[3-24] ご先祖様の言う通り

 ルガルット王国の北端で、エルフたちと邪悪なる者たちが人知れず接触していた、その翌日以降。


 ルガルット王国で奇妙な事態が進行していた。

 過程を省いて結論のみを端的に述べると、国内は急速に安全になっていた。


 戦乱に巻き込まれた国は、概して治安が乱れ、魔物も跋扈する。

 平時において軍は『街の外の治安』を保ち、その延長として場合によっては魔物退治も担う。だがその軍が戦いに駆り出されているとなれば国内が乱れるのは必定だ。

 そんなとき魔物やならず者を退治する冒険者の存在は治安や安全を確保する上で重要度を増すのだが、こちらも肝心なときに役に立たなかったりする。なにしろ冒険者は特定の土地に縛られないので、戦争が起こったりすると安全な国へ逃げ出す者が多いのだ。

 よりによって恐るべきケーニス帝国の侵略の手が迫っているとなれば、その傾向は更に顕著だった。


 街の外を歩くことは平時以上に命懸けとなり、壁に守られていない農村などはいつ魔物に襲われるか、いつ盗賊に村を焼かれるか、不安な日々を送っていた。 


 そこに現れたのが、奇妙なアンデッドの集団だ。


 骨だけの身体をした騎士や術師たち。蒼白な肌をした侍。喪服のような出で立ちをした黒一色の女。輿に乗って運ばれていく銀色の少女……

 武装したアンデッドの群れが国内の各所に同時多発的に出没し、魔物退治を始めた。


 ある魔物は群れごと薙ぎ倒されて死体として積み上げられ、荷馬車で運ばれていった。

 ある魔物は手の付けられない凶暴さで知られていたのに、よく躾けられた犬のように従順にアンデッドたちの後を付いていった。

 ある魔物はまるで処刑前に引き回される罪人のように、手枷や首輪を付けられ引っ立てられていった。

 目だった活動をしていた魔物たちは根こそぎ駆除され、後には平穏が残った。


 魔物の活動が鈍った地域は代わって野盗や山賊がしゃしゃり出てくるものだが、これも起こらなかった。賊もまたアンデッドたちの獲物になったからだ。

 象徴的な大ニュースとなったのはルードルフ山賊団の壊滅だった。

 数と練度と組織力で国中に名を轟かせ、長年諸侯に手を焼かせてきたルードルフ山賊団が、わずか数時間の戦いで壊滅した。戦いの場で何が起こったか当事者たちにしか分からないが、人々はアンデッドの騎士団に率いられて街道を行進する山賊たちの死体を見て、戦いの結果を知った。


 アンデッドたちは存在を隠すこと無く、しかしルガルットの民には不干渉を貫き、ただ人々の脅威を排除していく。

 おどろおどろしく翻る血薔薇の軍旗は、人々の目にどれほど頼もしく映ったことか。


 果たしてあれは何なのか? 否が応でも大衆の興味は盛り上がる。

 一部の耳ざとい者や国際情勢に明るい者、それと冒険者ぐらいしか知らなかった『シエル=テイラ動乱』そして"怨獄の薔薇姫"の名は、すぐさま国中に知れ渡った。


 大森林北の戦いでケーニス帝国青軍が撤退に追い込まれたというニュースも人々の知るところとなる。

 ちょうどルガルット王国内でアンデッドの活動が始まったのと同じ頃、アンデッドの軍勢がゲーゼンフォール大森林のエルフを助けて帝国青軍を追い払っていたというのだ。

 

 ルガルット王国はまだケーニス帝国に直接領土を蹂躙されたわけではないが、迫り来る青軍の恐ろしさについては皆が話を聞いていたし、三カ国同盟の下で青軍と剣を交えて少なくない数の死人を出してもいる。

 だが、その恐るべき青軍が一時とは言え敗北を喫したのだ。

 溜飲を下げる者あり、未来への希望を見いだす者あり。


 そんな中、出所不明の噂が流れ始めた。

 『"怨獄の薔薇姫"はゲーゼンフォール大森林のエルフとの同盟を望んでいる』というものだ。


 * * *


 エルフは自然魔法によって森の形を変える術に長ける。

 彼らの住居はもっぱら、生きた木の幹や枝を動かして絡み合わせ、部屋の形に成形したものだ。

 伐採された木材を……彼ら曰く『死んだ木』を住居に使うことは滅多にない。枯れ木を見事に加工して美しい家具を作る技術も持つのだが、その程度だ。


 ゲーゼンフォール大森林に住まう"岩壁に這う白蛇"の部族の集落、その中心の大霊樹は樹高50mほどもあり、森の外から見ても頭を突き出して見えるほどだ。

 『人間が作るどんな城のどんな柱より太い』と言われる巨大樹は、無数の蔓草や細い木が絡みついて着ぶくれしたような外見で、やや低い位置にはいくつもの部屋が鈴生りになっている。また、生きた蔓草で編まれた吊り橋が蜘蛛の巣のように宙に渡され、周囲の木々と結び合っていた。


 大霊樹に張り付くように作られた部屋の中で、最も高い場所にあるのが『長老会議の間』だ。

 螺旋階段のような蔓草を登った先にあるその部屋は、部族を導く指導者たちが会議を行う場だった。


 部族に対して功績のあったエルフは、年を経ると『長老』の称号を得る。

 部族の規模によって長老の数は異なるが、現在"岩壁に這う白蛇"の部族に長老は14人。彼らと族長の合議によって部族の方針は決定されるのだ。


 会議の間の空気は、泥水のように重たかった。

 戦争が始まってからというものずっとこの調子だが、今日はさらに別の問題があって長老たちの眉間の皺を深くしていた。


「もはや、彼奴きゃつに持ちかけられた『同盟』の噂は里中に広まっている」


 長老の一人が苦々しげに、呟くように言った。

 "怨獄の薔薇姫"が同盟の誘いをかけてきてすぐ、森のエルフたちの間には同盟の誘いについての噂が広まっていた。長老会議はシエル=テイラ亡国を名乗る一団との会談について公表せず、あくまで内々に検討している段階だったはずなのに。


 400年あまり前、人族は魔王軍の侵攻によって大陸から駆逐されかけた。

 その時、浮遊島に立てこもった数万人の内14人が、この場に居る長老衆だった。今は病の床に伏せっておりこの場に来ていない族長・ガルセフルトもそうだ。

 エルフは500年から600年ほどの時を生きるとされる。彼らはちょうど『大戦』の時に子どもか若者だったのだ。

 それ故、短命な森の外の戦友がほとんど死に絶えて『自分より先に死んでいく若輩者』ばかりになった今でも、彼らは『人族』というものへの帰属意識とバランス感覚を持ち、あくまで『人族の中のエルフ』という立場から物を考えられる。


 しかし、こうした意識は里の中で若い世代ほど希薄だ。

 彼らのほとんどは森から出ることもなく、あくまでも世界を『エルフとそれ以外』という形で捉えている。

 そして長老衆も、そんな若い世代の意識を特に問題視していなかった。


 俗に『鉄を埋めても森には還らぬ』と言う。

 放り出してきた問題が最悪のタイミングで噴出した。

 ケーニス帝国に対抗するためならアンデッドとでも手を組もう、と考える者は少なくなかったのだ。


 これに長老衆は悩むことになった。

 自分たちだけでこっそり結論を出すことが難しくなった。穏便な落とし所を探るなり、場合によっては打診を蹴ることも考えていたわけだが、これでは下の者から突き上げを食らうし、"怨獄の薔薇姫"にも足下を見られる。


「そもそも、噂の出所はどこだ? 誰かが口を滑らせたのではなかろうな?」

「……森の外と取引をしている者が人間から聞いてきたようだ。

 ルガルット王国の……森に近い街はどこも、この噂で持ちきりだとか」


 長老たちは唸る。

 おそらく情報を流したのは"怨獄の薔薇姫"の側だ。

 この同盟に関して無責任なことを言えるルガルット人を使い、エルフの里に噂を広めたのだ。

 さらに言うならこうして森の外に噂を広めることで、あらかじめエルフたちの体面や評判に傷を付け、暗黙の同盟ごときで失う物が無いよう追い込んでいるとも考えられる。

 悪魔的なやり口と言えた。


 エルフの社会は、年功序列と上意下達の世界。

 だが、(いくら戦力差的に当然とは言え)戦に負け通している以上、長老会議への信頼も揺らぐ。

 そして、恐怖に駆られた人々が極限の状態でどちらへ暴走するのか。予測も制御も不可能だった。


 この森を守るために何が最善か誰にも分からない。族長も、長老衆も、皆が考え込んで黙りこくってしまった。


 丁度そこへ、警備の戦士が部屋の外から声を掛ける。


「長老様方。副祭司長……いえ、新たな祭司長様がお見えに」

「おお! 儀式は終わったのか!」


 長老衆がにわかに腰を浮かせたところで、長老会議の間へ一人の女エルフが入ってきた。


 盛夏の木々を思わせる、鮮やかな緑髪のエルフだった。

 顔立ちからも生真面目さがにじみ出ているような、真っ直ぐな目をした女だ。長い髪を獣骨の簪でまとめ、純白の巫女装束と、代々の祭司長に受け継がれる玉石と金細工の装身具を身につけている。

 

「はい。

 この私が、戦いの中で命を落とされた先代・サーレサーヤ様の後を継ぎ務めを果たしていくこと、畏敬すべき父祖の皆様へご報告申し上げて参りました」

「そうか、そうか。本来であれば我らも皆祈らねばならぬというに、済まなかった」

「いえ、仕方の無いことです」


 跪く彼女の名はクルスサリナ。

 ほんの数日前に死んだ先代の祭司長・サーレサーヤと一度は祭司長の座を争い、その後は副祭司長としてよく彼女を助けてきた。


 祭司長サーレサーヤの死は、長老会議にとっても痛恨だった。

 部族で最も力がある術師である彼女を失うのは、戦いの上でも大きな痛手であるし、敬愛される宗教的指導者である彼女が敵に討ち取られたという大事件は部族全体に大きな衝撃を与えていた。


 そんな状況だけに、新たな祭司長への引き継ぎがつつがなく終わったことだけは幸いだった。

 クルスサリナはサーレサーヤが死んですぐ大霊樹の麓のうろに籠もって、それからずっと祈り続けていた。森の全てが結節する大霊樹の洞にて祈り、森に還った父祖たちに認められなければ祭司長になれないからだ。

 この祈りは3日で終わることもあれば、一ヶ月かかることもある。そしてその間、部族の者は総出で父祖に祈りを捧げる習わしだ。

 しかし今は戦時下であり、そんなことをしていたら立ちゆかなくなる。そこで族長と長老衆、そして巫女たちだけで簡易的に祈りの儀式をして、新たな祭司長の『洞籠もり』の間の祈りに代えていた。


「クルスサリナ、謹んで長老様方にご挨拶を申し上げます。

 皆様方には私など子どものようなものでございましょうが、里の者たちを導くため、祭司長として力を尽くさせていただきます」


 クルスサリナが胸に片手を当て、もう片方の手を軽く広げて見せる。長老衆も同じポーズを取った。

 これはエルフにとって敵意が無い証であり礼を尽くした挨拶だ。弓も矢も持てず、両手を組んでいないので魔法のための印組みもできない。


「時に……儀式の中で父祖よりのご託宣を受け取ってはおらぬだろうか」


 やや気負った様子であるクルスサリナが挨拶を終えるなり、その場の全員が聞きたがっているであろうことを、長老の一人でもある教導師・ジバルマグザが問う。


「はい、確かに」


 皆が息を呑んだ。


 部族全体に関わる決め事をするとき、長老会議は巫女を通じて父祖にお伺いを立てることが多い。人間が神々より神託を授かるのと同じように。


 死して森に還った父祖たちは、その大いなる知識を森に蓄えており、生ある者では思いも付かぬようなことさえ教えてくれる。

 少なくともエルフたちは概ねそう信じていた。


 クルスサリナは緊張と疲労を滲ませながらも、一言一句も違えてはならぬと思っているかのようにハッキリと言葉を告げた。


「サーレサーヤ様が最後に伺ったものと変わりありませんでした。

 ケーニス帝国との戦には触れず……ただ、『血に染む銀の禍星を討て』と」

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