[1-65] 今はまだ孤高の白薔薇
王城陥つ。
特にお触れが出されたわけでもないが、王都に居る全ての人々がそれを分かっていた。
戦いの音が絶えて久しい王城には、鮮血で描かれた薔薇の旗が掲げられ、城壁上の歩廊をアンデッドが闊歩する。
ようやく近隣の領から大規模な軍勢が駆けつけ始めたが、全てはもう終わっていた。
王城に掲げられた旗を見た騎士たちは街道上で歩みを止めた。
国最強の騎士団を打ち破り、最強の戦士である第一騎士団長すら倒した化け物を相手に王城の奪還などできるはずが無いからだ。
街壁には見張りのアンデッドなど配置されていなかったが、それでも何かを憚るように、王都に足を踏み入れることはなかった。
* * *
「あ…………ぁあ……あ、あぁ……あ、あ……」
城の前には処刑台がしつらえられ、そこでは緩慢な処刑が続けられていた。
悲鳴とも言えない切れ切れのうめき声が断続的に流れる。
磔の台にローレンスが掛けられていた。
ローレンスだったものが掛けられていた。
その上半身は未だ本来の形を残している。
だがその下半身は、ローレンスの本来の身体の3倍くらいはある、ぶよぶよとして脈動する肉塊に置き換えられていた。
処刑台の上には数体のゾンビたちが群れていた。彼らは食欲のままにローレンスの肉体を喰らっていく。ひと噛みひと噛み、そのたびにローレンスはうめく。
舌を引き抜かれ喉を潰されている彼は、もはやまともな声を出すことも叶わない。
ゾンビに肉体をむさぼり食われているローレンスだが、しかし死なない。
ダメージが許容量を超える前に、付き添っているリッチが回復を飛ばすからだ。
ただし、それは人族用の魔法ではなかったが。
「≪
リッチが魔法を使うのに合わせて、『処刑人』を勤めていたゾンビのうち一体がローレンスの下半身の肉塊へ倒れ込んだ。
ゾンビはそのまま肉塊に融合していき、引き替えに傷つけられたローレンスの身体は回復していく。代わりのゾンビが1匹、処刑台に上がっていった。
この下半身は、言うなれば燃料庫だった。上半身を再生するための材料や、ローレンスが死なないための栄養をここから供給している。
死体を継ぎ接ぎするようにして命を繋いでいる今のローレンスは、人族と言うよりも、もはや
だがまだ命が終わっていない以上、彼の魂は肉体を離れておらず、人としての意識も失ってはいない。
頭は磔台に縛られて固定され、真っ正面を向かされていた。
その先にあるのは、スケルトン達が捧げ持っている大きな鏡だ。城内から持ち出したものである。
夜にはしっかり魔力灯でライトアップされるこの鏡を通して、ローレンスは異形と化した自身の姿を見続けることになる。
敗北の証明を。かつて栄光の第一騎士団長であったものの成れの果てを。
処刑台の前には見物人のためのスペースが設けられている。
そこに市民の姿は無いが、単にアンデッドが恐ろしくて近寄れないだけだ。
広場に通じる道、その建物の影からならばローレンスを見る者の姿がある。
恐ろしさと気色悪さのあまり嘔吐・卒倒する者がちらほらとあった。
絶望のあまり跪き神に祈る者があった。
そして……嗤う者があった。前王エルバートを裏切った騎士団長の末路に溜飲を下げる市民があった。
「
* * *
城壁の反対側では、ヒルベルトが同じ目に遭っていた。
「ぐうっ……う、が、あっ………」
臓腑を喰らわれる苦痛に耐え、喉の奥からこみ上げてくる血を吐きながら、それでもヒルベルトは必死で前を見ていた。
鏡の中には見るに堪えないおぞましい姿となった王が居る。こんなものを民に見せるなど王としてあっては成らぬ事。どのような窮状であろうと自らを繕い、民の旗印となることもまた王の役目なのだから。
もはや自分が助かる術は無く、死だけが唯一の解放なのだとヒルベルトは分かっていた。
だが、それでも自分を救うために何者かが訪れるかも知れない。だとしたら、その勇者とは王として語らわねばならない。
その想いだけでヒルベルトは正気を保っていた。
……そんなヒルベルトの考えを見透かし、ルネが次の責め手を用意していることなど知りもせず。
* * *
はじめは三々五々、やがて大きなキャラバンのように連なって、王都の人々は逃げ始めた。
アンデッド達は皆、城に篭もってしまっているので、逃げようと思えば逃げられるのだ。
ある者は馬車に家財を積み、ある者は荷車を引き、ある者は背負い、ある者は身ひとつで。
集合しつつあった援軍は、ただ避難民の誘導に当たる事になった。
アリの行進みたいな避難の光景を、ルネは王城のバルコニーから眺めていた。
「逃げなさい」
謳うようにルネは呟く。
「いつかは殺すとしても、やがて滅ぼすとしても、今はそういう気分じゃないから。
恐れ、逃げなさい。束の間の悪夢に憩いなさい」
あの中にはクーデターに喝采を上げた者も、ルネの処刑を熱望した者も居るはずだ。皆殺しにしたっていい。避難民の列にここから≪
だけど今は、国をひとつ滅ぼした時点でお腹いっぱいだ。国を失った人々は大混乱のただ中に突き落とされた。皆が苦境に立たされ、ある者は死ぬだろう。今はそれで充分だ。
あまり立て続けに残虐行為をすると……心が軋む。だから今はここまで。
――『気まぐれで行動が読みがたい』とか思ってくれたら、もっと怖がってもらえるかな?
ちょっと強がって、ルネはそう考えた。
それに殺すばかりが復讐とも限らない。後悔させ、絶望する時間を与えることもまた復讐だ。
だから今はここまで。
「さて」
ルネはバルコニーを後にして城の中に入る。すぐそこが謁見の間だ。
謁見の間にはぎっしりと人骨が敷き詰められていた。
王都の戦いで用いたアンデッド兵……だったものだ。
出しっ放しにしていると魔力を食うので、使わないものはひとまずただの屍に戻しておいたのである。
精鋭のグールだけが玉座の周囲で静かに跪き、ルネを出迎える。
玉座にぴょいと飛び乗って腰掛けたルネは、禍々しく荒涼とした景色を眺める。
汚れた骨に満たされた広間。真白かった壁には呪いの血によってでかでかと赤薔薇が描かれている。
「次はどこを滅ぼそうかしら?」
* * *
ジレシュハタール連邦の首都・サクタムブルクの冒険者ギルドは、巨大な連邦全体だけでなく、周辺国家のギルドをも統括する立場にある『北西域本部』である。
シエル=テイラ王城より大きな建物の中では冒険者と
そんな建物の最上階に近い場所。
外国の元首を迎えて首脳会談をしたってよさそうな会議室にギルド高官たちが集まっていた。
円卓に座した彼らの手元には、魔法で転写された資料の紙が配られている。
そのうち1枚はシエル=テイラの冒険者ギルド支部によって作成されたネームド手配書。
祈るように静かに目を閉じ、自らの首を捧げ持つ美しい少女の絵が描かれている。
議題はネームドモンスターの広域指定。
普通、ネームドモンスターは活動域のギルドが個々に指定するものだが、強すぎるとかあちこちを移動しているとか、影響が広範囲に及ぶ場合は本部の査定を経て広域指定の措置が執られるのだ。
「仮にも一国を滅ぼした魔物に
ネームドモンスター選考委員の男が焦れたように言う。
これに議長が返事をした。
「あくまで仮指定だ。追って調査は必要になるだろう」
「
「左様。
「注釈付きというわけですか」
「そうなるな」
手配書を見て数人が唸る。
強力なモンスターの存在が突然明るみに出ることはままあるが、それはモンスターが育っていく過程を見逃し、驚異的なレベルになって初めて周囲が認識したというものが多いのだ。
対して、この事例は本当に生まれたばかりのモンスターなのに規格外の力を持っている。
誕生までの経緯も含めて、あまりにも物語的だった。
だが、物語は物語として楽しむから良いのであって、リアルな悲劇の舞台に上げられてしまってはたまらない。
「しかしこれは……怠慢もいいところではありませんか。
誰かがそう言うと、円卓に座すうちのひとりに皆の視線が集中する。
卵のようなフォルムをした肥満体型の老人である。シエル=テイラのギルド
本来、ネームド指定された事例はどんなに小さなものでも上位の本部に報告が出されるものだ。広域指定が必要か、何か要注意の情報が紛れていないかを精査するためである。それが出ていなかったのだ。
白髪が僅かに残るだけの頭をぼりぼり掻きながらシエル=テイラのギルド
「文句は当時の政権に言ってくださいませんかね。彼らが情報を出し渋ったお陰で、居るとも居ないとも言えなかったんです」
「文句を言おうにも、当事者はもうこの世に居らぬか」
「全く、面倒な置き土産を残してくれよって……」
強大なネームドモンスターを生み出す原因となったシエル=テイラ最後の王に対しては、皆、忌々しげであった。
そこに強い魔物が居れば冒険者ギルドにとってはビジネスチャンス……とは限らない。
メンバーである冒険者の安全確保のための仕事が増える場合もある。特に広域ネームド指定を必要とするような大物が相手なら、尚更だ。
「では決を採ろう。
シエル=テイラ王国にて確認されたデュラハンロード変異体、あるいはリッチロード変異体と目される魔物。これを推定脅威度・
「「「異議無し」」」
かくして全会一致でネームド指定は決定された。
だが、やがて彼らは知る事になる。
ネームドモンスター"怨獄の薔薇姫"。やがて彼女は世界を……
「では次の報告である。南海のカリスト機械化海賊団の活動域においてシーサーペントの出没頻度が……」
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