[2-64] 英雄は運命に挑む

 生きた人の気配が固まっていたので、ルネは礼拝堂の様子を見にやってきた。

 抜け穴もあるとか無いとかいう話。ジスランが密かに紛れ込んでいるという可能性もあると思った。


 ジスランとの戦闘で壊した覚えはないのに、何故か入り口には大穴が開いていた。

 そこから入っていくと、まさに生存者たちが抜け穴から避難している真っ最中。

 『第二騎士団長が降って来た』という怪しげな通信を最後に連絡が途絶したアンデッド部隊は、残骸となって床に散らばっていた。


 一段高くなった礼拝堂最奥に生存者が集まっている。

 鎧を着た騎士たちに、城の使用人らしき者らに、魔動機械(アーティファクト)の隻腕で剣を取る騎士・バーティル、そして。

 いつか見たようなリボンまみれの赤い服を着た少女、キャサリン。祈るように手を組み合わせたまま、彼女はじっとルネの方を見ていた。ルネにとって、あまり会いたい相手ではなかった。


 ルネは手早く用件を済ますことに決めた。


「ジスランはどこ? 正直に答えたら見逃してあげてもいいわよ?」


 お為ごかしだった。

 今夜はもう殺しすぎている。ルネは殺すことに倦んでいた。少し休憩が必要だ。

 作戦行動上必要な殺人なら別として、大勢たいせいが決したこの状況で無駄な虐殺をする気分ではない。


 しかし、それを悟られては"怨獄の薔薇姫"の威信に関わる。そこで取引を持ちかけるような言い方をしたのだ。


 ルネが一声発するだけで人々は恐れおののく。抜け穴に入ろうとしていた者までが、本能的に逃げ込むよりも足をすくませ動けなくなった。

 彼らの恐怖を味わいたいと思ったが……今ここで『感情察知』の力は使わない方がいい。もしジスランが引っかかったら危険だ。


「……こちらには居りません」


 口を開くことさえできない様子の人々の中で、平然としているバーティルが答えた。

 顔を合わせるのは王都以来だが、ルネにとっては半分内通者のようなもの。

 殺されないという確信があるから平然としているのだろうか。……いや、この男は危険な状況だろうがなんだろうが表面的には平然としていそうだが。


「本当に? 変装して紛れ込んできたりとかは? 誰か駆け込んできたりしなかった?」

「来たのはキーリー伯爵の騎士たちだけですな」


 なるほど、確かに先程まで城壁上でブラッドサッカーの侵入を阻んでいた騎士たちがキャサリンの周囲に侍っている。

 疲労困憊した様子の騎士たちだが、それでもキャサリンを守るべく剣を抜いていた。


「そこの騎士たち。前に出なさい。変装したジスランが混じっていないか、検めるわ」


 姿を消したジスランはどこに行ったのか。

 例えば、騎士をひとり捕まえてそいつを殺すなり食うなりして、鎧兜を奪って身につければ騎士たちに紛れてこっそり逃げられるだろう。

 姿を変える魔法やマジックアイテムは多いし、もしかしたら食った相手に化ける力なんかも持ち得ているかも知れない。


 騎士たちは顔を見合わせる。どう対応するのが正しいのかと考えているのだろう。

 勝てないのは分かっているはずだ。彼らが見ている前で伯爵一家が惨敗したのだから。

 しかし要求に応じるのが正しいかどうか迷うのも当然であって。


「待って!」


 そんな中、キャサリンが声を上げた。

 騎士たちに声を掛けたのではなく、ルネに向かって言った。


 ――……何をする気?


 ルネは少しだけ怖かった。


 唐突に、前世でプレイしたゲームのことをルネは思い出していた。

 悲劇的な結末を迎えるサブイベントを敢えてクリアせず、登場人物が不幸になる前の段階でイベント進行を止めて放置した思い出があった。

 キャサリンとの関係は、そういうものでありたかった。


「お嬢様!?」

「お下がりください!」


 騎士たちがキャサリンを引き留めようとして、それを押しのけるようにキャサリンは進み出る。

 キャサリンは震えていた。震える自分を抱くようにしながら、ルネの方にやってきた。


「ルネ。いつかのお返事をいただけますかしら。

 ……あなたは、わたくしのお友だちになってくださいます?」


 奇怪なことを、キャサリンは言った。

 灰と紅の目で真っ直ぐにルネを見て。


「何の話?」

「とぼけないで! もう私は知っているんですのよ!?

 私はあの言葉をイリスに言ったのではなく、『夜ごとのおしゃべりをしてほんの少し仲良くなったつもりの子』に言ったのですわ! それが本当はイリスではなくあなただったのだと、後から知っただけですわ!」


 やはりキャサリンは気付いていた。あの日会ったイリスは、ルネだったのだと。

 だとしても何故、それを知った上で『友達になろう』などと言えるのかがルネには分からなかった。


「いつぞやの私は……しゅくじょとしてあるまじきことに、ぐちを言ってしまいましたわね。

 ルネ、あなたのことも私に教えてくださいません? 不幸に思ったことをひとりで抱え続けていては……辛いはずですわ」


 『愛』と呼ぶほどには重くない、友人としての気遣いと優しさがキャサリンの声音には滲む。

 目の前の少女ルネが既に大勢の人を殺し、これからも殺す予定があり、今まさにシエル=テイラを滅ぼさんとしていることは忘却の彼方に追いやったかのような物言いだ。


 予想外だった。敵意を向けるならまだしも、こんなことを言うなんて。


「どうして……! どうしてそんな脳天気に踏み込んでくるの!?

 まだ聞いてないの!? わたしは、あなたの家族を殺したのよ!?」


 ルネは結構本気で苛立っていた。

 差し伸べられた手をたたき返すように、自らの所業をキャサリンに突きつける。


 傍らに寄り添う誰か……奪い去られ、二度と戻らないはずのもの。

 要するに『寂しさ』の問題だ。それを埋めるという意味では母であれ友であれ同じなのかも知れない。

 それはルネにとって最も触れられたくない傷だった。


 己の救いに背を向けて復讐の道を歩むとルネは決めた。

 だからと言って、痛いものは痛いし辛いものは辛いに決まっている。

 砂漠をさまよう者に蜃気楼のオアシスを見せるような、紛い物の救いをちらつかせ同情した気になっているなら許さない。それは復讐者としてのルネを揺るがせる空虚で悪辣な誘惑だ。


 しかし、キャサリンはルネの言葉に驚きさえしなかった。


「もう、聞きましたわ……」

「えっ!?」


 ルネは今度こそ耳を疑った。


「こんなにも誰かをにくく思ったのは、初めてですわ……血がもえているみたいで……あなたをつかんで、引きさいて、炎の中に投げ込んでしまいたい……」


 小さな淑女としての、教育と矜恃の賜物か。その口調は静かであった。

 けれど、震えて、炎のような怒気が混じってもいる。


 『感情察知』の力に頼りすぎ、ルネは『感情察知』無しで人の感情を読むことをおろそかにしていた。

 一度気が付いてみればあからさまだった。

 乱れる呼吸。食いしばった歯。叩き付けるような視線。

 キャサリンは、恐怖ではなく怒りのあまり震えていたのだ。


「でも、あなたをにくんで戦えば……私は弱いですもの、死ぬだけですわ。剣をふる力も、魔法の才能も無いのだから、死ぬだけですわ。

 私は、あなたに殺されたたくさんの人のうちのひとりにしか……なれないことでしょう。

 それでは……いけませんの……」


 キャサリンは、右手で左腕を掴んでいた。強く、強く。

 手入れされ磨かれた爪が、柔肌を貫いて。

 白い肌の上を赤き血が流れ、指先から滴っても、強く、強く。


「だから、私は……! にくむのではなくて、あなたを救いたいと思った自分を信じる!

 だから…………」


 その時、キャサリンは握手を求めるように手を差し出そうと、したのかも知れない。

 結局キャサリンは手を出せなかった。

 血塗れた手をルネに向けたくなかったのか、怒りと憎しみをこらえるのに精一杯で手がこわばって動かなかったのかは、分からないけれど。


「どうか、あなたのことを聞かせてくださいません?

 ……お友だちになりましょう、ルネ。私には……それだけしか、できませんもの……」


 精一杯の笑顔を作って、キャサリンはそう言った。

 その言葉には全てが含まれていると、ルネは思った。

 ルネを止めなければならず、ルネを救わねばならず、ルネを倒さねばならず、ルネを罰さねばならず、ルネを赦さねばならないという意思。父への弔いかも知れないし、領主令嬢としての義務感かも知れないし、ただひとりの人として理非善悪を判断した結果であるのかも知れない。

 小さな手には抱えきれないほどの願いを抱えようとして、幼く非力なキャサリンが言えた言葉は『お友だちになりましょう』だけだ。


 ルネは大砲が直撃したような衝撃を受けていた。

 身動きできなかった。


 キャサリンは憎みながらも憐れみ、怒りながら慈しもうとしていた。

 "怨獄の薔薇姫"としてのルネはいざ知らずとも、ただの少女としてのルネを認めようとしていた。

 それは、ルネの心が求めているであろうもの。

 復讐の誓いと引き換えにルネが置き去りにしてきた『救い』の形だった。


 だが。

 喜んだり悲しくなったりするよりも、むしろルネは恐怖していた。

 強大な力を前に、脅え竦むかのように。

 "怨獄の薔薇姫"が、ただの小娘に。


 ――どうして? 本人が言う通り、キャサリンには剣を振る力も魔法の才能も無い。なのに、なのに……


 ルネを想うがためルネに牙を剥いた、とある救済者の姿が。

 キャサリンに、重なる。


 ――今、ここで……! 絶対に殺しておかなければならないという気がする……!


 戦う力も持たず、父さえ喪ったキャサリンに何ができるのか?

 分からない。分からないが、これは確かな予感だ。

 その精神性によって、彼女は何かを為し得てしまう。

 彼女はルネの脅威になる。大きな壁となって立ちはだかる。

 ならば、摘み取らなければならない。

 どれほど惜しくても摘み取らなければならない。

 彼女キャサリンという存在が結実する前に……!!


 その瞬間、だった。

 それは、悪魔的な偶然だった。


 ルネの頭の中に警報が鳴り響いた。最悪の横槍が入った。決して、絶対に、何が何でも無視することのできない横槍が。


「これって……まさか!」


 即断だった。

 ルネは、この場を放棄した。

 キャサリンもジスランもどうでもいい。

 報せられた事件に比べたら……些事でしかない。


 ルネは肉体を捨てた。

 脱ぎ捨てられた肉体は、首を切られた少女・メーリの死体となって倒れる。

 魂のみの姿となったルネは全速の飛翔でテイラカイネを後にした。


「ルネ!?」


 戸惑った様子のキャサリンの声を、置き去りにして。

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