[3-22] 朝まで手のひらダンシング

 ケーニス帝国青軍のうち(公称だとさらに増えるが実態としては)ゲーゼンフォール大森林攻略のため展開していた兵数は約6万。そして、この戦いで出した死者は2000人余り。

 戦闘不能にされたと言えるほどではなかったが、青軍は撤退を強いられた。


 "怨獄の薔薇姫"の存在は青軍も知っていたし、一応の対策も準備はしていた。

 しかし今ここで現れるとは思っていなかったのだ。なにしろ、ク・ルカル山脈からゲーゼンフォール大森林へ至るには南のルガルット王国を横切らねばならないが、青軍がルガルット王国へ放った間諜スパイたちは、魔物の行軍を全く捉えられなかったのだから。

 青軍を襲ったアンデッドの軍勢は、突如現れた"怨獄の薔薇姫"が収納魔法から死体をぶちまけその場でアンデッド化したものだった。

 他にも数体のアンデッドやオーガ、大犬の魔物が確認されたが、そちらは少数だった。逆に言えば密かに移動することも可能な数であり、奇襲のための少数精鋭編制に見事に青軍はやられたことになる。


 残敵掃討の段階になれば、軍全体の防御態勢も、兵の気も緩む。

 そこに突如として現れた魔物の軍勢に青軍は引っかき回された。


 天と地から蹂躙され、吸血鬼の邪眼に魅了された兵が同士討ちを起こし、死んだ者はその場でアンデッドとして蘇りやはり敵方に加わる。

 悪夢と言うに相応しい状況だ。

 神聖魔法の使い手たちが兵の魅了を解き、アンデッドにも対処したが、初動が遅れたことで被害が広がっており、瞬く間に解決するというわけにはいかなかった。


 ようやく混乱が収まったとき、孤立しかけていたエルフ兵の生き残りたちはいつの間にか撤退しており、アンデッドたちも忽然と姿を消していた。殺された兵士の死体はほとんど残されておらず、虎の子の大砲すら十数門が収納用のマジックアイテムと共に奪われていた。

 上げられるだけの戦果を上げたら反撃を受ける前に退却する。電光石火の一撃離脱戦法だ。


 このまま戦闘を続行したところで特に得るものもなし。兵の動揺を収めるためにも、青軍は一時撤退せざるを得なかった。


 * * *


 大森林の南側にて、その会談は取り持たれた。


 煌々と月が照る下に軍用の天幕が設えられていた。

 それを取り囲むのはアンデッドやオーガやリザードマンと、とにかく魔物ばかりの軍勢。

 立ち並ぶ軍旗はずだ袋を裂いたようにボロボロで、人血で描いたと思しき薔薇の紋章が禍々しく夜天に翻る。


 おどろおどろしく赤黒い茨が描かれた天幕の中は、しかし意外なほど明るかった。

 魔力灯の照明装置が壁際にいくつも置かれ、天井からも吊されていた。

 そこにいくつかの人影があり、テーブルを挟んで向かい合う。


「私はアラスター・ダリル・ジェラルド。

 勿体なくも姫様よりご信頼を賜り、シエル=テイラ亡国にて国軍元帥の地位を拝する者」


 血の気のなさ過ぎる蒼白の肌と濁った目をした、グールの老紳士が慇懃無礼に礼をする。

 彼は、所詮アンデッドという侮りを許さぬ鋭利な知性を感じさせる目で、相対する者を睨み付けた。


「話の前に、さて。

 姫様は『決定権のある者が来るように』と申し付けた筈であったが?」


 テーブルを挟んで向かい合う人影は、地面から生えていた。

 地面から生えた蔓草が寄り集まって、樹人トレントのように精緻な人型を形作っているのだ。

 それは、一糸まとわぬ美しい女エルフの姿をしていた。


「なるほどそれがエルフの礼儀か。

 畏れ多くも姫様が御自らお出ましになったというに、そちらはそのような木偶人形を寄越すとは」


 老紳士の皮肉に、蔓草人形は剥き出しの胸に手を当て会釈程度に頭を下げる。


「ご無礼をお許しください。身の安全を保証するとおっしゃいましても、それを容易く信じられぬ事はご理解いただけるのではありませんでしょうか。

 私の名はリエラミレス、"岩壁に這う白蛇"の部族の戦士。こうして自らの意思と言葉を届ける術を用いている私は、確かに一介の戦士にございますが、今、本物の私の傍らには教導師たるジバルマグザ様が居られます。

 あなた方の言葉は私が教導師様にお伝えし、教導師様のお言葉は私が届けましょう」


 リエラミレスはあらかじめ用意しておいたとおりの言葉を吐きながらも、『木偶人形』の目を通してアンデッドたちを観察していた。


 帝国にトドメを刺されようというまさにその時、割って入ってエルフたちを助けた謎の軍勢。

 ……いや、それは本当に助けだったのだろうか?


 アラスターと名乗ったグールの老紳士。

 帝国の者に似た装束を纏い、細身の剣を腰に差したグールの剣士。

 何故かメイド服を着ていて、猫のような三角形の耳と皮膜の翼を持つ女吸血鬼。

 そして、その向こう。


 人骨を継ぎ合わせて作った組み立て式の携帯玉座(としか言いようがない物体だ)に座す小さな人影。

 その姿は、息を呑むほどにおぞましく、背筋が凍るほどに美しい。

 純白のドレスを着た銀髪銀目の少女。顔立ちはあどけなくも思えるが、その目の奥に潜む、あまりに純粋であるが故に狂気としか表現しようがない冷たい輝きをリエラミレスは見て取った。

 彼女は、真紅の宝石を削り出したような奇妙な剣をその場に突き立てていた。ドレスのスカート部分には軍旗と同じ血の薔薇が描かれ、彼女の細い首には首輪のように朱い痣のようなものが浮かんでいた。


 商売のため人里に出入りしているエルフから話を聞いて、長老会議もリエラミレスもようやく彼女の名を知った。

 北より訪れし災厄……"怨獄の薔薇姫"。


 誇り高き部族の戦士としてあるまじき事だが、人形を通してこの場に居るだけでリエラミレスは震えが来そうだった。

 呼び出されたからと言ってこんな場所にノコノコ出かけていくのは、本物の馬鹿か自殺志願者くらいだろうと思う。


 アラスターは背後に座す"怨獄の薔薇姫"を見やる。

 彼女は全く反応したように見えなかったが、アラスターはなにかの答えを得たようだった。


「……ふん。仕方ない、では少し譲歩しよう。

 あれを」

「はい」


 猫耳吸血鬼が天幕の隅に置かれた箱から、二枚の紙切れを持ち出してテーブルの上に置いた。


「せめて顔を見せたまえ。使い方は分かろうな?

 この場所であれば森の端から通信が届くだろう」


 それは二枚の札を組み合わせて使い、相手に声と姿を届けるマジックアイテム。

 幻像通話符(ヴィジョナー)だった。


 * * *


 幻像通話符(ヴィジョナー)が起動されたのは、蔓草の人形が二枚組の片割れを持ち帰ってから、大分時間が経ってからだった。

 おそらくは呪いが掛かっていないかなどを調べていたのだろう。


 天幕の中に半透明の人影が立っていた。極彩色の鳥の羽根や、獣の骨と牙で全身を飾ったエルフの老人だ。髪はつるりと禿げ上がり、関節が膨れて見えるほどに全身満遍なく痩せている。

 枯れ木のような老人、という形容はよく使われるが、それ以上に枯れ木を連想させる何かが彼にはあった。しかし、それは決して朽ち果てているという意味ではない。

 身体は細く痩せ衰えていても、その佇まいからは重ねた月日が見て取れる。煮ても焼いても食えない老人という風情があった。


『お初にお目に掛かる。

 我は"岩壁に這う白蛇"の部族の教導師、ジバルマグザ。

 森の外の者に分かるよう言うなら副族長という事になる。病に伏せっている族長の名代として、この場に参った』

「ご丁寧に痛み入りますわ。わたしはルネ・"薔薇の如きローズィ"・ルヴィア・シエル=テイラ。

 シエル=テイラ亡国の第一王女であり、お父様が身罷られて後は国王代理の身でもあります」


 ルネはスケルトン踏み台の上に立ち、テーブルの上の幻像通話符(ヴィジョナー)に片手を置いていた。その体勢のまま、スカートをつまんで軽く膝を折る礼をする。


 ルネが札に触れているのは単に、セットになっている幻像通話符(ヴィジョナー)に声と姿を届けるためにこうする必要があるだけで、ジバルマグザの姿はルネ以外にも見えているし声も聞こえている。


 ジバルマグザはルネの自己紹介を聞いて疑問に思った様子ではあったが、それを態度には出さなかった。

 しかし、続くルネの言葉には純粋に驚いた様子を見せた。


「わたしの願いはただ一つ。手を携え、帝国の脅威に立ち向かいましょう」

『……なんですと?』

「わたしはただ、この地にて一時の安寧を得たく思うのです。

 ですが、現在ケーニス帝国青軍は侵略を続けており、我が領土を脅かすことも時間の問題。

 なれば力を合わせて侵略に抵抗することこそ、互いの利益となりましょう」


 ジバルマグザはすぐに硬く引き締まったポーカーフェイスに戻り、睨むようにルネを見る。

 威圧するかのようでもあったが、ルネは意に介さなかった。


「わたしはあなたがたの森を奪おうとは思いません。

 ただそこに誠実な軍事同盟があれば良いのです。

 戦場で背中を預け合うことができるのでしたら、それ以上は求めません」

『……その話をする前に、ひとつ明確にしておかねばなりますまい。

 先だっての助勢は我らのあずかり知らぬ事。

 我らが求めたものではなく、求めるべき道理も無く、あなた方が勝手に戦場へ飛び込んできて勝手に戦ったまでのことであると』

「貴様、何を……!」

「ミアランゼ」


 ジバルマグザの言い草に色めき立ったミアランゼだが、一声たしなめられると借りてきた猫状態に戻った。


 森の存亡が掛かっていたとも言える、昨日の戦い。

 シエル=テイラ亡国は敗色濃厚なエルフたちに助勢し、帝国青軍に奇襲を仕掛けた。

 兵を殺して死体を掻っ攫い、大砲を鹵獲し、青軍が体勢を立て直した時にはもう姿を消していた。

 これによって青軍は一時撤退に追い込まれ、エルフたちは命拾いした格好だ。


 だが、ジバルマグザの立場としては、たとえ大嘘だったとしても足下を見られぬよう主張しておかなければならない。

 政治の世界では建前というのが重要なのだから。

 だからルネもこの程度で目くじらを立てはしない。


「おっしゃる通りですわ。ですが、あの一戦で我が国の力はご理解いただけたのではないでしょうか。

 ……いかにエルフの戦士たちが屈強と言えど、森のエルフだけで西軍と戦い続けるのは難しいでしょう。だからこそ、あなた方は人間の国と同盟を組んで西軍と戦った。

 ケーニス帝国の軍門に降った二カ国に代わる、新たな味方と手を結ぶべきではないかと考えますが」

『何か勘違いを……いや、都合良く忘れていることが無いかな。

 我らは人族であり、そなたらは魔物であろう』


 あまりにも当然すぎる前提の話だった。

 魔物と手を組んだり邪法に手を出した人族国家は、邪悪として断じられる。

 正統なる国家であるという神殿からの認定を受けられなくなれば、その国を侵略する大義名分となる。四方八方から領土を食い荒らされて影も形も残らなくなるだろう。


 だが、ルネは見抜いていた。彼の内心の動揺を。迷いを。

 幻像通話符(ヴィジョナー)の射程まで呼びつけられたジバルマグザは、この場には居なくてもルネの『感情察知』の射程に捉えられている。

 アンデッドと同盟を組むなどという、本来一蹴するべき提案を考慮するほどに追い詰められている。

 客観的にはもちろんそういった戦況なのだが、頭の硬い指導者層にさえ迷いが生まれているのだ。


「人族。

 人間。

 ……わたしも数ヶ月前まではそう呼ばれる存在でしたわ。そして、そんな自分に疑問を抱いたことも無かった。

 ですが、同じ人間によってわたしは殺され、人と呼べるものではなくなりました。

 神殿から正統王権として認められた僭主によって」


 ルネは、微笑む。

 ジバルマグザは硬い表情のまま、内心ではたじろいでいた。


「ケーニス帝国は『国家が力を付けることは邪神との戦いのためにも必要な事だ』とうそぶき、侵略戦争を進めているそうではありませんの。

 あなた方は、その建前論に殉ずるのですか? ケーニス帝国の糧となるため、森を差しだして死ぬのですか?

 それとも……」


 アンデッドと手を組もうともながらえるのか。


 『分かるでしょ?』と言わんばかりに、ルネは敢えて言葉を切った。

 モヤモヤとしたジバルマグザの心が読み取れた。


「もちろん、あなた方のお立場も理解しているつもりです。

 大々的に友好を宣言し、世界を相手取って戦うことはお嫌でしょう」

『当然だ!』

「ですので、これはあくまでも暗黙の同盟となります。

 この場で答えを出すようにとは申しませんわ。どうか里の皆様とご相談になってくださいな」


 ジバルマグザは黙りこくってしまった。『はい』とも『いいえ』とも言わなかった。

 断るには魅力的すぎただろうし、飛びつくには邪悪すぎる提案だっただろう。無言によって全てを保留した。


 溺れる者は藁をも掴む。シエル=テイラ亡国の戦力は、藁どころか頼もしい助け船だ。

 だが、その代償として何を払わされるのかという話になる。

 警戒するのも当然だった。


「それから……」


 ルネは少し、憂うように目を伏せる。


「悪意ではなく、何らかの不幸な行き違いがあるのではないかと考えておりますが……どうか、わたしたちへの攻撃を止めていただけませんか?」

『何ですって?』


 ルネの控えめなお願いに、ジバルマグザは当惑した表情を浮かべる。

 演技ではなさそうだった。


 ――パターンB。


 ルネは思考によって配下のアンデッドたちに、ある指示を下した。

 その直後だった。


『姫様、が来た!』


 そのタイミングでルネが持つ通話符コーラーにエヴェリスから白々しい緊急通信が入った。

 ルネと家臣たちは、にわかに警戒態勢になる。


 直後。

 白い爆発が天幕を吹き飛ばした。

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