[2-17] ブル嫉妬
「事件の現場はこちらでよろしいですかねえ」
「これは……マクレガー子爵様」
近くに居た者に衛兵隊を呼ばせてユインが待っていると、格調高そうな濃紫のローブを着ている中年男が、数人の兵を引き連れて現れた。
気取った灰色のロールヘア。痩せた顔に刻まれた皺は深く、貼り付けたようにいつも皮肉めいた表情を浮かべている。
ラルフ・ブレット・マクレガー。
エドフェルト侯爵の下で小都市ひとつを管轄とする騎士だ。
得意とするのは武術よりも魔法の方で、同じ侯爵に仕える魔術師同士、ユインも何度か共闘した事がある。
だが別に仲は良くない。
父親の代で爵位を得て15年という歴史の浅い家系であるラルフは、その裏返しのように強烈な貴族意識と上昇志向を持つ。一代貴族の軍人でしかない騎士爵たるユインは完全に見下されていて、何度か挨拶くらいはしたがあまり関わり合いたくない手合いだった。
今、侯爵領内の騎士や兵は多くがこのテイラカイネに集まっている。
だが何故、この現場にラルフが来たのか。
「衛兵隊の手には余る事態ですからねえ。私が対応することにしまして」
「そうでしたか。既に衛兵から状況は聞き及んでいると思いますが……」
一応、ユインは貴族の端くれである騎士爵。
そしてこれは国家間の複雑な事情が絡む事件だ。
誰でも良いから騎士を派遣して事態の解決に当たらせるべきだと上は考えたのだろう。
ユインがそう納得しかけた時にはもう、ラルフの連れてきた兵たちはユインに剣を突きつけていた。
「……な、何を?」
「しらばっくれても無駄ですねえ。悪いのはあなたではありませんか」
一切の弁明を許さない断定口調で、ラルフは切り捨てた。
ユインはラルフが何を言っているか分からなかった。
だが、想像していたよりもさらに悪い事態が起ころうとしているのだとは分かった。
「そんな、誤解です! 私の話を……」
「捕らえろ!」
ラルフの号令一下、兵たちは問答無用でユインを組み伏せ縄を打つ。
「何をする! やめろ! 離せ!」
「お父さん、お父さーん!」
その場にウィルフレッドを残し、ユインは引きずるように連行されていった。
* * *
街壁に設えられた塔のひとつ。
ユインを捕らえた監獄にラルフが現れたのは、事件から1週間後のことだった。
「やあ、ご機嫌麗しゅう。あなたの処刑が決まりましたよ」
「……冗談でしょう? 裁判どころか取り調べもまだなのに」
印が組めないよう後ろ手に手枷を嵌められ、詠唱効果を阻害する首枷まで着けられてじっと座っていたユインは、信じがたい言葉を聞いて跳ねるように身を起こす。
ラルフは鉄格子の向こうから冷たく笑うだけだ。
「冗談? なにが冗談なものですか。侯爵様自らお決めになった超法規的措置です。
このシエル=テイラを守るためには! 今! ノアキュリオとの間に軋轢を生むわけにはいかないのですよ。そのためにも迅速な処分が必要です。
よりにもよってノアキュリオ軍と揉め事を起こし、あまつさえ殺めてしまうなど! おお、恐ろしや。やはり貴族モドキの騎士爵は野蛮でいけませんねえ」
「『揉め事』だと!? そんな生やさしいものか! 俺が息子を守らなければ息子は殺されていた!」
「残念ながら、そういう証言はありませんねえ?
被害者と一緒に居た兵士も、居合わせた市民も。
あなたが一方的に因縁を付けていたのだと、目撃者は皆、証言しています」
「んな馬鹿な……!」
いや、逃げた兵士ふたりが口裏を合わせてそう言うのはまだ分かる。
だが、何故それを信じるのか。適当なことを言うに決まっているのに。
そして嘘の証言をした市民とは何者なのか。
……何故≪
何かが、おかしい。
致命的に、絶望的に、おかしい。
驚愕するユインを見て、ラルフは嗜虐的に笑う。
「あなたと言葉を交わすのも最後でしょうから言っておきましょう。
あなた、庶民同然の騎士爵のくせしてちょっと出しゃばりすぎだったんじゃありませんかねえ」
「なに……?」
ラルフが何を言っているのか分からなかった。
自分の行動を思い返して、赤ん坊を殺人犯にできるくらいのレベルで邪推してみても、でしゃばりなんて言葉に該当するような真似はしていないはず。
他人のすることに口を出してなんかいない。毎日の晩酌を楽しみにして志低く、言われた仕事だけをしていたのがユインだ。まして言葉を交わすことすら滅多に無かったラルフに不興を買うような事があっただろうか。
いや、ラルフと関わったことはあると言えばある。
以前、騎士団が出動して領内に出現したワームを討伐した時。
「まさか……ワームのトドメを俺が取った話か? もう3年も前だろう!?」
ユインが口の中に≪爆炎火球(ファイアーボール)≫を叩き込んでトドメを刺した。
その後、ラルフが悔しげに嫌みったらしく『こんな偶然もあるものなんですねえ』と言っていたのを思い出した。騎士爵なんぞとは口も聞きたがらないはずのラルフが、わざわざ声を掛けに来た。
「財産……地位……そして手柄や功績……
価値あるモノは、得るに相応しい者が得るべきなのですよ。
あなたは報償の
そんな都合よく行くものだろうかとユインは思うが、彼はどう見ても本気だった。
ラルフは街ひとつを治める子爵の地位に満足せず、何が何でものし上がってやろうという意識がある。そのチャンスをユインにフイにされたと思い、それをずっと恨んでいたのだ。
同じ侯爵に仕える魔術師同士、ラルフはユインを『頼もしい味方』ではなく『功を競う同業者』と見なしていたのだ。
――だとしても、どうして今こんな話……いや、まさか……
「嵌めやがったな……!」
爪が手に食い込んで血が流れるほど、ユインは手を握りしめた。
その手前勝手な恨みのためにラルフはユインを陥れたのだ。
「なんと人聞きの悪い。私は正義を為しただけ」
「ふざけるな! こんな無茶苦茶があるか!」
「いやあ、私もこの拙速な処刑は心苦しく思っておりますよ?
……あなたには家族の苦しむ姿を目に焼き付けてから死んでいただきたかったものでしてねえ」
勝ち誇るラルフの言葉に、ユインはさらなる絶望に突き落とされる。
「なんだと!? 家族は関係ないだろう!」
「関係ないわけがありません!
罪人の一族です。相応の報いを受けなければならないのですよ。あなたの罪を一家揃ってみんなで償うのです。自分の行いを後悔なさい」
足下の床が崩れて、無限の奈落に落ちていくような心地だった。
妻が。息子が。
「あなたがしたことは既に街の噂になっています。ノアキュリオ軍が機嫌を損ねて帰ってしまっては大変なことになりますからねえ。残された家族は、市民によって断罪を受けるでしょうとも。
そう言えば財産も差し押さえられておりましたねえ。被害者の蘇生費用に充てられました。ま、蘇生は失敗だったようですが。いやあ残念ですねえ。無駄な出費でしたねえ。
これはご家族の今後が思いやられます。ですが心配ご無用。あなたの細君にはいい娼館を斡旋して差し上げましょう……
おっと、この冗談は下品すぎましたかねえ。あっはっはっはっはっは!」
心の底から愉快そうにラルフは笑っていた。
何のためにラルフがここへ来たのか、ユインはやっと理解した。
ざまぁ見ろと嘲笑って溜飲を下げるため。ただそれだけのために来たのだ。
「こんな事がっ……こんな事が許されると思うなーっ!!」
「それは私の台詞です。許さないのは私です。逆恨みも甚だしい。
では、私はこれにて失礼致します。あなたの処刑を見に行けないのが残念ですよ。やむを得ない事情で魔術師が減りましたから、その分まで忙しくなりそうでしてねえ。はははははは!」
高笑いと共にラルフが去って行っても、ユインは彼が居なくなった後の虚空を睨み付けていた。
目がカラカラに乾くまで睨み付けていた。
* * *
処刑は、あまりに迅速だった。
結論ありきの裁判はユインの反論さえほとんど許さぬままに1度で結審し、その翌日にはもう、ユインは処刑台に引っぱって行かれた。
特例的な扱いだが、しかし妥当だろう。
ノアキュリオ兵相手に因縁を付けて殺害するような騎士が配下に居たとあっては非常にまずい立場になる。侯爵は迅速に処刑してノアキュリオ側に頭を下げ、自分の立場を示さなければならないところだ。
本当に全てユインが悪いなら、の話だが。
――何故だ。ノアキュリオ軍が来て、街と領土が守られて……俺は、助かったはずではなかったのか?
家族が、街の人々が、仲間たちがアンデッドにされてしまうという悪夢の未来予測から助け出されたはずではなかったのか?
何故、俺は今死のうとしているんだ!?
悪夢を見ているようだった。
群衆から怒号が飛ぶ中、ユインは馬に引かれて市中引き回しをさせられた。
怒りのあまり目が眩んだようになり、人々の声は雑音にしか聞こえなかった。
広場に設えられた処刑台の上にはギロチンが立っていた。
それが見えた時ユインは、ああここで俺は死ぬのだなと半分理解しながらも、まだ信じ切れない信じたくないという気持ちもあった。
こんな死に方をしなければならないような生き方はしてこなかったはずだ。
神にも妻子にも誓える。
ユインが処刑台の上に引き立たされると、群衆は一気に盛り上がった。
『死ね』だとか『人殺し』だとか、そんな言葉がいくつも重なり合って聞こえた。
――私は無実だ! 嵌められたのだ!
せめてそう叫びたかったが、しかし詠唱を封じるための猿ぐつわ(首枷は首を切り落とすのに邪魔なので処刑時には使わない)のせいでまともな声にならなかった。
屈強な刑吏たちがユインの身体を押さえつけ、ギロチンに拘束していく。
流血のような怒りの涙がユインの目から流れ落ちた。
――おのれ……ラルフ・ブレット・マクレガー!
おのれ……ノアキュリオ!
呪ってくれる!!
奥歯が砕けるほどにユインは歯を食いしばっていた。
『……いい
さて、あなたの恨みは……わたしに魂を捧げるに足るものかしら?』
その声は、ユインだけに聞こえていた。
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