[1-37] カルマ

「なんだい……今のは……」


 死の閃光に薙ぎ払われてなおディアナは生きていた。

 とはいえ、それはただ生きているというだけだ。仰向けに倒れた彼女の僧衣はボロボロになり、全身くまなく火傷のような傷ができて、腹部には大穴が開いている。銀の鞭は黒ずんで弾け飛び、もはや聖なる輝きを宿してはいない。

 傍らには、千年の風雨にさらされたように朽ち果てたヒューの骨が転がっていた。


「……“怨獄の薔薇姫”はデュラハンじゃない」


 ディアナの所まで歩み寄ったルネは、骸骨頭に手を掛けた。髪を引っ掴んで、その首を外す。

 身体が肉の重みを取り戻すと共に魔杖が赤刃に戻り、ルネはまたデュラハンスタイルとなった。


「その本体は霊体であり、肉体は何にでもなれるし、何だっていい……


 『最強のアンデッド』とは言い得て妙かも知れない。本体は最高位の霊体系アンデッド・アビススピリットだが、同時にルネは全てのアンデッドでもあるのだから。

 なろうと思えばゾンビやスケルトンにだってなれるし、足りないあれこれをどうにかして補えばドラゴンゾンビにすら化けられる。ひとまず人間の身体から作れて使い勝手が良いのは白兵戦最強のデュラハン。そして、魔法最強のリッチだった。

 リッチ化している間、肉がどこに消えていたのか微妙に疑問だが、たぶん収納系の魔法みたいな原理が働いているのだろう。


 魔力が制限されるデュラハンの状態で魔法攻撃を行い、あれで限界出力だと思わせておき、奇襲的にリッチ化して防御をぶち破ったのだ。

 リッチの状態では逆に白兵戦能力が落ち、外見通り人間の子どもと変わらないレベルになるので、凌がれたら手痛い反撃を喰らいかねない賭けでもあったのだが。


「なんてこった……あたしゃ、最初から負けてたのか」

「そんな事はない。ここで全部終わりになるかもって……少し、怖かった」


 買いかぶられたような気がしてばつが悪くなり、謙遜するようにルネは言った。


 ――待て。なんで俺はこの状況でディアナを褒めてるんだ?


「あんたは……この国を、滅ぼすのかい」

「ああ。この国だけじゃ終わらない。全てに償わせる」

「やめときな、って言ってももう聞きやしないんだろうね……」


 息も絶え絶えのディアナは、しかし、未だにいつも通りのディアナであった。

 どこか飄々としていて、声音は春風のように優しく。


「死ぬ前に、仲間たちと……あんたのために祈る時間を貰えないかな、姫様」


 静かに笑ってディアナは言った。


 ――祈るだって? 俺のために?


「生憎、神なんかに祈ってもらったところで救われない身の上なんだ」

「違う、違うよ。神様が嫌だって言うならそれでいい。

 あたしはただね……あんたの魂がいつか安らぐようにって、そう願わずにはいられないんだよ……

 たとえ神様がこの祈りを聞き届けずとも……あたしの祈りがあんたの運命を変えてくれないかなって……虫のいい考えなのかな、そいつは……」


 動かないはずの心臓がトクンと高く脈を打ったような気がした。


 感情を読めるルネには、そのディアナの言葉が何かの嘘や誤魔化しでない本心だということは分かった。

 だが、その思考に至る過程は分からなかった。


「教えてほしい。ディアナ。あなたは何を考えて戦っていた?」

「言ったろ? あんたが辛そうだったから止めてやりたかった。もちろんベネディクトを助けなきゃってのと……イリスの身体を土に還してやりたいってのもあったけどね……」


 気だるげな彼女の言葉は、熟れ落ちた果実の香りのように甘く聞こえた。

 ふう、と苦しそうな息を吐いて、ディアナは首を動かしてルネを見た。


「だって……可哀想じゃないかい、あんた……」


 弱き者を愛おしみ慈しむ目だった。

 それは、断じて、災厄の如きアンデッドに向けられるべきものではない。


「あんたには……ちゃんと普通の女の子として生きて欲しかったよ。大人のつまんない揉め事で殺されたりせずにね……

 それとも、今からでも……それらしい事をしてみるかい? なに……ちょっと首がもげてるだけだ。遊びに行くのも……勉強するのもいい。オシャレもできれば……恋も、できるかも知れない。旨いもの食ったり酒飲むのは……首から出ちまうかな……

 暇な時でも疲れた時でも……復讐の他にやりたいことが無いか探すといい。なんでもいい……『もう復讐なんてしなくていい』って思えるくらいの幸せを……見つけてくれると、嬉しいね」


 ルネは、体温を持たないはずの身体が燃え上がっているように錯覚した。

 呼吸の必要も無いはずなのに呼吸が乱れる。


「どうして? イリスを殺して、ベネディクトも殺したのに、どうして……!」

「はは……寂しん坊め。そりゃあたしも『なんて事してくれやがった』たぁ思ったよ。憎いか憎くないかって聞かれりゃ、あたしもあんたが憎いさ。

 でもね。それはそれとしてあんたは可哀想だし、あたしにできる事ぁしてやりたかったんだよ。

 だって、あんた、あたしに大事にして欲しかったんだろう……?」


 ――あの言葉を、覚えてて……!


 4人で馬車の護衛をしている時の会話だ。

 あの、子どもの駄々みたいなルネの問いかけをディアナは覚えていた。

 そして、ただルネがそれを求めたからというだけの理由で手をさしのべようとした。


 そうだ。この期に及んで否定するわけにもいくまい。

 ルネはディアナに救いを求めていた。

 生前に失った何かの埋め合わせをしようとするように、ディアナを求めたのだ。


 だけど、ルネは、救われるには遅すぎた。 


 覆水盆に返らずの例えもある。

 とっくに壊れて砕けてしまったルネの心が、愛ごときで満たされることはない。割れた器に水を注いでも満たされることはないのだ。


 復讐。復讐だけがルネに残されている。

 だから、そのために……ディアナは殺さなければならない。


 ――まだだ。まだ“怨獄の薔薇姫”はこっそりと活動しなきゃいけない。あとちょっとなんだ。あと一手なんだ。それまで警戒されちゃいけない。


 かなり暴れてしまった。街に、魔法の光や木が倒れた衝撃に気付く者があるかも知れない。

 誰かが様子を見に来てもいいように速やかに証拠隠滅を計って逃げなければならない。『魔物が暴れていたのかも知れない』程度で迷宮入りしてくれるはず。少なくともルネが動き出すまでの時間くらいは稼げるだろう。


 ルネは赤刃をディアナに向けた。

 向けただけだ。

 殺そうと思えばゼロコンマで殺せるのに、未だルネはディアナを殺さない理由を探していた。


 ――監禁しておく? 連れ回す? 馬鹿な。殺してしまうのが一番早い。確実で安全だ。こんな危険な敵を捕らえておく余裕なんて無い。

   ディアナを生かせば祟る。それに、今トドメを刺さなきゃ回復しちまう……!


 この状況で生きているだけでも驚きだが、それどころかディアナの傷は少しずつ癒え始めている。

 へそから左脇腹辺りに掛けて開いた大穴すら、少し小さくなったような気がする。


「やめときなよ……復讐なんて……」


 ルネの迷いを見透かしたようにディアナが呟く。

 それは命乞いではなかった。


「今からでもやめときなよ……そんなに辛そうな顔をして、まあ……」


 辛いはずがあるものか、とルネは思う。

 ルネは既に、少なく見積もっても四桁の人を殺している。イリスを乗っ取って殺し、ベネディクトもヒューも惨殺した。

 ディアナを斬ったところで、その数字がひとつ増えるだけ。増えるだけだ。何を特別視する必要がある?


 ここでディアナを生かすということは復讐を諦めるのと同じようなことだ。

 ディアナに怨みがあるわけじゃないけど、彼女を殺すことは復讐のためのステップだ。だから殺せばいい。殺すしかない。そのはずだ。

 きっと今は躊躇っていても、実際殺してみればなんとも思わないだろう。そのはずだ。


 ――復讐のため、邪神の加護を受けて蘇った最強のアンデッド……


 奪われた以上のものを奪い、傷つけられた以上のものを傷つける。復讐の対象は、親兄弟も無垢な子どもも、末代に至るまでも祟り殺し尽くす。理不尽に殺す。惨たらしく殺す。ルネを怨み復讐の復讐を企てる者があれば、これを踏みにじり嘲笑う。


 ……必要とあらば咎が無い者も糧とする。


 そんな行いが正義であるはずない。だが、理非善悪などもはやどうでもいい。胸の内に燃えるどす黒い怨みの炎が全てを焼き尽くすまでルネは止まらない。


 だけど。


 だけど。


「ああ、それでも行くのかい。可哀想に。あんたをこんな風にしちまった連中を、あたしゃあ……恨むよ」


 赤刃がディアナの首に浅くめり込む。ディアナは動かない。

 その心に苦痛は無く、恐れも無い。


「……幸あれ」

「あああああああああああっ!!」


 ルネは赤刃を振り抜いた。

 ディアナの首が、飛んだ。

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