[2-18] 死んで花見が酒モナカ

「貸しですよ、これは」

「分かっておりますよ」


 念を押すようにマークスが言って、パトリックが深溜息と共に応じる。

 ふたりは処刑の光景を、城のバルコニーから遠目に見ていた。


「全くお恥ずかしい。遺憾の極みにございます。

 お手数をおかけしましたな。ここでノアキュリオのイメージが悪化すれば今後に差し支えるところでした」

「なんの。両国関係を思えば配下のひとりやふたり惜しいものではありません。

 とはいえ、こんな事が重なるようでは私も庇いきれなくなりますよ」

「ええ。無法行為を厳に慎むよう、全軍に通達を出しました」


 ふたりは事件の真相について比較的正確に把握していた。だが、その上でユインを殺した。

 ノアキュリオ兵の狼藉が明らかになれば、市民にはノアキュリオ軍への反発が広がるだろう。それはマークスにとってもパトリックにとっても非常にまずいことだった。

 だからユインに全ての責任を押しつけて処刑したのだ。


 マークスにとっては痛いだ。魔術師は手駒として貴重なのだから。

 だが、その先にあるものを考えれば悪くないだ。今はつつがなく事を進める必要があるし、パトリックに恩を売れた。


「それにしても、あの騎士はなんだったのでしょうな? 都合の良い偽証人が勝手に湧いてきたのですが」


 パトリックが首をひねる。

 明らかに事実と違う、ユインを陥れるための偽証をする証人がどこからか現れたのだ。


「……彼の捕縛を担当したマクレガー子爵の動きが怪しかった。何か事情があって裏で手を回していたのかも知れません。落ち着いたらマクレガー子爵についても探っておきましょう。

 まあ、この場合は好都合でしたがね」

「全くです。死んだ彼には少々気の毒でしたが」

「ええ」


 ――彼の死はこの国の安定のいしずえとなるのだ。騎士として本望であろうよ。


 マークスは勝手なことを考えていた。


「思わぬトラブルもありましたが……これで予定通りに事を進められるというものです。

 ねえ、殿下」

「はい、侯爵様」


 マークスは背後に向かって声を掛ける。


 見目麗しい青年がそこに居た。オールバックにした燎原の火のような赤髪、秀でた額。深紅の装束を身に纏い、下縁眼鏡の奥には神秘の色をした銀目が輝く。

 ジスラン・“炎の如きブレイズ”・エラ・シエル=テイラ。

 彼は、宗教的感銘に満ちた爽やかな笑顔を浮かべていた。


「全ては神の御心のままに」


 * * *


「……そんなわけで、マクレガー子爵を殺せばわたしは強くなれるの。

 マクレガー子爵って人、この街の孤児院を支援してて、ちょくちょく顔も出してるんだって。

 今はずっとテイラカイネに居るみたいだから、そのうち顔を出すはずよ。それを待って仕留めるわ。

 エヴェリスに貰っておいたこの毒薬、飲んだ3日後に脳卒中に見せかけて殺すっていう効果が……」

「ねえ待って、姫様……」

「……どうしたの?」

「『どうしたの?』じゃなーいっ! そもそも人が違うよね!?

 いや、中身が姫様なのは分かるけど! なんでまたそうやって憑依してるの!?」


 テイラカイネにある孤児院の裏庭。

 野菜を作るための小さな畑とツタの垂れ下がった果樹があり、ベンチの代わりなのか何なのかボロっちい樽が転がっている。

 周囲の建物と孤児院の背中に三方を囲まれた小さな庭に、髪を下ろして鎧を脱いで、冒険者のオーラを消して野暮ったい町娘姿に化けたトレイシー。街の有名人である彼がこんな所に居ては目立ってしまうので、通りすがりを装って会いに来たのだ。

 そんな彼と向かい合ってパニーラルネは密談していた。


 接ぎの当たった服に短いボサボサの茶髪。つぶらな黄銅色の目にそばかすの散った顔。それが今のルネの姿。普段の姿とは年齢以外に共通点が無い。

 貧しい家に生まれ、暴力を振るう父から母と共に逃げるも、母が死んで神殿付きの孤児院に引き取られた少女。それが今の身分。

 犯行は昨夜。宵の口、月に誘われるように出歩いていたパニーラは、ルネに『以下省略』された。


「だって憑依してないと気配を誤魔化しきれないんだもの。魔法で気配遮断しながらじゃ他の魔法使えないわよ?」

「そうじゃなくってー」


 憤懣やるかたない様子でトレイシーはエプロンワンピースをばたばたはたく。


「……その身体、元の持ち主に返せないんだよね?」


 トレイシーはいわゆるジト目で、あからさまな非難の眼差しを向けてくる。

 ルネはその非難を甘んじて受け容れた。トレイシーの感覚は真っ当だ。それを尊重する気は一切無いが。


「普通の手段では無理ね。わたしは刺激が強すぎるから、中に納めた時点で魂の器としては穢れきってしまうの。わたしが退去したところで衰弱死するのがオチよ。

 きっとどうにかする手段はあるはずだけど、そんなコストを掛けてられないし」

「一直線に標的を殺しに行けば、その身体を使う必要自体無かったんじゃない?」

「聖獣が張り付いてるところへ侵入して密かに毒盛るとか厳しいわよ」


 現在、テイラカイネの街中には適当に間隔を置いて20匹ほどの聖獣が配置されている。

 邪気に敏感な聖獣を並べることで、どこに何が現れても感知できるようにしているのだろう。

 これではジャック・オ・ランタンなどの霊体系アンデッドに奇襲を掛けるさせるのも難しい。こちらの手を読まれているというか、相手が『アンデッドの軍勢との戦い方』を考えているという気がした。嫌な流れだ。


 ともあれ、マクレガー子爵が滞在している宿(他にも数名の騎士が滞在しているらしい)は聖獣の待機場所のひとつにされていた。魔法で気配を消しつつ偵察していたルネは、庭先で置物のようにお座りしている虎型聖獣を見て噴き出した。


 まだアンデッド化していない『人の殻』が必要だった。

 新たな身体を手に入れてから、それをアンデッド化させるまでの間。ルネは邪悪な気配をほぼ完全に断って人族に紛れることができる。これはルネにあらかじめ備わっていた能力だ。普通の霊体系アンデッドならここまで完璧な気配遮断はできない。まあルネも身体を魔法で調べられたりしたら正体が露見してしまうが。


「強行突破して殺して逃げるのならできると思うけど……それだとあなたの仕事を邪魔しちゃうわ。騎士が惨殺されたらさすがに敵が警戒するはず。

 よりによって美味しいエサを見つけたのがこの街テイラカイネだったんだもの。諜報活動に支障を来さないため、わたしが活動した痕跡をなるべく残さず密かに殺したいのよ」

「だから子爵を病気に見せかけて殺す?」

「そう」

「そのためにこの子の身体を貰った?」

「そう」

「むー」


 時間効率と安全性と成功率。それらのバランスを考えて選んだのが、この手だ。

 つまり効率よく復讐プロジェクトを進めるため、ルネは無関係の者を使ったわけである。

 それが酷いことだという自覚はルネにもある。ただ、もはやルネは良心の呵責など持ち合わせていない。

 あまり残虐行為をしすぎると恐怖に駆られるので『不必要な殺しはやめとこう』と心がけているくらいだった。


「わたしだって、こうやって殺す人の数は最小限にしておきたいわ」

「そっかー……」


 トレイシーは無理やり首を折るように頷いただけだった。


「……じゃあボクは行動開始するね」

「いってらっしゃーい。

 あなたが情報収集に当たってくれるおかげで、わたしは自己強化に専念できるわ」

「なんかボク、世界滅亡の片棒担いじゃってる?」

「うん」

「むえー……」


 どんよりネズミ色のオーラを纏うトレイシー。

 頭上に雨雲がかかっている気がした。


「それと、侵攻のための布石ね。いいネタがあったんだからこれを使わない手は無いわ。通信で作戦を伝えたら、エヴェリスも『なにそれ楽しそう!』って言ってたし」

「ああ、それね。

 ……うん、そこに協力するのだけはボクも部分的に乗り気」


 複雑そうだった。

 これからトレイシーは不正義と理不尽を正すことになる。だからトレイシーは乗り気と言ったのだろう。

 しかし結果的にルネの利益になるのだ、この場合。


「何かあったらわたしに連絡しなさい。特に魔法関係が必要な時。正体が露見しない範囲で手助けするわ」

「りょーかーい」


 肩越しに手を振ってトレイシーは去って行った。

 ……作戦開始だ。

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