[3-21] なんでこんなややこしい名前にしてしまったんだ

 その男、石枕せきちんと呼ばれる。


 彼は元々、山中の寺院にて格闘技の修行をする武僧であった。

 その寺院には『獣臥の行』と呼ばれる、廃れかけた修行法があった。

 数年がかりで野山を駆け、獣と魔物と大自然を相手に武を鍛える命懸けの修行だ。内容があまりにも厳しすぎることから、今では挑む者も少ない。しかし石枕はそれを完遂した。

 その修行を終えた際、野山で眠るため枕の代わりにしていた石を持ち帰って自慢の種にしたことから彼は石枕と呼ばれるようになった。


 ケーニス帝国は優秀な人材の発掘に積極的だ。

 当時の青将軍だった星環は石枕の師に、軍の切り札となるような逸材を求め、そして石枕に白羽の矢が立った。


 石枕はこの誘いを一も二も無く承けた。

 大陸最強の軍の一員となって戦場に身を投じることで、自分の強さが人々を守るのは素晴らしいことであるし、さらには戦いが己の武術を磨き上げることだろうと信じていたからだ。


 エルフたちとの戦いは、人間を相手にするのとはやり方が違う。

 目先が変わって良い経験になると思った。

 だが石枕はすぐに飽きた。

 エルフの戦法ときたら、全くもって合理的ではなく、負けが込んでも頑なに戦い方を変えない。

 やられているエルフたちも哀れになってくるほどだ。こんな戦いは早々に終わらせるに限る。


 奇妙な魔法を止めるため、単身突破を図った石枕は、見事に魔法の源だった術師を討ち取った。

 大手柄だ。褒美も出るだろうし出世にも繋がるだろうが、それは石枕にはどうでもいいことだった。むしろ、精鋭の戦士たちと戦えたのが嬉しかった。

 エルフたちの戦法はお粗末だが、長い寿命を戦いの修行に費やした強者と死合うのは心が躍る。この戦いは、石枕がさらなる高みへ昇るための糧となったことだろう。


 向かってくる敵を皆殺しにして、目標は達成した。さて、しかしこのまま単独で森の奥に攻め入るような考え無しではない。

 ひとまずは通話符コーラーで部隊長に連絡を取り、後は本体にやられて森へ逃げてくるエルフの掃討だろうか、と考えていたときだ。


 彼女が姿を現したのは。


 若い女だった。均整の取れた体つきで、艶やかな青黒の髪を頭の両側で団子状にまとめている。

 顔には何事か術式が書き付けられた札を貼り付けていたが、その札で隠し切れていない部分を見るだけで、少女めいた愛嬌のある顔立ちだというのは分かる。ただ、その顔は血の気が無く、悲惨なほどに蒼白だ。

 色鮮やかでひらついた、妖精か精霊のような道着は、しかし、百年の彷徨を経たかのように擦り切れてボロボロになり、いかにもアンデッドが身につけるに似つかわしいものとなっていた。

 そう、彼女はアンデッドだ。


 キョンシー。邪悪な術によって動き出した死体。

 生前に武術の達人だった者がキョンシーになると、恐るべき強さになるのだと言われる。

 血を飲むとか、噛まれた者もキョンシーになるとか言われるが、これは吸血鬼と混同されたものだ。ただ爪にも牙にも猛毒があり、むしろそれが問題だった。

 もっとも、彼女は巨大な手甲を身につけているため、爪の毒を恐れる必要は無いだろうが……


 その構えに隙は無く、漏れ出る邪悪な気配は彼女というアンデッドが生成された際に込められた力の強さを感じさせる。


 石枕は、冷たい氷の縄で手足を縛り上げられているように感じた。


 ――そんな、いや、まさか!


 何かを誤魔化すように、竜を模した巨大な手甲を打ち合わせ、石枕は礼の体勢を取った。


「その方、さぞや名のある戦士とお見受けする!

 我が名、石枕。

 修行名を紅童ぐどうと申す者。

 金泉の寺院にて師・狗琉くりゅう殿より教えを賜りし戦士なり!」


 朗々たる石枕の名乗りに、アンデッドは答えない。


「……名乗られよ!」


 彼女はただ、向かってきた。


「【軽身功ボイアントボディ】」


 どこか聞き覚えのある声で、静かに彼女は呟く。

 練体術を使うための鍵言葉だ。

 練技や練体術は通常の魔法と違って必ずしも詠唱を必要としないが、起動や切り替えを明確化するために鍵言葉を口に出すやり方もあって、石枕は……そして同門の者らも、そうするように師から教えられた。


「ぐっ……【軽身功ボイアントボディ】!」


 一人と一匹は雷光となって交錯した。

 地を蹴り、空を蹴り、舞い散る木の葉すら足場として。

 必殺の蹴りと手甲の一撃が打ち合わされる。


 それは石枕の武術ととてもよく似ていて、動きが分かっている分、受けるには易かった。

 しかし、敵もまた石枕の動きを最初から知っているかのようで、攻めるに難かった。

 他流試合や戦場での戦いは、要するに相手がこちらの動きを見きって慣れる前に倒してしまえばそれでいい。だが寺院の中で戦うときはお互いに相手の動きをよく知っているのでしばしばこういうことになる。


 ――嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ!!


 キョンシーの顔に貼り付けられた札は、それ自体に魔力が通っているためか身体の一部であるかのように非常に強靱で、額に張り付いた部分などはどんな激しく動いても剥がれない。

 だが、ひらひらと弄ばれる札の下に見える。


 面影が。


「つっ……!?」


 石枕の動きが乱れた。そしてそれは拮抗した戦いの中で無視できない躓きだった。

 敵の手甲が石枕を掠める。

 石枕のものと同じ、竜の手甲……いや、違う。


 ――この手甲、改造されている!? 何かが仕込まれて……


 常の石枕であれば、先入観に囚われず慎重に敵を観察したことだろう。

 だが、今の石枕はそうではなかった。

 彼女の札の下の顔を確かめようと、そればかりに必死で、他への注意がおろそかになっていた。


 手の甲からほんの少し、竜牙を模して突き出た部分が付け加えられていた。

 そして、それが石枕の肩を掠めた瞬間、不快な熱を石枕は感じた。


「ぐっ……!」


 肩が痺れながら燃えているようだった。

 キョンシーの爪が発するという猛毒。それが、籠手を通じて流れ込んだのだ。


 その傷と引き換えに、石枕は見た。


「……見えたぞ、札に隠れたその顔……っ!」


 アンデッドは隙無く構え、小揺るぎもせず石枕と対峙している。

 少なくとも石枕にはそう見えた。


「何故だ、踊華……いや、チェンシー……!

 何故お前がここにっ……! 何故、そのようなっ……!」


 毒で傷つけられた消化器から実際に血を吐きながら、石枕は血を吐くように叫んだ。


 チェンシーなる少女。……別れたときは少女であった。

 それを兄妹のような関係だったと言うべきか、少年らしい甘酸っぱい片思いだったと言うべきか、石枕は未だに答えを出せていない。

 風になびいて輝く髪。美しく流麗な技。太陽のような笑顔。共に見た美しい山。

 だが彼女は徐々に痩せ、笑顔は曇っていった。そして。


「お前が寺を去ってから……! 俺はただ! あの時の俺にもっと力があったらお前を守れたはずだと……!!

 くそっ! こんなことが! こんなことがあってたまるか!!」


 石枕は自分の人生全てが否定されたような衝撃を受けていた。

 いつの日か、どんな相手からも彼女を守れるようになって彼女を探しに旅に出たい。

 夢想だった。本当に実行する気があったのか、自分でもよく分からない夢想だった。

 だがそれは石枕の最も根幹にある、芯材のようなものの一つだった。


「教えの四。

 心を乱せば息が乱れる。息を乱せば技が乱れる」

「チェンシー……!」

「ごめんなさい」


 毒で動きが鈍った石枕の懐に、チェンシーが素早く潜り込んだ。

 そして、腰に溜めるような姿勢から、重く鋭い突きを石枕の腹部に叩き込んだ。


「ぐはっ……!」


 強烈な衝撃が石枕の身体の中で弾けた。

 見えている全てのものの輪郭が二重になったように思えるほどだった。

 同時に、石枕の身体にさらに猛毒が流れ込む。


 受身も取れずに転がった石枕。

 草を潰した汁を浴びながら無様に転がって行った先で、石枕は木に……

 ではなく、何者かの足にぶつかって止まった。


「ぐっ……流影るえい…………」


 あまりにも気配が薄いので石枕はそれが誰だか分かった。

 石枕と同じように星環に取り立てられた男、流影だ。

 全身を黒衣に包んだ不気味な男。石枕のサポートとして索敵に当たっていた彼が姿を現していた。


「……渡して。強い奴は殺して、姫様に捧げなければならないの」


 流影はチェンシーの言葉に一切取り合わず、何かを地面に叩き付けた。

 小気味の良い破裂音と共に、奇妙な色の煙が立つ。

 いわゆる煙幕。それも、魔法的感覚まで狂わせる高級品だ。


 煙幕を張るなり流影は石枕を肩に担ぎ上げ、俊敏な動作で木々の枝を渡り始めた。


 ――何故だ、何故だ、何故だ……


 心の中でうわごとのように繰り返しながら、石枕の意識は遠のいていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る