[2-57] ドラム式節水地獄
エヴェリスがルネの依頼によって作ったオリジナル魔法、≪
洗濯消毒殺菌消臭、しっかりすすいでパリッと乾燥。これひとつで洗濯機要らずな一家に一台の魔法だ。
いろいろと機能を詰め込んだため、生活的な魔法のくせにかなり習得難度が上がってしまったのだが、あくまでルネが自分用の『証拠隠滅魔法』として使うものなので問題無い。
さてこの≪
つまり、汎用性を重視している一般の魔法と比較して『空中に大量の水を留めてグルグル回転させる』という効果を得るに当たっての魔力変換効率が高い魔法ということになる。
さらにこの魔法、ルネの『ベッドマットでも洗えるように』というリクエストにエヴェリスが悪ノリし、魔力をつぎ込めばつぎ込んだだけ効果範囲が無制限に肥大化していくという世界最悪の丸洗い機能が付随している。
堀の水を全部汲み上げてルネが使った≪
巨大な水球は渦を巻きながら落下し、城壁の一画を呑み込んだ。
地脈から魔力を汲み上げて魔法防御力を備えた城壁と言えど、魔法ではない本物の水を使った高水圧には耐えられなかった。回転する水の流れに巻き込まれた城壁は徐々に抉られて、濡れた石が空中渦潮から弾き飛ばされていく。
そんな中で、城壁の上に立っていたオズワルドたちが無事なはずはない。
洗濯機に飛び込んでしまった羽虫のように、渦巻く激流の中でただ翻弄されるだけだ。
窒息状態になることで体組織が受けるダメージは聖獣が肩代わりできるだろう。しかし人は呼吸をしなければ身体が動かない。呼吸不要のアンデッドであるルネとは違うのだ。
もちろん歌も歌えない。
全員が巻き込まれているのを確認してから、水の中に居たルネはデュラハンの姿へ変ずる。
骨だけだった身体が肉の重みを取り戻し、浮力を得た。アンデッドの肉体は感覚が鈍いが、それでも素肌に直接触れる水はキンと冷たく感じた。
ルネの変身と同時に、渦巻く水の流れから滝のように水が流れ落ちていく。辺りを冠水させ、えぐれた城壁の隙間からカラッポのお堀へ流れ注いでいく。
魔力にブーストが掛かっているリッチの姿から、逆に魔力が落ちるデュラハンの姿になったため、コントロールしきれなくなった水が溢れ出しているのだ。
幾分か小さくなった宙に舞う激流は、しかし依然として、人を行動不能にするには充分すぎた。
イルミネイターが水球に聖気のブレスを吹きかける。しかし聖気は水に阻まれて霧散し、ブレスは湯気になっただけだった。これがファイアブレスだったら多少の効果を発揮したかも知れないが、まず聖気ありきのブレスでは熱量が足りない。
ルネは片手で頭を押さえながら、激流の中を渾身の力で泳ぎ、ワカメのように広がった蜜柑色の髪を掴んだ。
プリシラだ。冠のように髪を編んでいた彼女だが、激流の中で既に解けてしまっていた。
「~~……~……!」
ルネの肌の上で何かが爆ぜた。
プリシラが苦し紛れに放った神聖魔法だ。
だがそれはルネの肌を僅かに焼き焦がしただけだった。
プリシラは
ルネはプリシラを無理やり引き寄せると、彼女の腰を両足で挟み込んでホールドした。腹の上に座るような格好だ。
そしてルネは片手で頭を押さえたまま、もう片方の手で赤刃を生み出し、プリシラを斬った。
激流に翻弄されながらではあるが、それでもルネは力尽くで刃を立てる。
法衣が切り裂かれた。プリシラは無傷。聖獣が傷を肩代わりしているのだ。
構わずルネはもう一度斬った。プリシラは無傷。
斬った。
斬った。斬った。
斬った。斬った。斬った。斬った。
斬った斬った斬った斬った斬った斬った斬った斬った斬った。
そして遂にルネの赤刃は肉を裂く感触を得た。斬り付けられたプリシラの胸元が、釘ででも引っ掻いたように小さく傷つく。
――聖獣が尽きた!
即座にルネは剣を引き、弓を引き絞るように深く構え、プリシラの豊満な胸部の下、鳩尾辺りを狙って深々と突き込み貫いた。
「~~~~~~~~!!!」
プリシラが悶え、泡と共に血の塊を吐いた。
透き通った水の中に赤いものが浮かんで、広がり、激流に巻き取られてすぐに消えていく。
ほんの一瞬、スパークするように強い聖気の気配をルネは感じた。
儀式による魂の保護。悪しき者に魂を奪われぬよう生前に神と交わす契約。
なるほど高位聖職者の卵であるプリシラがそれを受けていないわけがない。
つまりプリシラは死んだ。
ルネは即座に≪
宙で渦巻いていた水が重力に絡め取られ、落下する。
まさにバケツをひっくり返したように、辺りに水が降り注いだ。
「げぇっほ! うえっ! げほっ!」
ぬかるむ地面の上に投げ出されたスティーブが咳き込んで水を吐き出す。
この状況で心臓マッサージや人工呼吸が不要というだけでも充分に凄いのだが、それでもさすがに急には動き出せない。
「げほっ! げっ……げぼおっ!!」
そのスティーブの上にルネは降って来た。
≪
水を含んだ長い銀髪が、鞭のようにぴしゃりと打たれた。
鎧はやすやすと突き破られ、ルネは大地を突き刺した。
地面のぬかるみと入り混じり水っぽくなった血が辺りに染み出した。
魂が回収される気配がした。
「うっ……ぐ、ご、護符を……」
兜から水を吐きながら辛うじて身を起こすハドリー。胸元をまさぐるような仕草をする。
護符だろう。あの激流の中でも、鎧の内側に仕込んだ護符は流されなかったと見える。
ルネの赤刃は魔法ダメージ。護符で防御すれば一時的にはしのげる。その判断自体は間違っていない。
ルネは赤刃を放棄した。手の中で形をなくした赤刃はルネの血に還る。
「≪
ルネがクイッと指で招くと、未だ激しく波立つ堀に、突き上げるような水しぶきが立った。
水の中から飛び出したのは、気配だけでもそれと分かる強大な魔法剣。テイラアユルだ。
それは磁石で引っ張られているかのように飛んでルネの手に収まった。
この魔剣にデュラハン形態でいる時の力と剣技が合わされば、大抵の鎧は斬れる。
ルネはテイラアユルを構え、足首までの水を蹴立てて疾走する。
「くっ……!」
剣を流されているハドリーは、籠手を着けた両手を構える。
腕で防御しつつ殴る構えだ。
勝てるわけがない。
立ち上がることすらままならず、ようやく半身を起こしたような状態だというのに。
突き出された拳を叩き割るように斬る。両腕を籠手ごと叩き切る。胸当てを斜め十字に斬る。腰を輪切りにする。胸を貫く。面覆いのスリットからテイラアユルを突き込む。首当てごと首を落とす。駆け抜ける。
魂が回収される気配がした。
背後でハドリーだったものが崩れ落ちる音を聞きながらルネは駆け抜ける。
オズワルド目がけて。
「何たることか……!」
オズワルドの悔やみと絶望が伝わってくる。
それは本来アビススピリットにとって大好物とも言える感情。全身で甘さを感じるような、人ならぬ身であって初めて味わえる快楽。
しかしルネはオズワルドの絶望を味わい貪る気にはなれなかった。
――せめて少しでも恨んでくれたら、もう少し殺しやすかったのに。
分かっていたはずだ。これは全ての救いを自ら切り捨てて進む戦いなのだと。
どんなに心が軋んでも、足を止めたりはしない。
足を止めたりはしないけれど、それでも心が軋む。
テイラアユルを一振りし、血脂を払い落として構え直す。
オズワルドを殺すのは簡単だ。彼もまともに動ける状態ではなく、もとより息子たちのように剣に秀でているというわけでもない。この剣でただ一突きすればいい。
だが。
ルネは急ブレーキを掛けた。
足が滑って転びそうになった。
反射的に『感情察知』の範囲を縮小し、停止する。
視てはいけないものを視てしまわないように。
モルガナの心と同じもの。
しかしそれはモルガナではなかった。
ぬかるむ地面に何かを引きずる音がして、そして、それは現れた。
大雑把に一言で印象を述べるなら『異形の聖獣』だ。
体高は三メートル、体長は六メートル程か。頭部が大きすぎて2.5頭身くらいに見える。
ナメクジのような形に肥大化した真っ白の下半身からはデタラメにいろんな種類の動物の足が突き出していて、それでガレー船をこぐように胴体を引きずって進んでいる。
例によって頭は黄金の仮面を被ったような姿だが、それは獅子とも虎ともドラゴンとも付かない歪で奇妙なもの。ピカソが薬をキメながら抽象画を描いたらこんな風になるかも知れない。しかも頭部は異様に大きく前後に長かった。裂けきった口には乱ぐいの黄金の牙が見え隠れし、生きた人族のフルコースを食べてきたかのように口の回りから胸元にかけてべっとりと鮮血で汚れていた。
その口にがっちりくわえ込まれている、偉そうな騎士鎧を着た巨漢は……トレイシーから聞いていた、エドフェルト侯爵ことマークスの人相に一致する。
「おの、れ……聖獣使いめ、我らを……
その言葉を残して、推定・マークスは謎の聖獣に食いちぎられた。
鎧ごと食いちぎられて、咀嚼され、飲み下されていった。
「敵襲か……敵、敵、テキ、てきてきてきてき、かみさま、の、てき……」
聖獣は耳まで裂けたような口でブツブツと、歪んだ声を出して呟いている。
泥を撥ね除け地を這いずり、意外なほどの素早さで、聖獣はオズワルドににじり寄った。
「なんだっ……これは……!」
「あー……たたかう……じすらん、たたかう……たたかう、ちから……にくたい……」
異形の大口ががばりと開き、そしてオズワルドの上半身が、自称・ジスランの口の中に消えた。
魂が回収される気配がした。
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