[2-25] 家族と話をしているだろうか
キーリー伯爵居城の書斎から、朗々たるバリトンの歌声が響いていた。
書斎はくつろぎの間であり、しばしば執務室も兼ねる。
ただ、この城は執務室と書斎を分けているので、書斎は純粋に城主オズワルドのプライベートスペースだった。
オズワルドは自動演奏される小さな魔法の竪琴を伴奏として、妖精の女王に恋した男の悲劇を歌い上げる。
貴族たる者、芸事のひとつも極めておかなければ無教養者の誹りを免れない。
堅物なイメージなので意外に思われるようだが、オズワルドは歌唱を得意としていた。
だが
扉の向こうに人の気配を感じたからだ。
オズワルドが歌を止めると、その何者かはノックをして部屋に入ってくる。
「父上。訓練のお邪魔でしたか」
部屋に入ってきた男は、オズワルドと同じ蜜柑色の髪をした濃紺のスーツ姿の青年だ。全身に針金でも入っているかのように四角四面のキビキビした動作をしている。
トレヴァー・ヘンリック・キーリー。オズワルドの長男であり次期領主。いかにも有能な役人みたいな雰囲気を漂わせた、つまりは父によく似た男だ。
「いや。構わん、ただの気晴らしだ。どうかしたか、トレヴァー」
「スティーブが到着しました」
「よう親父! ひっさびさだな!」
少々貫禄が足りないトレヴァーの後ろから、二回りくらい大きな影がぬっと顔を出す。
ボサボサの黒髪を編み合わせた、いわゆるドレッドヘア。傷だらけの鎧の上から獣皮のケープを羽織った山賊のようなスタイル。
彼はスティーブ・アドリアン・キーリー。オズワルドの三男に当たる。
半出奔状態でジレシュハタール連邦に渡り、そこで冒険者として生活していた男だ。
スティーブの軽い挨拶を聞いて、その頭をトレヴァーが小突いた。
「こら。父上と言え。
まったく……数年顔を見ない間にすっかり下品になりおって」
「言ったな、兄貴」
「はははは、だが逞しくもなったな」
オズワルドはスティーブを出迎え、見違えるほど広くなった背中を叩いた。
成人を機に家を出た頃はまだ『未熟な少年剣士』といった様子だったのに、今やいっぱしの冒険者だ。通信局で話をしたことも何度かあったが、会うのは久々だった。
再会を喜び、ゆっくり積もる話でもしたいところだが……そうもいかない。
「プリシラも戻ってきてるんだって?」
「ああ。四六時中キャサリンにひっついてる」
「スティーブ。着いて早速で悪いが事は一刻を争う。現状と今後について話をしよう。
トレヴァー、プリシラとハドリーを呼んでこい。それと……キャサリンもな」
* * *
書斎に、伯爵夫人を除いた伯爵家全員が集められた。
普通なら家族会議に使うような場所ではないのだが、書斎の資料を使うためだ。
魔物図鑑や魔術書などが本棚から抜き出され、山を作っている。
「しかしまあ、顔を合わせるのも久しぶりだな」
「ええ。本当に驚きましたよ。まさかあのスティーブが立派な山賊になって帰ってくるとは」
スティーブを茶化した男はハドリー・カスペル・キーリー。オズワルドの次男だ。
長男トレヴァーとは双子の兄弟で外見も瓜二つなので、トレヴァーは青系統、ハドリーが赤系統の服を着ると決めてあった。
嫡男ではないハドリーだが、彼は長男トレヴァーに何かあった場合の控えでもある。スティーブのように家を出ることはなく、父の領地運営を助けていた。
からかわれたスティーブは心外だと言った調子で肩をすくめる。
「冒険者なんてだいたいこんなもんだぜ? 本物の山賊は俺みたいに綺麗にヒゲ剃らねえし、風呂にも入らねえっつーの。
……ところで親父。なんでここにキャサリンが居るんだ?」
キャサリンは名を呼ばれ、何かを憂うように心持ち目を伏せた。
この家族会議の議題を考えれば、キャサリンが居たところで仕方ないし、聞かせるような話でもないとスティーブは思ったのだろう。
だがオズワルドは沈痛な表情で首を振った。
「必要だからだ。キャサリンは当事者のひとりだし……“怨獄の薔薇姫”について自主的に調査していた」
「……キャサリンが?」
「まあとにかく、まずは事の次第からだ。話せるか? キャサリン」
「はい、お父様」
そしてキャサリンは、あの日の出来事について語った。
王都が“怨獄の薔薇姫”に急襲され、自らも虜となったあの日を。
100年を超える歴史を誇ったテイラルアーレが、わずか数時間で不死の軍勢に攻め陥とされたあの日を。
まだ噂話程度にしか経緯を知らなかったらしいスティーブは、顔を赤くしたり青くしたりしながら聞いていた。
「……第一騎士団はほぼ全滅。第二騎士団も団長をはじめ僅かに生き残っているだけだ。陛下のみならず廷臣たちさえも、ほぼ皆殺しにされたものと思われる」
「なんてこった、だぜ……想像以上にひでえ」
オズワルドが話を締めくくると、スティーブは震える溜息を吐き出した。
ちなみにこの話をする間、キャサリンはずっとプリシラの膝に座って抱きしめられていた。
キャサリンの話を聞き終えたプリシラは、キャサリンの無事をあらためて確かめるように深くキャサリンを抱き込んだ。
「あああ……よく無事でしたわね、私の可愛い可愛いキャサリン。私、食事も喉を通らないほど心配していたのですよ。通信局から連絡を取ろうにも繋がらなくて……!
強大なアンデッドが王都を攻め陥としたと聞いて心配のあまり、あなたの似姿にキスをする回数が倍に増えて、次の日には5倍に増えて、三日目で全て放り出して学院を飛び出してきたのです。
ま、まさか王都に居て、しかも“怨獄の薔薇姫”に捕らえられていただなんて!
ああ! 本当に無事でよかったわ! きっと、これも神様の思し召しなのでしょう」
蜜柑色の長い髪を冠のように編んだ長身の女性。大人びた顔立ちと体つきながら、少女めいた垢抜けない雰囲気も漂わせる。
彼女はキャサリンをしっかりと抱いて、うっとりと頬ずりしていた。
キャサリンが迷惑そうに身をよじってもお構いなしでがっちり固定している。
彼女の名はプリシラ・マユ・キーリー。オズワルドの長女だ。
母譲りで神聖魔法の才を持つ彼女は、ディレッタ神聖王国の『神殿学院』に学ぶエリート聖職者の卵である。
彼女は僧服に似た白いワンピース状の、神殿学院の制服を身に纏っていた。どちらかと言えば体型が隠れる服なのに張り出した胸部が目立つ。
「違いますわ、姉様。私は……姫様の気まぐれと気高さゆえに生かされたのです。
あの場所に神様の思し召しなど存在しませんでしたわ……」
「そう……キャサリンが言うのならきっとそれが正しいのね」
暗いと言うより、何かが引っかかっているような表情のキャサリンだった。
「我が国のことは神殿学院でも噂になっていただろうか」
「もちろんですわ。皆さん、国際情勢にはいつも関心を持っていらっしゃいますもの。
ましてアンデッドモンスターの所業によって国が滅んだとあっては、神殿にとって一大事ですわ」
「神殿の動きはなんか聞いたか?」
「冒険者ギルドと共同で調査団を出すという噂でしたわ」
プリシラの話を聞いて、スティーブは皮肉っぽく笑った。
「共同かあ。どこまで協力できるやらって話だが……」
“怨獄の薔薇姫”調査という行動は同じなのだから、慎重に進めるため手を結びたいという気持ちは分かる。
だが目的も理念も異なるふたつの組織が足を引っ張り合わないという保証は無いのだ。
同じ魔物に同時に討伐隊を派遣した神殿と冒険者ギルドが足を引っ張り合っている間に、肝心の標的が逃げ出してしまったという笑えない逸話は有名だった。
「まあ、どのみち冒険者ギルドは調査を出すだろうな。状況次第では連邦のギルドから冒険者の派遣もあり得るだろうぜ」
「だが、残念ながら政治の動きはそれを待ってくれない」
オズワルドは嘆くように言った。
混乱が収まり、安全が確保されるのを待ってなどいられない。
むしろ混乱を収めるためにこそ政治が動かなければならないのだ。
……あるいは、火事場泥棒の類いかも知れないが。
「これはまだ内々の話なのだが……ジスラン殿下が皇太子に立候補なさる意向だそうだ」
「……なにィ?」
「ジスラン殿下が?」
まだこの話を聞いていなかったスティーブとプリシラは驚きの声を上げた。
ジスランは政治の動きから距離を置いた単なる本の虫というのが定評だ。
王としての才を見せたという逸話も無く、野心も無く、今ここで動くような人物には思えないだろう。
実際、オズワルドもトレヴァーもハドリーもそう思っていた。
「意外ですわ。そのような方には見えなかったのですけれど、国難に際して奮起なさったのでしょうか?」
「プリシラ。よく考えるんだ。ジスラン殿下の母親は?」
ハドリーが、ほんの少しばかり忌々しげに言った。
プリシラも苦いものを食べたような顔になった。
「まさか……」
「エドフェルト侯爵が一枚噛んでいる」
クーデターの構図は皆が承知している。
エドフェルト侯爵と言えばノアキュリオとも関係が深い貴族で、真っ先にヒルベルトに下ったひとりだった。彼が関わっているとなれば、ジスラン擁立は途端にきな臭いものとなる。
諸侯の間に穿たれた亀裂に、さらに楔を打ち挟むような何かが起ころうとしているのではないか。
「私は近いうちにテイラカイネへ向かおうと思っている。ジスラン殿下にお目にかかり、殿下のご意思を確かめさせていただきたい。本当に殿下御自らのご意思なのか。
ただ……いずれにせよ、殿下が即位なさる事は動かしようがないと考えている」
「ジスラン殿下なら悪くねえと思うぜ。だが裏にエドフェルト侯爵が居るってのは気にくわねえな」
「気にくわなかろうが何だろうが、正式な手続きを経ての戴冠とあらば、父上は諸侯のひとりとして殿下をもり立てていくより他に無い」
ストレートに不満を表明したスティーブをトレヴァーが諫めた。
だがそのトレヴァーさえも苦虫を噛み潰したような顔だ。彼もまた何かを怪しく思っている様子だ。
「スティーブ。プリシラ。協力を願えるか」
「協力……ですか」
「何をだ?」
「私への帯同。はっきり言えば護衛だ」
スティーブとプリシラは顔を見合わせる。
「今、この国は危険だ。王宮騎士団がほぼ全滅したことで治安維持や魔物の駆除が事実上停止している。その影響がどの程度出ているかさえ把握できない。無法状態に陥ってからそれほど時間は経っていないが、避難民を狙って賊が跳梁しているとか、食い詰めた避難民が賊に身を落としたなんて話も流れている。
しかし、この状況で私の護衛に騎士団をぞろぞろ引き連れて行っては領地が危うくなる。冒険者も……」
オズワルドは突っかけるように言葉を切って、痛ましげに目を閉じた。
「贔屓にしていたパーティーが全滅した。
手近なところで雇えるだけ雇ったが力不足が否めん」
「それで俺らに来てほしいのな」
スティーブは腕をまくり、打ち鍛えられた鋼のような力こぶを示す。
「いいぜ、親父殿たっての頼みとあらば」
「私は……学院で演習を行っただけですけれど、それでもお父様の力になれるなら是非とも」
プリシラも胸元の聖印に手を当てて頷いた。
神殿で儀式によって聖別された聖印は、神の奇跡たる神聖魔法を行使するための触媒だ。
「回復魔法は使えるだろ? なら俺らが怪我するまで親父と一緒に待ってるだけでいい」
「ありがたい。お前たちが一緒なら、いざという時に奥の手も使えるしな」
「父上、あれをやるのですか?」
「ああ。もし……仮にだ。私が“怨獄の薔薇姫”に襲われて生き延びる望みがあるとしたら、それしかあり得ぬ」
オズワルドの一言で、まるで部屋が水没したように部屋の空気が重く冷たいものになった。
暖炉で薪の爆ぜる音が、虚しい。
「父上、それは……」
「……盗賊や魔物の跳梁について話をしたが、今この国で最も危険なのは何か、分かるだろう?
“怨獄の薔薇姫”と、その軍勢だ。
“怨獄の薔薇姫”は一度、キャサリンを無傷で解放しているが、次もそのような温情が下されるかは分からない。と言うよりその可能性は低いのではないかと思う。
前王ヒルベルト陛下に与したエドフェルト侯爵が押し立てる皇太子候補は、まず間違いなく彼女の怒りを買うだろう。そこに荷担する私がどのように見られるか」
その時、キャサリンが立ち上が…………ろうとしてプリシラを振りほどけず、仕方なく抱きしめられたままで決然と言い放った。
「お父様……私も同行させてくださいませ」
「キャサリン!?」
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