[2-63] 失ゥコトノ 堪ェ難キ痛ミニモ

「居ない……」


 破壊の限りを尽くされた侯爵居城は、戦闘が終わってみれば巨大な竜の骸のようにも見えた。毟るように壊された城館はあばら骨を晒しているかのような風情だ。

 崩れた城壁に、抉られた地面。水で押し流された家畜小屋の残骸らしきものも壁際に漂着している。


 巨大なものが暴れ狂った痕跡と分かるぬかるむ地面の中に、しかしジスランの巨体は存在しない。

 ダメージを肩代わりして血まみれになった、団子状の白い肉塊がいくつか残っているだけだ。


「人化してどこかに隠れたのかしら。

 ずるいわ、わたしなんて一度肉体をアンデッド化したら人族の身体に戻れないのに」

『居りマせんカ』

「ええ。肉片の残りが転がってるだけ」


 まさか肉片に化けて隠れているわけではないだろう。

 ちなみに肉片は、念のためトドメを刺した上で回収する予定だった。また同じような聖獣と戦う機会があるかも分からないのだし、分析班(今のとこ人員は若干一名)に回しておくべきだ。


「アラスター、外に逃げた様子はなかったの?」

『城を包囲すル各部隊ノ隊長に確認致しマシたが、そレらしキ人物を見タといウ報告はごザいませン。

 魔法やマジックアイテムで身ヲ隠しテイたとシたら分かリかねマスが』

「……ちょっとブラッドサッカーに足跡を探させてみるわ。ジスランが消えたのって、わたしの身体を潰してすぐよね?」

『はイ』


 人に化ければ聖気と巨体を隠せるようだが、足跡まで消すのは容易ではない。

 幸いにも辺りはぬかるんでいるのだから、何かの痕跡が残っているかも知れなかった。


 ルネが率いてきたブラッドサッカーたちは、ジスランの拳でひしゃげた城壁の方へ向かって行く。

 自分たちの足跡で痕跡を消してしまわないよう、濁った目を皿のように見開いて辺りを確認しながら。

 単純作業と人海戦術に強いのもアンデッドの特長だ。


「ジスランがただの聖獣なら、『感情察知』の力で探せたんだけどね。よりによってなんだもの」

『市街地でモ展開スる全戦力によッて捜索致しマシょう』

「お願いするわ。聖獣の駆除も続行するように」


 通話符コーラーを停止し、ルネは溜息をつく。


 当初、ルネはジスランを政敵として誅するためやってきた。だが、今のジスランはどう見ても正気を失っている状態だ。まさか、ルネにとってもうひとりの標的であるエドフェルト侯爵を自ら食ってしまうとは。


 誰がジスランをこんな風にしたかは分かる。大神の意思を宿した、あのモルガナという老婆だ。何故か今はノアキュリオ軍に捕らえられ、本国に送還されるためウェサラへ送られたという話だが。

 彼女は聖獣製造者であり、自らも心に大神を映し、おそらく聖紋スティグマを他者に刻むこともできる。

 しかし何故こんなことをしたのか……あるいはさせたのかが未だに見えてこない。


 確かなのはジスランがザコ聖獣とは違い、神の思考回路の劣化コピー品をインストールして動いているということだ。それならば何が何でも惨殺しなければなるまい。


 ――……考えててもしょうがないわ。わたしもジスランを探さなきゃ。


 ルネもまた、周囲の気配を探りながら見回り始めた。


 *


 礼拝堂に届く戦いの音は、いつしか止んでいた。

 抜け穴は狭い道だ。前の者が進まなければ入れない。まだ逃げられず礼拝堂に残っている人々は息詰まる沈黙の中、じっと耳を澄ませていた。次に何が起こるのか、起こらないのか備えていた。


 すると何やら、ぬかるみを歩く足音がいくつか聞こえてきて、外に通じる扉があった大穴の前に、数人の人影が姿を現した。

 泥で汚れた銀色の騎士鎧。怪我か疲労か、ふらつく足取りで転がるようにやってくる。

 彼らが何者なのかは鎧の胸部に描かれた紋章で識別できる。


「お、お嬢様!」

「皆さん!」


 キャサリンが進み出て出迎えた。

 彼らはオズワルドが率いてきた手勢の騎士たちだ。

 騎士たちは倒れ込むようにキャサリンの前に跪く。


「ご無事だったのですね」

「は、はい……しかし、は、伯爵様が……っ!」


 喉に詰まったように騎士の言葉が途切れ、キャサリンの顔がさっと青ざめた。


「お父様が……?

 お父様は、どうなったのです! 何が起こったのです!? お兄様は!? お姉様は!?」


 鎧の肩を掴んでキャサリンがガクガク揺すぶると、ようやく騎士は言葉を絞り出した。


「ハドリー様、スティーブ様、そしてプリシラ様は勇敢に戦われ……"怨獄の薔薇姫"に討たれ、命を落とされました」

「そんな……」


 キャサリンは祈るように胸元で手を握り合わせる。何かを探すように視線がさまよった。


 倒れないだけ立派、と言うべきか。あるいはまだ事態を受け止めきれていないのか。

 キャサリンは絶望的な戦いに家族を送り出し、いっぺんに失ってしまった。その衝撃はいかばかりか、心中を察するに余りある。


 しかし、続く騎士たちの言葉はさらに衝撃的なものだった。


「ただ、その後、奇妙な……いえ、おぞましいことが……

 謎の聖獣が突如として現れ……ああ!」

「伯爵様を! 伯爵様を頭から!」

「え……?」


 キャサリンは驚くとか驚かないではなく、何を言っているのか分からないという顔だった。

 聖獣が、オズワルドを、食ったと。


 傍で聞いていたバーティルは、もちろん驚いていたし同情もするし惜しい人を亡くしたと悔やみもする。それと同時に、この事態が何を意味するのか冷静に考えてもいた。


 ――突如現れて俺たちを食おうとした聖獣。市街地で生存者を襲って食い殺した聖獣。そして……

   こりゃ殺すのが目的じゃねぇな、多分。どっちにしてもろくでもねぇ話になりやがるわけだが。


 最初バーティルは、聖獣が狂乱あるいは暴走し無軌道に暴れ出したものと考えていた。

 しかしこれはどちらかと言うと、何か別の目的のため一斉に動き出したと考える方が正しいように思えた。

 目的が何なのかはまだ分からないが、それは聖獣たちにとって市民の命よりも大切な何かということになる。


「戦いの音が急に止みましたが、外はどうなっています?」


 バーティルの質問に、騎士は震える声でどうにか答えた。

 彼らもまた主を目の前で失っている。そんな中で絶望的な戦いからどうにか逃げ出してきたという重苦しい倦怠感に満ちていて、『這々の体』という表現が似つかわしい有様だ。


「……謎の聖獣が"怨獄の薔薇姫"と戦っておりました。

 何が起きているのか、傍で見ていても分からないような戦いだったのですが……聖獣が"怨獄の薔薇姫"を叩き潰したと思ったら、間もなく聖獣も姿を消してしまい……」

「両方消えた、ってのか……姿を消したと言っても、それはどのように?」

「分かりません……我々も、侵入しようとするアンデッドの軍勢と必死で戦っておりましたので。急にアンデッドが攻めてこなくなったので、その隙に辛うじて撤退致しました」


 床を見ながら訥々(とつとつ)と騎士は語る。


 ルネはおそらく倒されたわけではないだろうと見当を付けるバーティル。

 身体を乗り換える力があるのだと既に分かっているのだから当然の推測だ。

 

 聖獣は邪気に敏感だ。

 もしルネが街のどこかで身体を手に入れているとしたら、それを追っていった可能性もある。

 あるのだが、しかし姿を隠した理由がよく分からない。


 魔法で姿を隠したのか、それとも人の姿になって隠れているのか。

 不意打ちでも狙っているのだろうか。『感情察知』の力がルネにあるのだとしたら、不意打ちが通じるとは思わないし、だいたい聖獣は真っ正面から戦う性質タチに思えるのだが……


「もはや城壁も用を為しません。あと少し戦いが続いていたら、我々も皆、討ち死にしていたことでしょう」

「ゆえに……任を果たせず、主たる伯爵様もお守りできなかった恥を忍び……お嬢様をお守りするために戻って参りました」


 無念の涙を流しながら、騎士たちは声を振り絞る。


 ――聖獣の動向を探っている余裕はないな。


 戦闘は何故か小康状態になっているが、事態は何ひとつ好転していないというのがバーティルの認識だ。ここは未だに危険だろう。

 つまり生存者が増えただけであって、為すべき事は変わらない。逃げるだけだ。


 欲を言えば聖獣が何のために行動しているのか掴んでおきたかったが、おそらくそんな余裕はない。それよりもバーティルにとって大切なのは、この礼拝堂で起きたことの分析だ。

 バーティルはルネの命令でこの礼拝堂にも『隔絶の楔』を仕掛けていた。つまり、ルネはこの礼拝堂もブラッドサッカーを増やすための苗床にする気だったのだ。

 しかし、何故かそれは成らなかった。原因が何だったのか、単にルネの気が変わったのか。もし何かルネに対抗する鍵があるのだとしたら探り当てなければならない。

 そのために必要なのは生存者の証言を掻き集めて繋ぎ合わせることだ。生存者はひとりでも多い方が良い。


 ――あとは……避難が済むまで何も起こらないことを祈るだけ、か……


 だが。戦場において、祈りというものは得てして最悪の形で裏切られるのだ。


 バーティルは急に、空気が全身にのしかかってきたかのように感じた。

 清らかな聖気が漂っていたはずの礼拝堂に禍々しい気配が満ちる。

 聖水作りで薄まってしまっていた聖気が、邪気に競り負けて掻き消されたのだ。


 ただ気配だけで歴戦の騎士であるバーティルを戦慄させるほどの重圧プレッシャー

 この感覚には覚えがあった。

 王都が陥落した日、バーティルは彼女にまみえているのだから。


 ――おいおい……やめてくれよ。俺まだ死ぬわけにゃいかねーんだけど?


 地に堕ちた銀の月が礼拝堂の入り口に立っていた。


 硬質で高貴な輝きを宿す、長く美しい銀髪とつぶらな銀目。

 可愛らしくあどけない顔立ちだが血の気がなく、細い首に入った切れ込みとそこから流れ出した血は、彼女が尋常の存在ではないと示す。

 その手には真紅の宝石を切り出して作ったような剣。

 着ているのは白茶けた色をした庶民的なワンピース。そのスカート部分には鮮烈に赤く、鮮血の薔薇が描かれていた。


 ルネ・"薔薇の如きローズィ"・ルヴィア・シエル=テイラ。

 ……"怨獄の薔薇姫"だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る