[2-55] この戦闘からは逃げられない!
「誰がヒルベルトを立たせたのかしら? 誰がわたしを殺したのかしら?
特定の誰かが原因ってわけじゃないわ。ヒルベルトの後押しをした世論、空気……そういう曖昧でふわっとしたものが元凶じゃないの? それは形が無いし命も無いから殺せない。
だからわたしは民を虐殺し、恐怖を刻む。
わたしに斬られて死ねばいいの。巻き添えで死ねばいいの。路頭に迷って寒空の下で死ねばいいの。治安が乱れて野盗に殺されればいいの。食い詰めて野盗に身を落とし駆除されればいいの。飢饉を救う政治を失って飢えればいいの」
絶句するオズワルド。
彼はルネの返答に驚いていた。民の死に様を蕩々と語り望むルネの姿に衝撃を受けていた。
現在ルネはヒルベルト派だった諸侯を殺害して回っているわけだが、その煽りを食って発生する国内の混乱も、過程において巻き添えを食う市民の死も、またルネの望む所だった。
オズワルドはそこを見誤っていた。市民の巻き添えはルネにとっても望ましくない犠牲なのだと、あるいは最悪でも『どうでもいいこと』なのだろうと見当を付けていたようだ。
知らない間にルネはずいぶんと買いかぶられていたらしい。
「もちろんヒルベルト派だった市民は喜んで殺すし、そうじゃなければ命乞いくらいさせてあげたっていいけど……本質的にそこはどっちでもいいのよ。いちいち確かめてもいられないし、わたしは大衆の中から特定の誰かを殺したいわけじゃないもの。
死んだ者はもちろん、生き延びた者の人生にも消えることのないおぞましい汚点を残す……そのための虐殺よ」
「それでは……滅茶苦茶です。道理が通りませぬ! クーデターを良しとしなかった者や、関わりようがない赤子までも死ぬことになる」
「
個々人ではなく
「その不条理と身勝手を『悪』と呼ぶのよ」
突き刺すようにルネが言い捨てると、オズワルドはただやりきれない感情と共に手を握りしめる。
「わたしの願いは復讐の成就。結果がフェアかどうかなんて最初から考えてないわ。
「なんという……」
なんだか口が回りすぎている気がした。
別に嘘をついてはいないのだが、なんだか無闇に『悪』ぶっているという気はした。
誰からも見捨てられるような『絶対悪』にはなりたくないはずなのに。
――なんて子供じみた考えなのだろう。わたしは……オズワルドを試しているんだわ。
ルネを『ただの敵』として切り捨てなかったオズワルドが相手だからこそルネは確かめたかった。
自らの悪性をことごとく曝け出し、それでも許し憐れんでくれるのかと。
まだ自分は誰かに愛される余地があるのかルネは確かめたかった。
それは、愚かな感傷だ。二度と会うことのできない母との絆を誰かに仮託してなぞり確かめる行為。
中途半端だとルネは思った。無情の復讐装置にはなりきれず、しかし、泣き叫んで救いを求める無力な子どもにはもはや戻れない。
それでもルネは戦うと決めたから、今……ここに居る。
「エドフェルト侯爵を裏切って、侯爵とジスランの首を私に捧げなさい、キーリー伯爵。
そうすればあなたたちの命は助けてあげるし、そうね……直ちに攻撃を止め、この街でまだ生きてる人の命も助けてあげるわ」
「御意には沿いかねます。それは、私には許されぬ選択です」
裏切りの誘いと言うより最後通牒としてルネが突きつけた問いには、すぐさま明瞭で決然とした答えがあった。
「あら。あなたは自分の
許される、許されないで行動を決めるのなら……この選択は許されるものだったの?」
痛いところを突かれた様子でオズワルドはぐっと言葉に詰まる。
彼の心に滲むのは、後悔の感情だった。
「……仕方のないことだと己を偽り、私は道に背きました。その結果が国内の大混乱です。
ただ権力を握るという目的のため多くの物事や手続きがねじ曲げられ、政治は乱れ、民はとばっちりを食った。殿下が王都を陥とさずとも、この国は遠からず破綻に直面していたことでしょう」
乱戦が続く歩廊の上、オズワルドに寄り添うように進み出る者たちがある。
鎧の上から伯爵家家紋のサーコート(ただしオズワルドのものほど豪華ではない)を身につけた騎士。オズワルドの次男ハドリー。
腕も胴もオズワルドより二回り太い粗野な雰囲気の前衛系冒険者らしき男。オズワルドの三男スティーブ。
白一色の法衣を着て金の錫杖を持ったどこかキャサリンに似ている女性。オズワルドの長女プリシラ。
彼らは油断なくルネと対峙しながら、じっと父の言葉を聞いていた。
「故にこそ私は誓ったのです! 『次』があらば一命を賭しても民のため無軌道を正すと! 力によって国が歪められる時、悲鳴を上げるのは民なのですから!
ここでエドフェルト侯爵を失えば、国の過半が軸を失いバラバラになりましょう! まして正式な手続きを踏んで皇太子候補に名乗りを上げる動きが脅かされることなどあってはなりませぬ!」
『国の形を守る』と、彼は言っていた。
制度、規則、法律、規律、建前……様々な秩序を共有することで国家は形を為す。決めごとを守り続けていれば、それで守れるものがあるのは確かなのだろう。予想の斜め上を行く事態は起こりにくくなる。
「ジスランを見捨てて『もうひとりの皇太子』の応援に付く……というのは?」
「諸侯会議の結果としてどちらかが選ばれるのであれば、それでようございましょう。しかし、『片方が殺害されたからもう片方に』などということになれば政治的な歪みが発生します!」
誘うようなルネの言葉にもオズワルドは揺らがない。
実際エヴェリスも、もし成り行きで西の皇太子候補が玉座に着くならシエル=テイラの政治的混迷は更に深まるだろうと予想していた。
まあ旧ヒルベルト派の諸侯をルネが皆殺しにしてしまえば対立構図自体が消えて無くなるのでひとまず目先の問題は解決されるが……まさかそれを織り込んで動くわけにもいくまい。特にオズワルドは。
「裏切る気はない、というわけね」
「ええ。
そして……どうやらここで殿下をお止めせぬ限り、殿下の手に掛かる民がまだ増えてしまいそうだ」
オズワルドは、一旦収めた剣を抜こうとせず、代わりに腰帯に提げたハンディサイズの竪琴を手に取った。マークスの町内放送を妨害し、未だ自動演奏で悲しげな音色を奏で続けている。
剣を持たないオズワルドに代わって、周囲を固める子らが戦闘態勢を取った。
「殿下のお父上を……そして殿下とお母様をお守りできなかったこと。この国の混乱を防げなかったこと、痛恨の極みにございます。
なれど、それとこれは別の話。私は諸侯のひとりとして万民のため戦わねばなりませぬ。
……退いてはくださいませぬか、殿下」
「愚問よ、オズワルド」
「おいたわしや……」
オズワルドは痛ましげにただ首を振る。
ルネを戦いに焚き付けた運命を呪うかのように。
彼の感情をルネは読み取っていた。それはアビススピリットが好む恐怖や絶望とはまた別の、甘露のような味。胸に火を灯されたように、じわりと熱を感じて。
「なれば武を以ての諫言、どうかお許しくだされ」
「勝てると思ってるのかしら?」
「勝たねばならぬのです!」
決意と共にオズワルドが指先で弦を弾くと、竪琴の演奏が切り替わった。
アップテンポで勇壮で悲壮な、死を覚悟した戦いへ向かう戦士たちの歌に。
「……りがとう」
聞こえないよう小さな声で、ルネは言った。
オズワルドは課せられた責務と己の信ずる正義を全うするため戦いを決意した。
だがそれでもなお彼はルネを『道行きの先にある邪魔なもの』とか『忌み恐れるべき外敵』とは考えていなかった。
――ありがとう、わたしを見捨てないでくれて。
そして死になさい。
「護符を止めろ、お前たち!
……≪
「「「
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