[2-26] 年上の男の娘

 煉瓦色の酒場には、酒と煙草と、焼ける肉の匂い。そして喧噪が満ちていた。

 安酒場よりはちょっとマシという程度の、最低限の品格と矜持を死守している雰囲気の店。


「おいマルコム、お前もこっち来いよ」

「悪いな、これから歩哨当番だ。身体を温める程度に飲んだらおいとまするさ」


 偶然来ていた顔見知りの誘いを断り、マルコムは壁と向かい合ったカウンター状の席に座った。


 マルコム・ストライドはノアキュリオの騎士爵。平民出の専業軍人に騎士爵の位を与える制度はシエル=テイラと同じだ。今の彼は輜重しちょう隊、つまり兵站を預かる部隊に所属している。

 前線に出る部隊を下支えするのが輜重隊の仕事。気楽な仕事と誤解されることもあるが、雨でも雪でも輸送を行い、買い付けをして、命懸けで物資を護衛する輜重の仕事は決して楽なものではない。

 今だってマルコムの部隊はウェサラから物資を運んできて休憩しているところなのに、こんな時に歩哨に立たなければならないなんてツイてない。どうせ街に駐屯する前線部隊が歩哨を立てているのだから輜重隊が手伝わなくてもよかろうと思ったが、そうするとどこかで誰かのメンツが傷つくらしい。

 こんな時、騎士爵は便利に使われる。徴用兵だけで仕事をさせるのもどうか、という理由でとりあえず現場監督として出されるのだ。


 しかも今は面倒事が起こっていた。

 何故か突然、物資の買い付けが上手くいかなくなったのだ。……何者かが食糧と飼い葉を買い占めている。

 おかげで輜重隊長はピリピリしていて隊の空気が悪い。食糧を買うため農村を回らされたりして、輜重隊全体の仕事も増えている。しかも長期的に見ればジリ貧だ。

 溜息の材料には事欠かない。


 陶器の器に入った一杯の酒と巨大な骨付き焼肉、腹だけはふくれそうな粗末なパンをマルコムは自分で並べる。手早く貪って精を付けようと、手を伸ばしかけた時だ。


「隣いい? ノアキュリオの兵隊さん」


 混雑した店内を滑るように歩き、ひとりの少女がマルコムの隣にやってきた。


 華やいで浮かれた雰囲気を漂わせる年頃の少女だ。

 暖かな照明に照らされて、蜂蜜色のロングヘアが艶めく。


 彼女は何かの革で作った軽装鎧を身につけていた。新兵などはどんなに立派な鎧を身につけても鎧に着られているような有様だが、彼女の姿は堂に入ったもので、ただのか弱い少女ではなさそうだった。少なくとも、こういう酒場にひとりで来ても平気な類いの人種だ。


「お嬢ちゃん、冒険者かい?」

「その通り。ま、こんな格好なら分かるよね。はいカンパーイ」


 少女は自分が持ってきたコップを、勝手にマルコムの杯にぶつける。


「お勤めご苦労様って感じだね」

「実は今から仕事なんだ。夜通しで警備だよ」

「わお。それじゃ暖まっておかなきゃ。おっちゃん『火吹きスープ』2人前ちょうだーい!」


 財布を出しながら注文を飛ばした少女に、さすがにマルコムは慌てる。


「お、おい待て待て。奢る気か?」

「いいのいいの。ボクだって、偶然出会った兵隊さんに気まぐれにスープを奢れる程度には稼いでるからさ。このお店の『火吹きスープ』は飲んどかなきゃ損だよ」


 少女は気に留めた様子も無い。

 相手が見知らぬ男ならマルコムも怪しんだかも知れないが、年下の可愛らしい少女の好意とあっては疑いがたく悪い気もしないのが、男という生き物の悲しさだった。


「すまない、それじゃご馳走になろうか」


 ――街で休める日に歩哨当番なんて貧乏クジ引いちまったんだから、その代わりに、これくらいの幸運は許されるだろうさ。


「よかったらお仕事の話とか聞かせてよ。……あ、もちろん話せる範囲でいいからね。軍隊はいろいろ秘密とかあるだろうし」


 少女は人懐っこく微笑んで、手遊びのように3度・2度と、指先でテーブルを突いた。


 *


 同時刻、酒場の近くの路地裏。


 干し肉のサンドイッチ(トレイシーに金をせびって買った)を囓りながら通話符コーラーを耳に当てていたパニーラルネは、トレイシーからの合図に気付いた。


 パニーラルネの感情察知能力は現在、半径30m圏内を完全に補足している。どこに人が居るか把握している。そうやって認識下に置くことは即ち、魔法の標的としてロックオンするに等しい。

 トレイシーと会話しているのが彼から見て右隣の人物であることは指の叩き方で分かった。そうと分かれば後はもう魔法の狙い撃つだけ。簡単だ。


「……≪問答人形トゥルースセラム≫」


 * * *


「姫様、やばいねアレ」


 『情報収集』から戻ってきたトレイシーは、半分呆れたような顔で肩をすくめた。


「何にも疑ってないような顔で全部吐いたよ。物資の集積場所から現状の管理体制まで」


 トレイシーは輜重兵の口を割り、情報を聞き出した。

 その際、遠隔で魔法を使ってパニーラルネが支援したのである。相手の判断力を失わせ、聞かれた質問に答えるだけの状態にする精神系魔法≪問答人形トゥルースセラム≫によって。


 単に情報を聞き出すだけではなく、怪しまれないというのが重要なのだ。情報を聞き出したという事実が記憶として残るのはまずい。

 魔法の影響下に置かれていたマルコムには『偶然出会った少女と楽しくお喋りをした』という、印象のような思い出しか残っていないはずだ。


 トレイシーはパニーラルネの魔法に恐れ入った様子だったが、パニーラルネはこれが自分ひとりの功績とは思っていない。


「私の力ばっかりでもないわ。精神いじる系の魔法は後遺症が残りやすいから、痕跡を残さない弱めの魔法に留めて……あとは尋問技術の問題だもの」

「知ってる。でも普通、≪問答人形トゥルースセラム≫ってあんなに効かないよ」

「……むしろ、≪問答人形トゥルースセラム≫影響下の人物に対する尋問術なんて習得してたあなたのことが気になるのだけど」

「にゃは、昔習ったんだよ」


 ちょっとだけ得意げなトレイシー。

 彼を拾えて本当に幸運だったとルネは思っていた。想定以上の優秀さだ。

 正面から突っ込んでぶっ殺すなら大得意だが、搦め手から攻めるとなると力より技術がものを言う。


「結果は魔女さんに報告しとくよー。

 残る調査は『仮称・聖獣使い』さんの正体かな……こっちは秘密にされてるって言うより単純に知られてない雰囲気だったんだよね。みんな平気で話してくれるけど核心には至れない」

「何者なのかしら……」


 パニーラルネは謎の白衣の老婆・モルガナと相対した時の奇妙な感情反応を思い出す。

 酷く侮辱的なことを言われたが、あの時のモルガナの心は、安物の白ペンキで塗りつぶしたような不可解な凪の境地だった。

 凍てつく汚濁のようだったローレンスの憎悪とは全く違った。

 何をどうすれば人の心がああなると言うのか。


 ――ま、考えてもしょうがないか。それよりも気になるのは彼女の能力と、どうすれば排除できるのかって事だわ。


「じゃあ私は、もうすぐ夕飯だから孤児院に戻るわ」

「はーい、気を付けて」


 思いがけない言葉を聞いてパニーラルネは足を止める。

 定型句めいた挨拶だとしても、それを言ったトレイシーの心に偽りは無かった。 


「……あなたからわたしを気遣う言葉が聞けるなんてね」


 意外だった。

 トレイシーは無理やり捕まえられ、マジックアイテムで縛られて従わされているだけだ。

 むしろ恨んでいても当然、ルネを気遣い心配するなんてあり得ないと思っていたのだが。


 トレイシーはちょっと決まりが悪そうに蜂蜜色の頭を掻く。


「そりゃ気遣う義理は無いけどさー。麗しき少年少女の敵が相手なら話は別だよ。

 神殿長様は本当に人が良すぎて他人の悪意を推察できないって言うか……あんなのが野放しだもんなあ」

「だとしてもわたしの敵じゃないわ。歩いてく先に落ちてる小石みたいなもの」


 トレイシーが何を心配しているかは分かる。普通の女の子に対するものであれば妥当な心配だろうが、パニーラルネはどう考えても普通ではない。

 聖職者でありながら神聖魔法も使えない変態ひとり、何の脅威でもないのだ。


「邪魔するなら蹴飛ばして終わりよ」

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