[1-64] まあ光秀よりは長い天下
城壁上を逃げ惑う騎士に、アンデッド空行騎兵の投げ落とした手槍が直撃する。
「ぐあああっ!」
腹部を貫かれて倒れた騎士はまだ息があったが、回収すらされず捨て置かれる。そんな事をしている余裕が無いのだ。
「≪爆炎火球(ファイアーボール)≫!」
「≪
壁上目がけ押し寄せる攻撃魔法は、波状攻撃の様相を呈する。
城壁そのものは守られていても、その上に立つ騎士までは守り切れない。門塔や側防塔に撤退するしかない状態だ。倒れた者はそのまま巻き込まれて命を落とした。
騎士たちの動きは阻まれ、掛けられた梯子を倒す事はもはやかなわず、壁上はアンデッド兵でごった返す。不死の軍勢は騎士たちが逃げ込んだ櫓や側防塔へなだれ込んでいく。
「ひとりたりとも楽には死なせないわ!
無力化したら肉を少しずつ千切り取って殺しなさい!」
ルネも二刀流状態で自ら乗り込んでいったが、もはやルネが戦うまでもなかった。
ローレンスの死によって戦意喪失した第一騎士団は、絶望の中でアンデッド兵に蹂躙され皆殺しにされていく。
中にはひとりで数十のアンデッドと渡り合うような猛者も混じっていたが、それでさえ勢いを押し返すには至らない。
壁の下ではミスリルゴーレムが動力を抜かれ、鹵獲されていた。
『姫様、ヒルベルトが居ないようです。おそらく脱出用の隠し通路を……』
ルネの持っていた
本陣のジェラルドは各隊長からの報告を受けて全体の状況を把握するよう努めているのだ。
城壁を制圧中の部隊は同時にヒルベルトを探しているのだが、見当たらないようだ。
「そうね。居るわ。すぐ下に」
感情察知の範囲を広げると、怪しい反応が地中にひとつ。
ルネは城壁から王城の前庭に飛び降りる。
思念で指示を出すと、周囲にすぐにアンデッド兵たちが集まってきた。
そしてルネは手早く詠唱し、魔法を行使する。
「……≪
土を操作して地形を変える魔法で、庭の真ん中に穴が開いた、そして。
「わああっ!?」
どこかのカートゥーンの演出みたいに穴から男が飛び出した。下から地面が盛り上がって彼を弾き出したのだ。
狭いトンネルを這い進んでいたらしい姿勢のまま放り出された彼は、ぴしゃりと閉じられた穴の上に不格好な着地をする。
ローレンスよりも豪華な装飾の鎧を着た男だ。
中肉中背程度であまり貫禄は無い。三十代後半くらい。髪とヒゲは茶色に近い赤毛で、それをちょっと膨らませ気味にして細い顔を大きく見せていた。
状況からして、彼がヒルベルトなのは間違い無い。
「はじめまして、叔父さま。
わたしはルネ・“
お近づきの印に死んでくださいます?」
這いつくばっていたヒルベルトは周囲を見回して飛び起き、剣を抜きながらルネの方に向き直った。
装備も剣も豪華に装飾され、漏れ出る力から上質のマジックアイテムである事は分かるが、それだけだ。
テイラアユルのような絶大な力は無く、身につけるヒルベルトも、見たところ普通に剣術を習っただけの平凡な戦士。
それでもヒルベルトは見栄を張り、後には退かずに立っていた。
「ふ……ならば私も死ぬ前に名乗ってこう。
シエル=テイラ国王。ヒルベルト・"
「あら、戦うの? 命乞いをする方が利口だと思うのだけど」
「今は私こそがこの国の王であり、国を背負う者。民を導く者。そしてお前と戦った軍の将だ。
逃げること叶わぬなら最後のひとりになろうと私は戦う。それだけだ」
ルネはヒルベルトの心から恐怖を読み取っていたが、彼の姿を見る限りでは気負いも恐怖も感じられない。
それは王としての意地だ。旗印となるべき者が恐れをなし、情けなく狼狽えていては兵は戦えなくなる。
ここで命乞いをするようならまだ可愛げがあるというのに。王位を簒奪した身でありながら良き王としての体裁を取り繕っているヒルベルトの態度は、ルネにとって不快でしかなかった。
「……殊勝ぶっても遅いわよ、ヒルベルト。そのお綺麗な立ち姿で、純粋無垢な外道たちを何人騙したの。
たとえ望んだのがあなたでなくとも、わたしの血を流したのはあなたなのよ。
格好付けたところで行き先は毒草の肥料だから安心しなさい」
「神よ……!」
祈りの言葉と共にヒルベルトが地を蹴る。
突進する。
遅い。
「ぐ、がっ……!!」
その剣はルネに届きすらせず、割って入ったアンデッド達に滅多刺しにされ、立ち往生した弁慶もかくやという逆ハリネズミ状態になった。
「報い……か…………」
ごぼりと、ヒルベルトの口から血の塊が吐き出される。
だが、死なせはしない。ローレンスもそうだが、神との契約によって魂を保護してあるに決まっている。
殺してしまえば苦痛はそれっきり。死という一瞬の苦しみなど、とても罪に釣り合わないとルネは思っていた。
「楽に死なせはしないわ。……≪
決して、人に行使すべきでない魔法をルネは使った。
* * *
「久しぶりね。最後に会ったのはかれこれ2,3時間前かしら?」
「なっ……!」
独房に現れた銀色の少女を見て、バーティルはベッドから跳ね起きた。
なぜか服を着替えていることを除けば、幻像通話符(ヴィジョナー)による会談で見た姿そのままだが、映像ではない。本物だ。
それが王城の地下の牢獄に。
「あーらら、両腕切られちゃったの? ひどいことするのね」
幻像通話符(ヴィジョナー)で会談した時のしおらしい様子とは打って変わって、ルネは傲然としている。
しかし不思議と、ルネから受ける印象が変わった気はしなかった。
「何故ここ……いや、そうか……復讐を遂げたのか」
「ええ。裏切りの騎士団長ローレンスと僭主ヒルベルト
含みのある言い方だった。
「まだ終わっていないのか……すると次は俺なのか?」
「うーん……そういう気分になるかなって思って見に来たのだけど……」
考え込むルネの姿は、編み物の柄でも悩んでいるような可愛らしいものだった。
バーティルは神秘的に輝く銀色の目にまじまじ見られていると、ルネが強大なアンデッドである事も忘れて思わず抱きしめてしまいそうだった。まあ今は両腕が無いのでどのみち不可能だが。
不思議と、ルネの姿には庇護の情を掻き起こされる。女帝の如き威厳に満ち、絶対的強者の風格を見せているというのに、それでもなお、彼女はどこか危うい。
――何故だろう。彼女には……誰かが抱きしめて頭を撫でてやる必要があるんじゃないかって、そんな気がして仕方ない。
「結構どうでも良いわ」
長考の果て、ルネは判決を下す。
正直ホッとしたバーティルだった。
「後々役に立つかも知れないし、あなたは逃がしてあげてもいいわ。その状態でどうしてもわたしと一戦交えたいって言うなら、心を込めて切り刻んであげてもいいけど」
「まさか。それは完膚なきまでに犬死にだ。逃がしてもらえるというならその温情に縋って生き延びよう。そしてひとりでも多くの民を救わねば」
「そういうところよ。考えは理想主義的なのに、行動は合理的で妥協主義。必要とあればわたしとの交渉にも応じる。そういう偉い人が残ってると都合良いのよ」
ルネは冷たく、しかし楽しげに笑う。
「残党どもを掃除するには、ね」
冷や汗が吹き出したのは怪我のせいばかりでもあるまい。
未だ領主たちはほぼ健在であり、そこに住まう民も居る。
だが領主たちをまとめるべき王は既にこの世の者でなく、"怨獄の薔薇姫"に個として比肩しうる最高戦力だったローレンスも死んだ。
今やシエル=テイラの人々は、"怨獄の薔薇姫"の誅戮を待つばかりの身となってしまったのだ。
「そうか、君の復讐はまだまだ終わらないのだな……」
バーティルは全身が一気に重くなったかのように錯覚する。
それでも顔を上げ、せいぜいキザに格好付けてルネに笑いかけた。
「なら俺を生かす選択はきっと正解だ。陛下……ヒルベルトでいいか。ヒルベルトに与した貴族たちの首をきみに売って民の命を買えるなら、俺は喜んでそうするだろう」
ルネは満足げに微笑んだ。
有用だと思ってもらえているなら交渉の余地がある。
ローレンスが死んだ今、"怨獄の薔薇姫"から民を守るべきは自分なのだという自負がバーティルを突き動かしていた。
剣を交えるだけが戦いではない。少しでもマシな負けになるよう敗戦処理をすることもまた、戦いなのだ。
「そうそう。ひっどい目に遭わせちゃってごめんなさいね」
「俺が今ここに居るのは、君の計略なのか?」
「半分はね。もう半分はローレンスがバカだっただけ」
何にせよバーティルは嵌められたわけで、ルネはそれを謝罪したわけだが。
『いたずらがバレて、特に悪いとも思ってないけどお母さんに怒られるから口だけ謝ってる子ども』みたいな雰囲気が漂っていた。
「……悪いと思ってるようには見えないな」
「悪いと思ってないもの」
ルネがあっさりと白状したのでバーティルはずっこけそうになる。
「罪の意識は感じてないけど、自分が酷い事したのは分かってるわ。今後も付き合いがありそうな相手だもの、形式的に謝っておくくらいはするべきじゃない?」
「ぶっちゃけすぎだろ」
「わたしなりの誠意よ」
なるほど、とバーティルは思う。
ルネは自分がした事に対する立場と考えを開示した。罪悪感が無いなりに一応気にしているんだということを宣言した。
言い換えればルネは自分が精神的に破綻していることをちゃんと客観的に分かっていて、その上でバーティルに歩み寄ってやっているのだという気がした。
なんとなくバーティルはルネに対して『異質な精神構造を持つ』と言うよりも『壊れている』と形容する方が正しいように思えた。
ほんの10歳の少女を完膚なきまでに破壊し、復讐鬼に変えてしまった奴らが居る。
――ああ、やはり痛ましい……
「あなた、わたしに仕えてみる気は無い? もちろん生きたままで」
唐突にルネが問う。
これにはさすがにバーティルも驚いた。
手下のアンデッドをいくらでも出せるだろう彼女が、わざわざ誘いを掛けてきている。
それほどまでに買ってもらえるなら光栄という気もしたが、それでもバーティルは首を振った。
「遠慮しとくよ。きっと俺はそのうち、
バーティルの目的はひとりでも多くの民を助けること。
そのためにはクーデターだって見逃すし、邪神にだって魂を売る。
だがそれは、長期的に見ればどこかで破綻するやり方だ。
売り渡せるものが無くなる時が来る。バーティルがどうしても守りたいものにルネが手を伸ばす日がきっと来る。そうなればバーティルは戦わずには居られないだろう。
やがて道を違えると分かっていながら欺瞞の主従関係を結ぶのは嫌だった。
「そう」
短く言ったルネは、ほんの少しだけ寂しそうに見えて、バーティルは胸が締め付けられた。
願わくば、と祈らずにはいられなかった。
願わくば彼女の孤独を慰める何者かが現れんことを、と。
「では、しばしの別れね。さようなら、気高きコウモリさん。また会うこともあるでしょう」
「会わずに済むならその方が良いんだがね……」
前途に待ち受ける苦難を思うと、揚々した気分にはなれなかったが、しかしバーティルはよろめきつつ立ち上がる。
「よければ、義手の一本も貰ってっていいかな。宝物庫にひとつくらいは魔動機械(アーティファクト)があると思うんだが」
「許す。わたしの慈悲として特別に賜わすわ。ただ、これは貸しよ。今や宝物庫の中身は砂一粒さえわたしのものなんだから」
「ありがたき幸せにございます、姫様」
「……ふふっ」
「はははっ」
慇懃にバーティルが礼をして、ふたりは同時にちょっと笑った。
暖かな風が吹き込んだかのように、その一瞬だけは平和な空気が流れていた。
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