[1-19] ラララランランラン

 一日の終わり、キャサリンとイリスルネは揃って同じ寝室に入る。

 日中はなるべく接触しないようにしているふたりが、この時間だけ一緒になるのだ。部屋には侍女すら入れず、ふたりっきりの時間ができる。

 そして片方は部屋を出て別の寝室へ向かい、もう片方はそのまま眠る。

 つまり、ここでシャッフルが行われるのである。


「もう……! あなたほんとうに大丈夫なんですの!?」


 そしてキャサリンは当然のように喧嘩腰だった。


「髪を染めて同じ服を着ていたって、男の子みたいに品のない仕草をしていたらすぐに分かってしまいますわ。

 私、一日中気になってしょうがないのよ! あなたが何か変なことをしてはいないかって……」


 嫌みったらしいと言うよりも、これは気位の高い仔犬が気にくわない客人にキャンキャン吠えているようなものだ。

 いくらキャサリンに対抗心を燃やされてもイリスルネとしては別にどうでもいい。


 だがここまで執拗だと、ちょっとうざい。

 口答えのひとつくらいは許されるだろうとイリスルネは考えた。それに、ここで言い返すくらいは『イリス』の行動としてもむしろ自然なはずだ。


「わたしはお嬢様生まれじゃないし、ずーっと礼儀作法を勉強してきたわけじゃないんだもの。

 あなたのようにはできないわ」


 長広舌を遮ってぴしゃりと言い返すと、イリスルネが言い返したことそのものにキャサリンは面食らった様子だった。


「そ、それじゃダメじゃないの! それじゃどっちがニセモノか分かってしまうじゃない!」

「完璧にできないなりに最善を尽くしてるわ。

 それでもいいと思ったから伯爵様はわたしを雇ったの。文句があるなら、それはお父様に言うべきではないの?」


 ノーモアブラック労働。

 前世の長次朗は、ゾンビのように賢い上司から現場に責任を押しつけられた経験が一度ならずあるが、上のマネジメントがまずい場合まで現場が責任を取るのはおかしい。

 雇われ人は実力の範囲で最善を尽くすべきであって、それでも上手くいかないなら問題は采配する側にあるはずだ。


 と思ったのだが、キャサリンはもちろんそれで納得してはくれなかった。


「私はあなたみたいに魔法が使えるわけじゃないんですのよ!

 おそろしい暗殺者におそわれたりしたら何もできませんわ! 気がつかれないことが大切なのです!」

「だから、そのために最大限の努力はするわ。あなたと同じようにはできないというだけ。

 なんだって、危険性を0%にするのは無理よ。それをできるだけ小さくするのが護衛であるわたしの仕事」

「あなたは自分が強いからそんなことを平気で言えるのですわ! もっと気合いを入れて私のフリをなさい!」

「わたしみたいな平民育ちが、キラキラの服を着て育ったお嬢様のマネなんて完璧にできるわけないわ! 何、今の動き! 自然な手振りまで意味分かんない気品が……」


 売り言葉に買い言葉で言い合いがヒートアップしかけた。

 だがそこでキャサリンが、はたと自分の口元を押さえる。


「……あら? どうして私たち、お互いをほめ合ってるんですの?」

「そう言えば……」


 沈黙、そして珍妙な空気が流れ、次の瞬間ふたりは


「「ぷっ」」


 同時に吹き出していた。


「あはははははははっ!」

「ふ、うふふ、くくくくっ……ちょ、ちょっとなんでこんなっ……」

「……はしたなく笑ってもいいのよ。ここにはわたししか居ないから」


 肩をふるわせて身体を丸め、キャサリンは必死で笑いをこらえていた。

 ストレートに感情表現するのは、上流階級の人々にとって避けるべき下品な振る舞いなのだ。


「ふう、はあ……あー、もうっ! 本当にどうしてこんな話になったのかしら!」

「だいたいキャサリンお嬢様のせい」

「調子が狂いましたわ……」


 毒気を抜かれた様子のキャサリンは、灰と紅の目でまじまじとイリスルネを観察する。


「イリス。お父様の所へあなた達が来ているのは何度も見ていますけれど、こうしておしゃべりするのは初めてですわね」

「初めてってわけじゃないけど……」


 『イリス』の記憶を探れば、二言三言、挨拶くらいの会話を交わした事はある。

 まあ逆に言えばそれだけだから、会話したことが無いと言ってもいいレベルかも知れない。

 主にその原因は、キャサリンがイリスに対してツンケンした態度であまり話そうとしなかったからだが。


「私、なんだかイリスをごかいしていた気がしますわ」

「……どう思ってたの?」

「冷たい顔でなんでもカンペキにやってしまって……こんな風に笑うことはないんだろうなって……」


 あぁなるほど、とイリスルネは思う。

 ベネディクトが言うには、キャサリンは母から魔法の素質を受け継げなかったことがコンプレックスなのだという。魔法の素質に恵まれた天才である『イリス』に対して、羨望と嫉妬の入り交じった複雑な感情を抱いていることは想像に難くない。存在自体が彼女のコンプレックスを刺激しているのだ。

 『イリス』を冷たく機械的な完璧超人のように思っていたのは、羨望から来る部分もあったのだろう。


 しかも『イリス』は結構人見知りだった。仲間たちには気安いけれど、見知らぬ相手に気さくに笑顔を見せることはない。


 だからこそ、なのか。イリスルネが笑ったというただそれだけのことで、キャサリンから向けられる感情が変わった。


 ――そう言えば俺、さっき自然に笑ったよな……


 こんな風に他愛もないことで笑うのは、ルネとしてもアンデッドとして蘇って以来の話だ。

 別にそれで何かが変わったわけではないが。


「なんでもはできない。わたしは神聖魔法なんて使えないし、刃渡り160cmの大剣も振れないし、重い鎧を着て盾を持つこともできないもん」

「……それはできる人の方が少ないのではありませんの?」

「なんでも、はできないって話。お嬢様の真似ができないのも当たり前。

 わたしには、わたしのできることがあるだけ」

「……そう」


 『イリス』らしい言い回しで言うと、キャサリンはなんとなくその言葉に感銘を受けたようだった。


「ねえ、イリス。よかったらあなたの冒険の話を聞かせてくださいません?」


 ずいっと寄ってきたキャサリンは、灰紅の目に星を瞬かせてイリスルネに椅子を勧める。


「あんまり長い時間掛けちゃうと、寝支度をしてくれる侍女さん達が待ちくたびれちゃうと思うけど」


 イリスルネは真面目ぶった理由を付けてこれを断った。


 ディアスの頭髪からは非常に有用な情報が得られた。その件で、夜中にベッドを抜け出して調査に向かう予定なのだ。あまり時間を取られるのは望ましくない、というのが本音の理由だ。

 キャサリンは納得しかけた様子だったが……何か思いついた様子で手を打つ。


「……それもそうですわね。だったらお父様に言って、明日からはあなたとおしゃべりする時間を作ってもらいますわ!」

「え」

「決まりですわね! それではお休みなさい、イリス。また明日、ここで会いましょう」


 言い置いてキャサリンはさっさと出て行ってしまった。

 後には、展開について行けなかったイリスルネが残された。


 ――まあ……なんだか分かんないけど、ちゃんと時間確保してもらえて寝る時間が遅くならないならそれでいいや。


 大切なのはあくまでも、『イリス』として行動しつつナイトパイソンについて探ること。

 キャサリンと夜のお喋りをすることになろうが何だろうが、イリスルネにとってはやっぱりどうでもいいことだった。


 この時は、まだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る