[1-24] フンフ~ンフフンフンフ~ン

 イリスルネがキャサリンの寝室に入ると、既にキャサリンは完全にスタンバイしていた。

 ベッド脇のテーブルには湯気の立つホットミルクが二杯。


「さぁ、今晩もあなたのお話しを聞かせてくださいます?」

「ははは……」


 ――ちょっとした切っ掛けひとつで、ずいぶん懐かれたもんだなあ。


 毎晩の日課である、本物と影武者のシャッフルタイム。そのついでにイリスルネがキャサリンに話をするのが追加の日課になっていた。

 今は既にイリスルネは影武者業を解かれていて、ふたりが同じ部屋に入る必要も無いのだが、それでもキャサリンの希望によって夜のお喋りタイムは続いていた。


「ベネディクトからは聞かないの?」

「私は今話を聞きたいし……あなたから聞きたいのですわ」

「分かった。じゃ、今日はアラウェン侯爵領の古城に住み着いたゴブリンと戦った話」


 頷いてイリスルネもキャサリンの対面に座った。

 ホットミルクは砂糖と蜂蜜が適量入っているらしく、甘くて温かかった。


 話す内容には困らない。

 イリスに憑依しているルネは、イリスの記憶にアクセスして読み出すことができる。

 第四等級ガードの冒険者ともなれば過不足の無い『普通の冒険者』だ。ネームドモンスター(当然“怨獄の薔薇姫”よりはかなり弱いが)との戦い、道なき道を行く探検、ダンジョンの攻略と、冒険者らしい活動は『イリス』も一通りこなしている。 


 ――冒険者の知識とか、この先役に立つかも知れないしね。可能な限りサルベージしておくのは俺にとっても悪いことじゃない。


 こうして憑依中に読み出した記憶・知識はルネの側にも定着するが、読んでいない記憶・知識は憑依の解除と同時に失われる。

 なるべく『イリス』の記憶を閲覧しておくことはルネの知識を増やすことに繋がるのだった。


「……で。それがどう見ても罠だったんだけど、あんまり罠っぽいから逆にそうやって目を引きつける囮じゃないかってヒューが言い出したの。

 しょうがないからわたしが離れたところから≪着火イグニッション≫の魔法で火をつけたら……どっかーん」

「あら、まあ。お間抜けね」

「魔法系のゴブリンがいる群れは、ちょっと驚くくらい高度な罠を使うんだけど……たぶんそれを形だけ真似しようとしてたんだと思う」


 キャサリンはいつもイリスルネの話に熱心に聞き入っている。

 だが、表面的には平静を装っていても魔法の話になると……中でも特に、イリスが魔法を使ったくだりになると心がざわついているのを、イリスルネの感情察知能力は読み取っていた。


「魔法の話、嫌?」

「えっ……」


 ストレートに疑問をぶつけると、イリスルネの不意打ちにキャサリンはぴくりと肩をふるわせ、あからさまに狼狽えた様子を見せた。


「……ね、ねえイリス。はっきり言ってくださる? 私、そんなに分かりやすい反応をしていた?」

「そうじゃないけど、なんとなく……」


 まさか『アビススピリットの能力で感情を読み取っています』なんて言えない。


 キャサリンはハの字に眉を寄せて難しい顔をしていたが、やがて観念したように、叫ぶように言う。


「ええ、そうですわ! 私はお母様のようには魔法が使えないもの!

 兄様方もみんな、剣術の助けにするくらいは魔法が使えるのに、私はからっきしなのですわ。

 だから、あなたが魔法を使った話を聞くたびに、才能がなかった自分がイヤになって……それだけなの。イリスのお話がイヤってわけじゃありませんわ」


 イリスルネの話はキャサリンのコンプレックスを直撃していたらしい。


 ――平和な悩みではあるよね……


 ちょっとだけ、羨ましくもあり、疎ましくもあり。

 そんなイリスルネの考えをキャサリンは敏感に察知した。


「……なにかしら、その目は」

「なんでもない」

「言いたい事があるのならハッキリとおっしゃい!」


 目を逸らそうとするイリスルネの顔を掴みキャサリンは無理やり自分の方に向かせる。

 イリスルネも観念して遠慮無く言う事にした。


「お母さんが居るだけで幸せなのにって、思っただけ」


 それは『イリス』としての言葉であり、ルネとしての言葉でもあった。

 イリスは戦災孤児だった。両親を失って神殿運営の孤児院で生活していたが、たまたま訪れたディアナに魔法の才能を見抜かれ、彼女と親交がある魔術師に預けられて修行を積んだという過去があった。

 ルネに関しては、もちろん言うに及ばず。


 端的なイリスルネの言葉。

 それは単純であるだけに鋭かった。

 キャサリンは『しまった』という顔をして、そして消沈する。


「そう……そうですわよね。たしかイリスはご両親を亡くして……

 そんなあなたの前でこんな話をしても、ぜいたくな悩みだったかも知れませんわ」


 しかしイリスルネは首を振った。


「別に……わたしはあなたより不幸だと思うけれど、それを理由にあなたの不幸を否定しないわ。

 程度と方向性は違うかも知れない。でも、みんな違ってみんな不幸なのよ」

「イリス……」


 これは『イリス』の演技ではなく、むしろルネの言葉だった。


 ルネは復讐者である。己の不幸を嘆き、その不幸をもたらした者へ復讐を企てている。

 だからこそルネは他者の不幸を否定しない。

 他の誰かの不幸を『その程度気にするな』なんて言ったら、ルネは自分自身の不幸さえも否定することになりかねない。


「なんだか、ありがとう」

「気にしないで。思ったことを言っただけだから」


 ホッとしたような表情を浮かべていたキャサリンが、ふいに真顔になってこちらを見つめてくる。


「あの、どうかしたの?」

「イリス、冒険のお話は後で良いわ。ちゃんと、あなたのことを聞かせてくださらない?」

「それってつまり、生い立ちとかそういう話?」

「違うわ!

 イリスからは『自分を理解してもらおう』って言葉がぜーんぜん出てこないんですもの。

 さいしょから仲良くなることをあきらめられてるみたいで、ちょっと気分わるいですわ!」

「う……えっと、それは……」


 イリスルネは言葉に詰まる。

 ……鋭い。


 ――だって仕方ないじゃん……! 俺の本当の境遇なんて何をどう理解しろって言うのさ!

   だからってイリス自身のこともあんま突っ込んで話すとボロが出そうで怖いし!


 だからあまり突っ込まれないよう気をつけていたのだが、そういった守備的な態度は見抜かれてしまっていたようだ。


「ほら、また! 困ると靴をすり合わせるクセ」

「あ。ご、ごめんなさい……

 なんだか胸の中につっかえてる考えがあると、身体の据わりが悪いみたいな気がして……」

「『直しなさい。私にそんなクセはありませんわ』……って3回くらい言いましたわよね」


 マナーの先生みたいな調子でキャサリンはびしっとイリスルネの足下を指差した。


 ――まじーまじー。うっかり『イリス』に無い癖を“竜の喉笛”のみんなの前で見せたら怪しまれるかもだよなあ。今は別れて行動してるから大丈夫だろうけど、気を付けとこ……

   潜入捜査も楽じゃないなあ。


「イリス……私がもうじき王都へ行くのは知っていますわよね?」

「うん」


 その辺りの事情はイリスルネも聞いていた。

 なんでもヒルベルトが諸侯の家族を王都に住まわせるようにと言い出したらしい。通達が出たのはヒルベルトが政権を掌握して割とすぐだったとか。


 理由はなんやかやと並べられているようだが、ちょっと歴史を囓っている日本人なら何が狙いなのか分かる。諸侯の家族を人質にして謀反を防ぐのだ。江戸幕府においては大名証人制度とか言ったはずだ。

 オズワルドは拒否したかっただろうが、そうすれば『叛意有り』と見なされてしまうだろう。返事を延ばし延ばしにして、対ナイトパイソンの戦いを理由に引き延ばし、それでももう延ばしきれず明後日辺りに出発する予定だと聞いた。


「そうしたら毎晩おしゃべりはできなくなりますわ。イリスが遊びに来てくれるまでしばしのお別れ」

「……今、わたしが遊びに行くこと確定してなかった?」

「来なさい。お茶がしくらいごちそうしますわ。絶対に私の所へ来るよう、ベネディクトにも言っておきますから」


 これでチェックメイトだとでも言わんばかりにドヤ顔をするキャサリン。

 だが残念ながら、それはあり得ない未来だ。その頃、『イリス』は既にこの世に存在していないだろう。


「一生会えないわけではないけれど、お別れの前に少しくらい、あなたのことを知りたいんですわ」


 ずいっと身を乗り出してイリスルネの顔を覗き込んでくるキャサリン。

 大きな灰と紅の目に、イリスの顔が映り込んでいる。


 ――火のような紅と、灰の色……

   火葬を連想するなあ。アンデッド的には縁起でもねぇ。


「イリス。あなた、お友だちはいらっしゃいますの?」


 唐突にキャサリンはそんなことを聞く。


「お友達……」


 ふと、イリスルネは考える。

 地球に生きた前世である長次朗。魂であるルネ。身体であるイリス。

 全員にとってちょっと縁遠い言葉だったりする。


 長次朗は学生時代の友人とも社会人になってからは疎遠になっていた。職場の人々とも『友達』と呼べるほどの付き合いはなかった。

 ルネは銀髪銀目のことでいじめられることがちょくちょくあって、母が人目を避けるように暮らしていたせいもあったので友達らしい友達は居なかった。

 そしてイリスは……


「“竜の喉笛”のみんなは仲間で、あとは……仕事上の知り合いなら結構居る、かな」

「つまり、居ないんですのね」


 ハッキリ言われてちょっと傷ついたイリスルネだった。


「……そう言うキャサリンお嬢様は」

「居ますけれど……あれをお友だちと呼べるのか、私はちょっとギモンですわ」


 どういうことか理解できずにいると、キャサリンはやれやれと肩をすくめた。


「だって疲れるんですもの! お友だちと言ったって、ひとつでもお作法を失敗したらみんな影で私をバカにするに決まっているの。お作法をまちがえないように気を付けていては、いっしょに食べるおかしの味も分かりませんわ。

 それに、みんなお父様の爵位や家格で順番を作りたがったり……お友だち付き合いっていうのは戦いなのですわ!」


 いろんなものが積もり積もっているらしいキャサリンの言葉にイリスルネは苦笑した。

 上流階級の付き合いというのは、子ども同士でも面倒くさい政治的なさや当てが発生するものらしい。

 平民とは隔絶した華美な生活をしている伯爵令嬢たる彼女にも、その地位故の悩みがあるのだ。


「やっぱりね、みんな違ってみんな不幸」

「そうですわ。でも、だからこそ不幸じゃないお友だちは大切だと思いますの」


 灰と紅の目がイリスルネを見る。


「私たち、お友だちになりません?」


 その言葉は甘酸っぱい少女の愛の告白のように。

 少しだけ、キャサリンは緊張しているようだった。


 ――さて、どう答えるか。


 イリスルネはどう答えるべきかちょっと考え込む。

 今は所詮、ナイトパイソンを血祭りに上げるためイリスの身体を借りて仕事しているだけの状態。どうせ全てが終われば姿を消すことになってそれっきりなのだ。

 そもそもキャサリンは『イリス』と友達になりたいのだろうが、今キャサリンと話しているのはイリスに取り憑いた怨霊ルネに過ぎない。

 だから、本当にキャサリンと友達になんてなれるわけがない。


 ……なれるわけが、ないのだ。


 だとしたら、キャサリンと別れるまでの間だけ、その場しのぎになる答えを用意すればいい。

 だけど、どんな答えが適当だろう。


 ちょっとばかし考え込んでいると、寝室の扉がノックされる。


「お嬢様、お時間です」


 時間を計って、侍女が迎えに来たのだ。

 お喋りの時間はお終い。キャサリンは眠り、イリスルネは謎のニンジャとなる時間だ。何かあればまた影武者としてお呼びが掛かるから、と言う理由でイリスルネはパーティーの部屋でなくまだ客用寝室を使っている。抜け出しやすいのは幸運だった。


「んもう、間がわるいんだから……

 イリス。この話は明日にしましょう。お返事を考えておいてくださいな」

「えっと……分かった」


 ――ちょうど良かった。明日までにどう言うか考えておこう。


 いや、もし地雷を踏むような答えだったとしてもどうせすぐキャサリンは旅立ってしまうのだから、どのみち大丈夫だろうけれど、とイリスルネは打算を働かせる。


「では……また明日、ですわね」

「うん」


 イリスルネが応えると、キャサリンはうきうきと弾むような足取りで部屋の入り口までイリスルネを見送った。


 そして、それがふたりの別れとなった。

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