[1-66] 今はまだか弱き摘み手

 キーリー伯爵ことオズワルド・ミカル・キーリーは、王宮からの招集に対してすぐさま反応し、騎士たちを率いて王都へ向かっていた。

 だが、明け方に出発して半日も行かぬうちに王都陥落の報を受け、急遽取って返していた。

 

 既に第一騎士団長と王は討ち取られたとの情報もあった。これは(もしあの状態のふたりをまだ『生きている』と言えるなら)誤報であると後から分かったが、今さら自分が数日掛けて王都に駆けつけたところで意味が無い状態だという判断は結果的に正しかった。


 大混乱の王都周辺から伝えられる情報は乏しかったが、悲惨な戦いが起こったことは分かった。

 滅亡か、再興か……

 いくつもの未来予想図がオズワルドの頭に浮かんだ。

 だが、たとえどのような結果になろうとも、今は所領の民を守らなければならないという事実は変わらない。それは単純に優先順位の問題だった。


 * * *


 キャサリンと母を乗せた馬車がキーリー伯爵の居城に辿り着いたのは、王都陥落から3日後のことだった。


「お父さ……」

「キャサリン! よく無事でいてくれたあああっ!!」


 キャサリンが馬車から降りるなり、出迎えたオズワルドは全力のハグをかます。

 本当なら自ら騎士団を率いて迎えに行きたかったほどだが、そういうわけにもいかずやきもきしていたのだ。


「ちょ、ちょっとお父様、苦しいですわ」

「ああ、済まない……」


 跪いてキャサリンを抱きしめていたオズワルドは、キャサリンに振りほどかれてようやく手を放す。


「怪我とかはしていないか?」

「傷ひとつありませんわ」

「良かった……王都が攻め落とされたと聞いて本当に生きた心地がしなかったぞ。無事に逃げられたのなら本当に幸運だった」


 無事で帰ってきたからには幸運にも脱出に成功したのだろう、と当然のようにオズワルドは考えたのだが、キャサリンは首を傾げる。


「あら、その話はまだ聞いていないんですの?

 私、"怨獄の薔薇姫"につかまったけれど何もされずに解放されたのですわ」

「なんだとぉ!?」


 仰天して、オズワルドは紳士にあるまじき裏返った声を上げていた。


 向こうの通信局が大入り満員だったせいで、オズワルドは領への帰路につく途中の妻から『無事だ』と連絡を受けただけで、具体的に何が起こったかの話は聞けていなかったのだ。


「何も、されなかったのか」

「ええ。いっしょにとららえられた王宮騎士の娘たちはどうなったか分かりませんけれど、私は関係ないからと」

「そうか……」


 驚きが過ぎ去ると、今度はオズワルドの胸に苦いものが湧いてきた。


「キャサリン。知っているかも知れないが、あのモンスターは……」

「存じておりますわ。

 クーデターで殺された、前王陛下のご息女にあらせられるのですわよね」

「ああ。その身をアンデッドモンスターに堕とそうとも、彼女はかの気高き前王陛下の御子。

 復讐のためとは言え、無辜の者の血を流すことは避けようとしたのかも知れないな……」


 邪神の尖兵であるアンデッドモンスターは生きとし生ける人族の敵であるはずだ。だが。


 本人には何の咎も無いにもかかわらず、クーデターの熱狂の中で命を落としたルネが、復讐のためアンデッドとして蘇ってなお必要以上の血は流すまいとしている。

 そんな姿は余りにも痛ましく、オズワルドの胸を打った。


 ……実際は、キャサリンを殺さなかったのはもっと違う理由だったが。


「そうだ、キャサリン。お前が気にしていた"竜の喉笛"のことだがな。お前が居ない間に……」


 オズワルドは話を変える。"竜の喉笛"について、冒険者ギルドから幾ばくかの情報がもたらされていたのだ。

 キャサリンはあれほどイリスのことを気に懸けていたのだから、すぐにでも伝えようと思ったのだが……キャサリンは心持ちうつむいて、力なく首を振る。


「いえ、お父様。それは……もういいんですの」

「何?」

「私、分かってしまったような気がしましたから」


 何が、とは聞けなかった。

 それ以上突っ込んで聞くことを憚られるような雰囲気だった。


「……お父様。少し、休ませていただけます?」

「あ、ああ。そうだな、済まない。疲れているだろう。ゆっくり休んでくれ」


 言い置いてキャサリンは、ふいっと行ってしまった。


 * * *


 キャサリンは自分の寝室で、寝間着姿になってベッドに身体を投げ出していた。

 王都での大騒ぎからその後の脱出の混乱、そして馬車での強行軍。もう身体を動かしたくないくらいに疲れ切っていたけれど、全く眠れる気がしなかった。パチパチと薪の爆ぜる音が暖炉から聞こえる。


 ――あれは……最初から、イリスじゃなかったんですわ。


 その考えは、もはやキャサリンの中で確信に変わっていた。


 イリスの姿をしたものと交わした会話を、キャサリンはずっと反芻していた。


 『お母さんが居るだけで幸せだ』と言った時の、底なしに空虚で悲しげな目が忘れられない。

 『みんな不幸』と言った時の、この世の不幸を全て背負ったかのように重い声音が忘れられない。

 それはイリスの言葉だったのだろうか。……そうかも知れない。

 だが、ルネの言葉として考えればあまりにも符合しすぎている。何もかもがしっくりと収まるのだ。


 毎夜、他愛も無い話をした。

 彼女から冒険譚(でっち上げだったのか、本当に『イリス』が体験していたのかは分からないが)を聞き、キャサリンも身の回りの話をして。

 おかしな事があれば笑って。ホットミルクの温もりに嘆息して。

 あれは全部ウソだったのだろうか?

 復讐のため、イリスの身体を借宿として潜伏し、疑いを持たれぬようイリスとしての演技をしていただけなのだろうか?

 楽しくお喋りをしているつもりだったキャサリンを、心の中で嘲笑っていたのだろうか?


 否、とキャサリンは思った。

 復讐者の仮面を脱いだ、ひとりの少女としてのルネがあそこに居たのだと思った。


 ルネはキャサリンにとって同年代の女の子だ。

 もし自分が理不尽な理由で両親を失い、首を切られたとしたらどうだろうかとキャサリンは想像した。

 悲しくて悔しく寂しくて辛くて、とても耐えられる気がしない。


「さびしいに決まってますわ……」


 居ても立ってもいられなくなってキャサリンは窓辺に駆け寄った。

 時間的にはまだ夕方と言えるくらいだろうが、冬は日が暮れるのも早い。空には銀色の月が輝いていた。


 ルネは、“怨獄の薔薇姫”は、大勢のアンデッドモンスターを引き連れて王都を攻め落とした化け物だ。

 そうと分かっているのに、それでもキャサリンはルネを哀れまずにはいられなかった。

 

「ルネ……あなたにお友だちは必要ありませんの……?」


 キャサリンの吐息が窓を曇らせた。


 後に『茨を阻む者』『無力不撓の戦女神』と称される少女、キャサリン・マルガレータ・キーリー。

 その生涯を懸けて、彼女は……

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