[2-16] ▼けだもののむれが あらわれた!
ようやくもぎ取った1日の休日。
ユインは息子のウィルフレッドと共にテイラカイネの街を歩いていた。
ユイン・ブライスはエドフェルト侯爵に仕える騎士である。領地を持たず、騎士爵の位を賜っただけの一代騎士。平たく言えば職業軍人だ。
ユインが得意とするのは武器ではなく魔法。最高でレベル3の火属性元素魔法、および生体魔法(非神聖魔法系の回復魔法や一般的な
戦で手柄を立てて所領持ちになろうという野心も無く、実力を磨いて大魔術師になろうという向上心も無く。真面目に勤めて給料を貰い、たまにちょっと凝った料理をして、酒を飲んで、一人息子の成長を楽しみにするのがユインの人生だった。
それだけに、息子の住むウェサラがアンデッドの軍勢に壊滅させられたと聞いた時は生きた心地がしなかった。
今年11になるウィルフレッドは、ユインとは違って魔法よりも剣技に興味があるらしい。ウェサラにある有名な剣術道場に通うため祖父(ユインではなく妻の父、つまりユインの義父)の家に預けられていたのだが、“怨獄の薔薇姫”に襲われてウェサラが壊滅したことでユインが居るテイラカイネへ逃げてきた。
無事な姿のウィルフレッドを見た時、ユインは五体投地せんばかりに喜んだ。
多くの人々が殺されたし、ウィルフレッドと一緒に逃げてきた義父も強行軍が祟って体調を崩し亡くなってしまった。それでも息子だけでも無事で良かったと思わずにはいられなかった。
ただ、ユインはひとつ気に掛かっていることがあった。
ウィルフレッドが剣の話をしないのだ。
寝る間も惜しんで素振りに打ち込むような剣術バカだったウィルフレッドが、じっと空を見て何かを考えてばかり居る。
あんな事件を経験した後だ。息子の変化が気に掛かる。
様子見に徹していたユインだったけれど、この日はついに思い切った。
「ウィル……訓練用の剣、買い直さなくていいのか?」
買い込んだ食材を抱えて歩くウィルフレッドが、ぴくりと肩をふるわせた。
ウェサラから身ひとつで逃げてきたウィルフレッド。もちろん愛用の剣も持っていなかった。
だがこれまで、新しい剣をくれとユインにねだったりはしていない。
「それは……えっと……今はいいや」
「んー……そのうち買い直すのか?」
「たぶん……」
足下に目を落としながらウィルフレッドは言った。
「……剣術は結構できると思ってたんだ。道場では大人にも勝てたし。
だけどオレ……ウェサラが襲われた時、ぜんぜん戦えなかったんだ。
一匹とか二匹くらいなら倒せるかなって思ってたのに、実際見たらあいつらに勝てる気がしなくって……剣を放り出して逃げちまった……
そんな中でも戦ってる人は居たんだ。
そういう人はみんな、信じられないくらい強くって、オレなんか絶対にかなわないだろうなって思った。
敵も味方もすごすぎて……戦いってこういうものなんだな、ってなって……
オレなんかがいくら剣をやっても、あんな怖い世界に入っていくのは無理じゃないかって思ったら……こんなの、意味あるのかなって……」
ああ、そうかとユインは腑に落ちる。
どんなに真剣にやったとしても訓練と戦場は違う。初陣で平然としていられるのは頭のおかしい奴だけだ。初めて本物の戦場を見た者は、農兵だろうが騎士だろうが冒険者だろうが傭兵だろうが筆舌に尽くしがたいショックを受けるものだ。
それを、ウィルフレッドはこの歳で経験してしまった。
さらにウィルフレッドは、剣の心得があるせいでかえって自分の弱さを実感してしまったのだろう。彼がウェサラで何を見たかユインは知らないが、自分とは遙かに力の差があるモンスターや、それと戦う一流冒険者を見たとすれば二重のショックだ。
無慈悲な世界を知ってしまい、自信を無くす。
それはユインにも覚えがあることだった。
師匠と一緒に山ごもりをさせられた修業時代。腹を空かせて襲ってきたはぐれオーガと、それをたったひとりで討伐した師匠。震えて見ているしかなかった若き日のユイン……
ユインは結局、師匠ほどの魔術師にはなれなかった。だがそれでも今こうして騎士として勤めて飯を食い、幾度かの戦いから生還した。
「逃げて正解だ。どうせお前じゃアンデッドモンスターにかなわない。勝てない相手からは逃げるのも大切なことだぞ」
「ええ!? 逃げていいの!?」
荷物を取り落とさんばかりにウィルフレッドは驚いていた。
「だ、だって戦う人が逃げたりしたらみんな、戦えない人とか、そういうのを守れないでしょ!」
「違うぞ。勝てない戦いをしてやられるのは無駄死にだ。次に勝つために逃げるんだ」
まあ現実は、兵は往々にして誰か偉い人のメンツのために無駄死にを強いられたり時間稼ぎの捨て駒にされたりするのだが、それはそれとして。
「勝てない相手はみんなで協力して倒すとか、自分より強い仲間を呼んで倒してもらうとか……それが頭のいい戦い方ってやつだ。そのためにはまず生きてなきゃダメだろ。
全部の敵に勝てなくてもいい。戦場へ出て行くのに、アホみてえに強くなる必要なんて無いんだ。半端に強い奴にだってそれなりの仕事があるんだぜ。……でなきゃ俺が騎士なんてやってられるわけが無ぇ」
ユインは胸を張り、ぐっと親指で自分を指し示した。
「いつも言ってるだろ? 父ちゃんはワームを倒したことがあるんだって。
騎士団の仲間たち20人と協力して、だけどな!」
ウィルフレッドが苦笑した。
ワームは巨大なミミズみたいな外見をしたマイナードラゴンだ。
攻撃手段は体当たりと噛みつきくらいしか持ち合わせていないが、巨体であるが故のパワーとタフネスは脅威。並の冒険者パーティーでは太刀打ちできない。
どこから迷い込んだのか領内にワームが出てきた事がある。間が悪いことに任せられそうな冒険者もおらず、ユインたち騎士団が緊急出動し、ワームを討伐したのだ。
地面を耕すように潜っては地中から襲い来るワーム。大混乱の戦いだったが、あいつの口の中に放り込んだ≪爆炎火球(ファイアーボール)≫は生涯最高の一撃だったとユインは思っている。
「だからな、そんな怖がる事ぁないって。まあどうしても怖いってんなら剣を止めるのもいいと思うけどよ。
いざって時に助けてくれる仲間が居れば大丈夫だ。
お前がどこで戦うことになっても仲間は出来る。お前なら絶対に出来る! だから心配するな、大丈夫だ!」
「ちょ、落とすって!」
ユインがバシバシと背中を叩くと、ウィルフレッドはよろけた。
ただそれだけのことがおかしくてふたりは笑ってしまった。
「お父さん。やっぱり練習用の剣、買ってよ」
「また剣をやるのか」
「うん。でもオレ、『半端な強さ』で止まらないようにがんばる。オレ、どんな相手からも逃げなくていいくらい強くなるよ!
それで立派なサムライになるんだ!」
「……騎士じゃないのかい?」
「で、もしダメだったら誰かが助けてくれるよな」
「そうそう!」
しおれかけた花に水をやったかのようだ。
思い悩むような表情ばかりしていたウィルフレッドが、久々に活き活きとした様子だった。
「よっしゃ、今日からまたやるぞ!
しばらく剣振ってなかった分を取り返さなきゃ!」
「この街でも先生を探さないとな。知り合いに聞けば、まあ誰かが知ってると思うが……」
「バッカ野郎! 二度と来るかこんな店!!」
割れ鐘のような声がふたりの会話に割り込んできた。
「ちーっくしょー! なんだってんだ、あのクソオヤジ! 女のケツ揉んだだけで顔真っ赤にしやがって。あー、くそ、腕もへし折っときゃよかったか」
「前歯貰ったんだから充分だろ。ダーッハハハハ!」
前方の酒場から3人の男たちが飛び出してくる。
山賊めいた容貌の彼らはしかし、ならず者ではなく、太陽の紋章がでかでかと描かれた胸部鎧とグリーブを着けている。腰に吊った剣もまあ立派なものだ。
――ノアキュリオ兵か。
ウェサラにやってきたノアキュリオの援軍部隊は、今はその半分近くの兵力をテイラカイネに割り振っていた。彼らは到着したその日から街壁のすぐ外に陣地を構築し駐屯している。
と言っても、ずっと陣地に籠もっているわけではない。兵たちは順繰りに街に来て、細々したものを買うなり気晴らしをしていた。
商売人たちにとっては大きなビジネスチャンスだが、トラブルも起きている様子だ。格式ある家柄の貴族なら兎も角、腕っ節自慢で血の気が多い兵というのはどこの軍にだって居る。そんなのが大挙してやってきたら何が起こるかは火を見るより明らかだ。
――しかし、彼らのおかげで街は守られている……ウィルの命も……
エドフェルト侯爵の騎士団だけでは“怨獄の薔薇姫”に対抗できない。しかし今、この街にはノアキュリオ軍が居る。
ノアキュリオ軍が仮の本拠としているウェサラを別にすれば、このテイラカイネは国で一番安全な場所だろう。
とにかく、こういった連中とは関わり合わないのが吉だ。
ユインは道脇に避け、軽く会釈をしながらノアキュリオ兵たちと擦れ違った。
正確には、擦れ違おうとした時だ。
「おい。そこのガキ、今俺を睨みやがったな」
ノアキュリオ兵Aが立ち止まり、酒気で真っ赤になった目をユイン達に向けた。
ユインは氷の手で心臓を掴まれたような気がした。
「え? えっ……」
「睨みやがったなって言ってんだよ!」
「うわっ!」
Aがウィルフレッドに掴みかかった。
ウィルフレッドの抱えていた包みが落ちて石畳の上に芋が転がった。
慌ててユインは割って入ろうとする。
「待ってくれ! 息子のことが気に障ったなら済まない。こいつはもともと目つきが悪いだけなんだ。悪く思って見ていたわけでは……」
「言い訳してんじゃねぇーよ!」
「ぐっ!?」
握りしめた拳がいきなりユインの顔目がけて飛んで来た。
痛いとか感じる前に視界が白黒に明滅し、鉄臭いニオイが鼻の中に広がった。
世界がぐるんぐるん回っている。だが、胸ぐらを掴み上げられたような気がした。酒臭い吐息がユインの顔に掛かる。
「ぐ、お……」
「あぁ!? 誰がこの国を守ってやってると思ってんだよぉ! 雪ん中歩いてこんな田舎まで来てよお!
お前ら! 敬意が! 足りねえんだよっ!!」
「ぐはっ! がふっ!」
岩のような拳が立て続けに振るわれる。
頭の中でぐわんぐわんと鐘が鳴っていた。
「おいおい、その辺にしとけよ。死んじまうぞー? ハッハッハ!」
「そりゃいい、何発殴ったら死ぬか賭けようぜ。ダハハハハハ!」
一緒に居たBとCはAを止めるでもなく、ゲタゲタ笑いながら見物していた。
ふたりのヤジに煽られるようにAはますます力を込めてユインを殴りつける。
「はうっ!?」
だが。その手が急に止まった。
Aの股間に突き刺さったウィルフレッドのパンチによって。
「いっ……てええええ!!」
「お父さんを離せ!」
「うるせえ!」
「あう゛っ!!」
すぐさまAはウィルフレッドを蹴りつけた。
グリーブ付きの蹴りがウィルフレッドの腹に叩き込まれ、ウィルフレッドは昼飯を吐き戻しながら石畳の上を転がった。
「つ……けっ、けほっ……うぇ……」
「ウィル!」
身を折って腹を抱えるウィルフレッド。
Aは青ざめた顔で股間を押さえながら……剣を抜いた。
「こ、のクソガキぁ! 舐めやがって!」
ギラリ、と日の光を受けて剣が輝く。
一般兵に支給する数打ちの剣さえ、ノアキュリオの軍では良質だ。業物とは言えないが必要充分の品質で規格化されている。
考えがまとまらない。つまり、つまり。
ウィルフレッドを殺すには充分だ。
「てめぇらが息してんのは誰のおかげだと思ってやがる! 犬の国がご主人様に噛みついてんじゃねえ!
犬は犬らしく尻尾振ってりゃいいんだよ! 思い知れえええええええ!!」
獣のように吠えながら兵士Aはウィルフレッドに躍りかかった。
時間が止まったように間延びして感じられた。倒れて動かないウィルフレッド。振り上げられた剣。ニヤニヤしながら見ているふたりの兵士。
ユインは両手の指を組み合わせ、印を組んだ。
「≪爆炎火球(ファイアーボール)≫!!」
紅蓮の炎が兵士Aの頭部を直撃した。
杖無しでの魔法行使は大きく威力を減ずるが、しかし、それは無防備な人間ひとりを殺すのに充分だった。
炎が爆ぜ飛んだ後に残っていたのは、表面が炭化して煙を上げる焼けただれた顔。
彼の身体は力を失い、膝を突き、ドウと突っ伏した。
兵士BCは、何が起こったのか分からないという顔をしていた。
「こ……こいつ魔術師だ!」
「やべえ、逃げろお!」
倒れた兵士Aも置いて、BCは全速力(だと本人たちは思っているのだろうが実際は千鳥足と言った方が適切な速度)で逃げ出した。
後に残されたのは、物言わぬ屍となった兵士。倒れたウィルフレッド。散らばった買い物。ボコボコに殴られたユイン。
「お、お父さん……」
「大丈夫か、ウィル」
まだ頭がくらくらしたが、ユインは這いずるようにしてウィルフレッドの所まで行った。
――くそ、くそっ! どうしてこうなったっ……!!
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