[3-25] 解釈の自由が故 諸王は悩むのだ(2回目)
長老たちは沈黙した。
クルスサリナの受け取った託宣が何を指しているかは明らかだ。
"怨獄の薔薇姫"を討て、ということだろう。
父祖よりの託宣はいつも端的で、結論だけだ。
その背後にどのような考えがあるのか、生者たちは推し量ることしかできない。
そして、本当にそれが正しいのか、正しかったのか確かめる術も無い。託宣に従ったのに大勢の死者が出ることもある。
ただ、きっと従わないよりはマシな結果だったのだろうと、あるいはやり方がまずかったのだろうと皆が納得してくれる。長老会議は己の判断に責を負わずとも良かった。
それに託宣に従うとしても、内容が端的であるだけに解釈の余地がある。
内容を都合良くねじ曲げて、無理のない範囲で従うという事もままあった。
……少なくとも、今まではそれで良かった。ケーニス帝国が攻めてくるまでは。
初めは、勝てると思っていた。
だがそれが甘い考えだと気付くまで長い時間は掛からなかった。
今やケーニス帝国が早晩、戦士たちを破って森を手中に収めることは確実だった。長老会議の者たちはそう考えていた。
父祖たちは森を守るための戦いの方策を次々と伝えてくれていた。だがそのいずれも、大して効果は無くただ戦死者が増えているだけに思われた。
そもそも戦力差の上で絶対に敵わないのであれば策など無意味だ。力が足りず、父祖の意図するところを十全に成せていないのか……いや、これも何か意味があってしていることなのか……
長老たちは困惑の中にあったのだ。増える戦死者、重なる敗北。このままでは『託宣』という大義名分も通用しなくなり、部族の者たちが混乱する。
そんな中、突如として託宣の内容が変わった。
急にケーニス帝国のことを何も言わなくなり、『銀の禍星を討て』と繰り返し伝えるようになったのが数日前のこと。既に先代のサーレサーヤが、クルスサリナに向けられたものと同じ託宣を受け取っていた。
託宣の意味を理解したのは……それが"怨獄の薔薇姫"であると気が付いたのは、彼女の姿を見てからだ。
託宣の意味を理解しない子孫たちに痺れを切らしたのか、先日の"怨獄の薔薇姫"との会談の場には、よりによって『映し身』までもが現れた。
『映し身』とは、森に還った父祖の意思が形を持って表れたもの。
特殊な環境と相応の事情が揃わない限り顕現しないはずのものだ。
だが。
その映し身が、
ひっくり返して見れば、それほどまでにとんでもない重大事だということでもある。
長老たちは更に困惑した。
どう考えても二正面作戦をする余裕など無かったからだ。
このままでは森は奪われてしまうだろう。だというのに父祖はケーニス帝国のことなどより、"怨獄の薔薇姫"との戦いを優先させようとしている。いや、自ら『映し身』となって表れ戦いを挑もうとさえしている。明らかに今までの託宣とは本気度が違う。
長老たちは、この託宣を部族の者らに伝えられていなかった。最初はただ単に理解不能だったから託宣の意味を考えるため時間を取っていただけなのだが、未だにこれを布告していないのは別の理由からだ。
託宣を最重要視するのであれば、今すぐ"怨獄の薔薇姫"に弓を引くことになる。
だが、そんなことをしたらどうなる?
"怨獄の薔薇姫"も、大森林も、ただケーニス帝国に全て薙ぎ払われ呑み込まれるだけだ。
「長老様方。今や、我らが戦うべき敵は明瞭になったのではありませんでしょうか。
尊き方々が『映し身』となり、お示しになったのですから」
クルスサリナは決然と、そう言った。
長老たちは顔を見合わせる。
「何故それを知っている?」
「祈りの中で私の精神は尊き先達の御霊に触れておりました。
その中で感じたのです。我らを導くため、名も姿も捨てて森へとお帰りになった方々が、気高き意志を持って戦わんとしていたのを。
そして、見たのです。滅ぼすべき邪悪の姿を……」
大霊樹の洞で祈りを捧げていた彼女は、父祖たちの精神に最も近い場所に居た。
なればこそ託宣を受け取るのみならず、その動きを我がことのように感じ取れたのだろう。
ジバルマグザは内心、その奇跡を苦々しく思っていた。面倒なことになった、と。
「よく聞いてほしい、祭司長。
かの『銀の禍星』は……我らとの同盟を望んでいるそうだ」
羽虫でも口の中に飛び込んできたかのように思いっきり奇妙な顔をしたクルスサリナ。
経緯についてジバルマグザが順を追って説明すると、彼女は何か醜いものでも見たように溜息をつきながら顔を覆ってしまった。
「よもや、そのような甘言に易々と誑かされは……」
「ああ、怪しいのは重々分かっているとも。だがこのままケーニス帝国と戦い続けても埒が明かぬ」
「……き、教導師様!」
「落ち着きたまえ。何も、奴と同じ花の蜜を舐めようとまで言っているわけではない。
攻め寄せる帝国青軍と"怨獄の薔薇姫"……ああ、これは件のアンデッドの二つ名だがな。
いずれどちらとも戦わねばならぬのであれば、食い合わせて疲弊させたところで優位を得るのが得策ではないかね。そのためには一時、手を結ぶふりをするくらいは構うまいさ」
青臭い雑草を噛みしめるような口調のジバルマグザ。
クルスサリナはしかし、首を縦には振らなかった。
「私如きの差し出口、ご無礼をお許しください、長老様方。ですがご託宣を正確にお伝えすることもまた、私のお役目です故。
敵同士を争わせ、利益とする……
それは私ですら思いつくような単純な計略です。もしそれが有用なのであれば、そうせよとご託宣が下ったことでございましょう。だと言うのに、ご託宣はあくまで『彼の者を討つように』と。
このことに何か大きな意味があるように思えてなりません。"怨獄の薔薇姫"なる者と手を結ぶ道には、毒蛇が巣くっているのでは」
いささかの揺らぎもない澄んだ視線がジバルマグザを射貫いていた。
これにはジバルマグザもぐうの音も出ない。その疑念はジバルマグザの中にも存在したからだ。
ただ、まず帝国を止めないことには一筋の希望も見えないのだと……
曲がりなりにも部族の政治的指導者であり戦の経験もあるジバルマグザは、どうしてもそう感じざるを得ず、そのために託宣を持て余していた。
それとも、今ここで"怨獄の薔薇姫"との戦いに踏み切れば、奇跡的な配剤によって全てが丸く収まるのだろうか?
積み石の最下段を突くと全て崩れるように、事態が連鎖的に解決するというのだろうか?
クルスサリナはそう信じているようだったが……次の一手を間違えれば、部族は滅びかねない。それだけにジバルマグザは軽率に判断を下せなかった。
「とにかく、まずはご託宣の内容を皆に伝えるべきでしょう。
サーレサーヤ様が同じご託宣をお聞きになった際は、内容が何を意味するか未だ定かでないとして先送りになりましたが……」
「待て、ならん!」
今すぐにでも誰かに託宣の内容を伝えてしまいそうなクルスサリナを、ジバルマグザはぴしゃりと制した。
「……今はならぬのだ。里が調和を失う」
「何故です」
「"怨獄の薔薇姫"との同盟の噂が、どこからか里の者らに広がった。残念なことに、これに期待する者も多い。
そしてだ、そこにこの託宣の話を投げ込んだとすれば……里は混乱し、引き裂かれよう」
「だとしても問題がございますでしょうか。長老様方がお決めになれば、皆は従うものです」
「本来はそうだ。だが、今は危険なのだよ」
ジバルマグザが抱き、長老たちの共有する懸念は、言語化して説明しにくい類いのものだった。
長年、部族を導いてきた彼らだからこそ感じうるもの。経験の積み重ねから導き出された、熟練者の勘とでも言うしかないようなものだ。
だが、今この部族が爆発寸前なのは確実だった。刺激になるような情報を不用意に投げ渡すべきではないと考えたのだ。
その懸念は、クルスサリナには今ひとつ伝わらなかったらしい。
「迷うことは無いように思われます。
父祖よりのご託宣があり、それに従って長老様方がお決めになれば、後は人事を尽くすのみ。
今は何よりも揺らがぬ事こそが肝要にございましょう。さすれば、皆の心も一つにまとまります」
クルスサリナの言葉を聞くことは、ジバルマグザにとってある種の感銘を伴うほどだった。一直線に差し込む木漏れ日のように眩しい言葉だった。
『正しいこと』を貫けば全てが上手く行くのだと彼女は信じている。美しい未来予想図だ。そこに身を委ねてしまいたいと思えるような。
だが、そう甘くはないのだとジバルマグザは考えていた。
――やはり、真っ直ぐすぎる。
長老たちがサーレサーヤを祭司長に選び、クルスサリナを選ばなかった理由。
それはクルスサリナがあまりにも一直線な気質をしているからだった。
政治的な配慮とか、方便とか、そういったものを彼女は飲み込めない。
ある意味でそれは巫女らしい気質とも言えた。猥雑な日常から切り離され、静かに祈りと修行の日々を過ごす巫女たちの典型とも言えた。
しかし部族の宗教的指導者である祭司長は極めて政治的な存在であり、つつがなく部族の皆を導くためには、真っ正直なだけでは到底務まらないのだ。
「どうか皆をお導きください。私も祭司長として力を尽くしましょう」
「うむ……」
ジバルマグザは曖昧に返事をした。
どこへ導けばいいというのか。その答えは未だに出ていなかった。
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