランゼを警戒するなと言う方が無理だ。やめておいた方がいい。
「とにかく、まずはこの奇妙な場所から逃げる道を探しましょう。どこかに脱出する手段があるはずです」
「は、はい」
ミアランゼが前に立って歩き出すと、ルネはその後を付いてきた。
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