[1-20] 段ボールを使え

「ディアスさんの奥さんと息子さんですね?」


 そこは街の中でも少々物騒な界隈。

 オフィスビル的な普通の建物の3階に、まるで座敷牢みたいな鉄格子部屋が突然存在した。

 覗き込んだイリスルネを怯えた様子の親子が抱き合うようにして見返す。


「あの、あなたは……」

「申し遅れました。通りすがりのニンジャです。にんにん」


 夜中にベッドを抜け出したイリスルネは再びニンジャとなっていた。


 例によって目元以外を隠したスタイル。ちょっと服を重ね着して体型を隠し、さらに即席のマジックアイテムで男っぽく変声している。

 身長の低さはどうしようもないが、厚底の靴で多少は誤魔化せる。


 まあ要するにルネらしさが無い『わけのわからないもの』でさえあればいいのだ。

 まさかローレンスもルネがニンジャ姿で犯罪組織の人質を助けているとは思うまい。……冷静に第三者的視点で見ると自分でも馬鹿らしく思えてきたのでイリスルネは深く考えない事にした。


「わたしはあなたがたと全く無関係ですが、あなたは助けます」


 そう言ってイリスルネは長めに詠唱を行い、ここまでの侵入に用いた魔法≪無影侵入メリービハインド≫を範囲化して掛け直す。


「≪領域迷彩フィールドステルス×クロス消音サイレント×クロス領域気配遮断フィールドスニーク≫。

 複合錬成魔法アセンブルド・スペル……≪無影群侵入メリースウォーム≫」


 魔力の波動が泡のようにイリスルネを包んだ。

 これでイリスルネ中心の一定範囲に居る人は、魔法効果範囲外から見えず、音も聞こえず、気配も感じられなくなる。

 見張りの魔術師すら配置できないような脆い警備態勢では、懐深くまで入り込んでもまず発見できまい。


「さあ、来てください。あなた方の足音は聞こえませんし、姿は見えません。今なら歩いて出られますよ」

「本当ですか? 何が起こっているんですか?」

「ちょっとした忍術です」


 その辺の壁に掛かっていた鍵で座敷牢を開けると、人質ふたりは戸惑いながらも立ち上がってイリスルネに付いてくる。

 

 月明かりが差し込む廊下には魔力灯がぽつぽつと掲げてあり、見張りらしき物騒な目つきの男が長剣の手入れをしていた。


「ひっ……」

「大丈夫です。触りさえしなければ、目の前で転んでも気付きませんよ」


 悲鳴をかみ殺した奥さんをイリスルネは優しくなだめる。


 ――見張りとかその場に居た奴ら皆殺しにしていいならその方が早いんだけど、あんまり暴れると国が俺の存在に気がついちゃわないか心配なんだよな。あー、めんどくせ。


 心中でぼやく。

 いくら謎のニンジャ姿だとしても、あまり調子に乗るわけにはいかないのだ。


 夜中だというのに建物内にはそれなりに人が居た。

 そしてその誰もがイリスルネ達に気付かなかった。

 廊下を抜け、広い階段を登ってきた男と余裕を持って擦れ違い、そして、外へ。


 建物を出ると、人質ーズの表情があからさまに和らいだ。

 しかし、まだ安心はできない。

 よく分からない雑貨屋や怪しい酒場が並ぶ通り。夜中だというのに半分くらいは静かに営業している。絶対にどこもかしこもナイトパイソンの息が掛かっている。逃げ出した人質でなくても、女子どもが普通に歩けるような場所ではない。


 魔法を維持したまま3人は通りをこっそりと行く。溶け残った雪の上に足跡が付かないよう、イリスルネはなるべく禿げかけた石畳の上を歩いた。


「さあ、ここからは大丈夫ですね」


 ようやく大通りまで来てイリスルネは魔法を解く。

 いかに大通りといえど、この時間に歩いているような人はほぼ居ない。きんと冷えた風が吹き抜け、人質たちは腕を抱くように震えた。凍てつく夜空には煌々と月が灯っている。


「ここはどこなんでしょう? エルタレフの中ですか?」

「エルタレフの隣の街、コルガです」

「まあ、そうだったのですか」


 エルタレフで拉致されたふたりは、そのまま隣街まで運ばれていたようだ。

 ディアスの奥さんはどちらかと言うと『案外近くてほっとした』という顔だった。


 イリスルネがあっさり魔法で居場所を突き止めてしまったことを考えるとナイトパイソンは不用心なようにも思えるが、隣の街に移すだけでも魔法で発見される可能性はかなり下がるだろう。誰もがお手軽に広域探査を使えるわけではないのだから。


「あっちの方に衛兵隊の詰め所がありますので、そこで保護を求めるといいでしょう。このアジトの場所を領主様に伝えれば、後は良い感じにぶっ潰してくれます」

「何から何まで本当にありがとうございます」

「お、おにいちゃん、ありがとう……」


 奥さんは五体投地しかねない勢いで礼をして、息子さんもまだ緊張している様子だがぎこちなく礼を言う。

 変声魔法と体型を隠したおかげで息子さんには男だと思われたらしい。


「おかげさまで助かりましたが……あなたはいったい……」

「もう言いましたよね? 通りすがりのニンジャです。趣味はナイトパイソンの連中と遊ぶこと&人質が居たら助けること」


 今更ながら奥さんが不思議そうに聞いてきたので、イリスルネは適当に煙に巻いた。


「お礼も何もできませんで……」

「気にしないでください。お礼が目当てで助けたのではありませんから」

「なんというお方……きっと神様があなたを遣わしたもうたのでしょう」


 奥さんはおそらく褒め言葉として言ったのだろうけれどイリスルネは心中穏やかでなかった。


 ――うわあ。悪気が無いだけにむかつく……その神様に邪神も含むなら大正解なんだけどさ。


 とりあえず神様とかいう奴は不倶戴天の敵だ。

 イリスルネが復讐の対象とするのはまず第一に自分の死の原因を作った人々だが、自分を半ば騙すようにしてこんな境遇に転生させた大神も無事で済ませる気はない。


 まあ相手が神様となるとビンタ一発食らわせに行くのも大冒険になるだろうからひとまず棚上げだ。勇者だって最初はスライムと戦うのがセオリー。まずはシエル=テイラ王国を滅ぼす。


「さあ、早く。風邪を引かないうちに」

「はい。ありがとうございます」


 目の前のニンジャがまさか国家転覆を企む邪神の使途とは夢にも思っていない様子で奥さんは礼をして、ふたりの人質は心持ち足早に立ち去っていく。

 その背中を見送りながらイリスルネは小さくガッツポーズ。


 ――よし……これでアジトの場所が伯爵に伝わる。全ては謎のニンジャの仕業だ!


 まさか『夜中に城を抜け出して散歩してたらナイトパイソンのアジトを見つけました』なんてイリスルネが言うわけにはいかない。

 イリスルネ以外の誰かが自然に伯爵に情報を伝えて戦うよう仕向けなければならないのだ(話の中に『謎のニンジャ』という思いっきり不自然なものが出てくることにはなるだろうが)。

 これで伯爵はアジトの情報を得る。もし既にあの場所を知っていたとしても、いざ戦闘になった時に巻き込まれる(あるいはその場で盾にされる)人が居ると居ないとでは戦いの趨勢が変わってくるだろう。


「さて、夜明けはまだだけど……部屋に誰か来ないとも限んないしな。早く帰ろ帰ろ」


 建物の影に身を隠すようにしてイリスルネは呪文を唱える。


「≪迷彩ステルス×クロス飛翔フライ≫。

 複合錬成魔法アセンブルド・スペル……≪潜雲飛行クラウドダイバー≫」


 指先から溶けるように姿が消えていき、同時に身体が重力のくびきから解き放たれていく。

 イリスルネは夜空に舞う不可視の風となった。


 一度掛ければコントロール不要で長時間効果が残る魔法というのもあるが、大抵の魔法は同時にひとつしか使えない。

 ではこれはどうやっているのかと言うと魔法ふたつ分の詠唱を先に済ませて混合し、ひとつの魔法であるかのように行使しているのだ。

 それが複合錬成魔法アセンブルド・スペルという技術。詠唱が長いせいで乱戦向きではなく、魔力消費も足し算では済まないのだが、この場合どちらも関係ない。

 ちなみに合成時の名前は特に決まっておらず術者が好き勝手に決める事が多い。


 闇に沈むコルガの街が眼下に広がる。

 わざわざ灯りを使って夜中に働こうなんて奇特な奴は少ないようで、月明かりに照らされた建物の凹凸ばかりが見えた。

 凸凹は城壁によって囲われていて、その外には荒涼とした雪の野原が広がる。ぼんやりと月光を照り返した雪明かりがあった。


 感情察知の感覚を拡げ、人質ふたりをトレースする。

 衛兵隊までナイトパイソンとグルという事態を懸念したが、人質を保護した人々の感情から反応を見るにその心配は無かったようで、イリスルネはそのままエルタレフへの飛行を開始する。


 冷たい風が吹き付けてきて、イリスルネは身体の感覚を切った。本体はあくまで憑依中の霊体なので、寒さだの痛覚はその気になればシャットアウトできるのだ。

 だがそれは寒さによる身体への悪影響まで防いでいるわけではない。一応、長時間持続する強化バフ魔法で事前に防御してあるが、早く城に戻って回復魔法で体調のケアをしなければ風邪を引くのは確実だ。


「今日も寝てる時間はあんまり無いよな……」


 月を見て呟く。

 現在時刻はたぶん午後一時くらい。今から帰って起床時間までにちゃんと眠れるかというと微妙なところだ。


 眠らなくても魔法で疲労を誤魔化せるが、ちゃんと寝ないとその魔法を使うための魔力が回復しなくなる。

 本体が睡眠不要のアンデッドであるイリスルネは、憑依中でも不眠の影響が出にくい方だが、それでも限界があった。


 寝不足なのは夜中にこうしてニンジャ行為を働いているからではない。毎晩ベッドを抜け出しているわけではなく、単にイリスルネが寝たくないからだ。

 眠れば必ずと言っていいほど悪夢を見る。だからできれば眠りたくなかった。ついでに言うなら『致命的な失敗』も怖い。

 そのため夜はベッドの中でじっと考え事をしている事が多かった。


 ――でも何徹もするのはさすがにキツいよなー……しょうがない、明日はちゃんと寝るか。

   悪夢を見ないようになる魔法とか無いのかな? あるとしてもアンデッドに効くのかな?

   あと、場合によっては火の魔法でシーツを乾かし……いや乾いても汚れが落ちたわけじゃないよな。くっそー、洗濯用の魔法って無いのかよ。


 飛びながらそんなことを真剣に考えていたイリスルネは、たった一晩眠ることを真剣に怖がっている自分に気付き、苦笑する。


 ――犯罪組織の拠点から人質助け出すよりも、一晩ぐっすり寝る方が大冒険気分ってどうよ自分……


 行く手には黒々とした城壁が、エルタレフの街が見え始めていた。


 * * *


 深夜、コルガの都市警備隊詰め所に突然現れて助けを求めた母子。

 彼女らはキーリー伯爵家で働く従僕の家族であると名乗った。

 一報を受けた伯爵が即座に確認したところ、従僕のひとりがナイトパイソンに家族を人質に取られ、伯爵の身辺情報を流していたことが発覚。


 驚いた伯爵であったが、母子からもたらされた情報でナイトパイソンの拠点のひとつが発覚したことで、翌朝にはこれを急襲。その場に居た構成員を殺害または捕縛し資料や物品等を押収した。

 押収されたのは麻薬などの商品、少量の武器、また護符やポーションなど構成員向けと思しき戦闘用のマジックアイテムであった。

 この拠点は人質監禁や捕虜尋問の設備も備えたもので、同時に周辺一帯の物流拠点でもあった。物流のラインに乗せるという意味では、ナイトパイソンには人質も物品も同じようなものだったらしい。


「物流の拠点がどこかにあるらしいことは掴んでいたが……すぐ隣だったか。まったく」


 捕縛した構成員の連行なども済んだ、その日の夜。

 城館の執務室で報告書を見ながらオズワルドは渋面を作っていた。

 とはいえ、その声音にはあまり深刻さが無い。幸運にも重要拠点を発見・破壊できたからだ。


「素晴らしい戦果ですね。さすがは伯爵様」


 執務室にはベネディクトが来ていた。

 手放しに褒めるベネディクトに向かって伯爵はぱたぱたと手を振る。


「私の力ではないさ。何かよく分からんものが背中を押している」


 クーデターの発生に伴って前倒しした計画は、準備不足のせいでそこかしこに問題が噴出していた。本来ならもっと調査と根回しをすべき所を見切り発車したのだから当然だ。

 だが、奇妙な偶然と謎の第三勢力に助けられ、排斥作戦は思いの外上手くいっていた。


「コルガでナイトパイソンが安穏としていられたのは私の落ち度かも知れぬ。コルガはずっと配下の騎士に任せていた」

「リーツ様でしょうか」

「知っていたか。だが彼について、コルガの衛兵隊長から『ナイトパイソンの捜査に非協力的である』と意見上申があったのだ。

 探りを入れようと思っていた矢先にこれだ。あいつめ、今日の昼には家族すら残してコルガから姿を消したらしい」

「なんと……」


 つまり都市を任された騎士がナイトパイソンに買収されていた可能性高い。

 そして街のナイトパイソンを保護していたのだ。


「しかし、人質を救出したというのは何者なのでしょうな?」


 ベネディクトが三角耳をぴくつかせながら問う。


 これでナイトパイソンの兵站拠点を破壊し戦いを優位に進められることになったが、人質になっていたはずの母子が何故逃げてきたのかは全く分からなかった。伯爵も最初は何かの罠でないかと疑ったほどだ。

 彼女らは『謎のニンジャに助けられた』と話していた。


「魔法で姿を消し、ふたりを脱出せしめたという。やはり魔術師ではないかと思うのだがな。エルタレフの拠点を襲撃した者らと同じか……?」


 伯爵もこれについては全く心当たりが無い。

 ありがたいなんて言ってもいられない。戦略地図の上に突如として降って湧いた不確定要素だ。


「こんな言い方をするのもなんだが、この国に今ナイトパイソンと戦おうなんて物好きが私の他に居るとも思えなくてな」

「ナイトパイソンは国中の善き人々から恨みを買っていることでしょう。そうした人々が伯爵様に呼応して動き出したのでは」

「であれば私の元に馳せ参じそうなものだが」

「人それぞれに事情があるでしょうから」


 ベネディクトはペロリと鼻を舐めてから、詩でも詠むように言う。


「この国に、正義は死んでいなかった。そういう事ではないでしょうか」


 その言葉に伯爵が破顔し、ふたりは虚無的に笑った。

 『そんなうまい話があるわけない』という諦観と、『だったらいいのに』という期待の中間あたりで。

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