[1-11] good nightmare

 薄暗い石の部屋に甲高い悲鳴が響いた。


「あぅあっ!」


 麦や稲の穂みたいに枝分かれした鞭が空気を切り裂く度、ルネの身体は破裂しそうなくらいに痛んだ。


 普段は、その建物は牢獄として使われている。逮捕された犯罪者を裁判まで放り込んでおく場所であり、懲役囚の生活の場であった。しかし今は王弟派の騎士たちによって、ルネのために一角を徴用されていた。

 拷問をするための設備は元々なかったが、6人くらい収容するための広めの部屋に禍々しい機材を運び込み、即席の拷問室としていた。


 ルネは手枷を着けられ、さらにその手を天井からの鎖で拘束されていた。

 これは絶妙に高さが調整されていて、吊された者に自らの体重で苦痛を与えつつ、つま先立ちを強要させて体力を消耗させる。さらに、無理がある姿勢だと攻撃に対して無防備になり苦痛が増すのだ。


 ルネがこの部屋に来る時は、いつも数人の拷問官が居た。拷問を担当する拷問官たちは誰も彼も胸章付きの鎧を身につけていた。まるで、その鎧を、騎士としての証を誇るかのように。ルネをいたぶる事が騎士としての高尚な務めであるとでも言うかのように。

 彼らはルネを見る時、怒りに燃えた憤怒の形相か、あるいは嗜虐的に嘲笑う顔をしていた。


 うっかり殺してしまわないように、ダメージが小さくて苦痛が大きい責め方が選ばれ、回復魔法を使える魔術師が常に付き添っていた。

 殺さないのはあくまでも、近くルネを公開処刑するためだ。拷問官はその事を折に触れてルネに言い聞かせた。心理的に追い詰めるためだった。


 ガラ空きの胴体に立て続けに鞭が打ち込まれ、ルネはまた悲鳴を上げる。

 叫びすぎて喉が焼けているように感じた。


「いっ、いたっ、あうっ、うあああーっ!!」

「泣いて許されると思うな!!」


 ヒステリックな胴間声がルネの鼓膜をひっ叩く。

 泣いてもやめてくれないのはもう分かっている。分かっているけれど、それでも痛くて怖くて、涙は勝手に溢れてきた。


「連邦に通じ国を売った、堕落した王の娘!

 貴様は何故、連邦との国境に住んでいた!? 連邦とはどのような接触があった!? 知っているはずだ! 言え!!」


 幾度となく繰り返された問い。

 連邦との国境に住んだのは、連邦の文化が色濃いために『銀髪銀目の忌み子』への偏見が薄く、ルネの身体についてどうこう言われることが少ないからだ。それに連邦との関係は(例えそれが上下関係だろうと)ずっと良好であり、他の国境地帯に比べるといきなり国境線が燃え上がるという危険も非常に小さかった。

 母が幾度か口にしていた事もあり、ルネはその辺りの事情を幼いながらに心得ていた。


 それに王の娘と言われても、王の娘だということ自体、ルネはずっと知らなかった。

 王の対連邦政策だの、裏での交渉ごとだのに関わっていたわけもない。何も無いのだからルネが知っているはずなどなかった。


 だが、それは拷問官たちの求める答えではなかったようで、何度言っても『本当のことを言え』と怒鳴られ、嘘をついた罰としてさらに鞭打たれた。

 もうルネは泣き叫ぶことしかできなかった。


「知らな……ひっく、知らないよぉーっ!」

「嘘をつけ!!」

「あううっ……!」


 ルネの背中を鞭が打ち据えた。


 知らないと言ったら言ったで嘘扱いされる。

 もし求める答えがあるのなら教えてほしいとルネは思っていた。それをそのまま言うから。

 しかし、求める答えなんてものは最初から無いのかも知れない。拷問の形式を取り、言いがかりを付けて苦しめるのが目的なのだとしたら。


 吊された腕に身体を預け、ルネはぐったりと項垂れる。

 無理な姿勢のせいで肩が軋んだが、しかしどうしようもなかった。


「うああ……えぐっ……」

「チ……悲鳴が小さくなってきたな。責め手を変えろ」

「はっ」


 命じられて出て行った拷問官は、すぐ隣の部屋から何かを持って戻ってくる。


 それは熱した火掻き棒だった。


「そらよ」


 火掻き棒が押し当てられる。

 千匹の蜂が同時に肌を刺したかのような痛みに、ルネは身体をのけぞらせた。


「あ、あああああああーっ!!」


 振り絞るような叫喚がルネの喉から吹きだした。


「ったく、ガキの悲鳴ってのは色気が無ぇ」


 その様子を見て拷問官は勝手な感想を述べる。


「あ、ああ……あ……つい、あつい、あつい……あつい、あつ……い……」


 朦朧としながらもうわごとのように繰り返すルネの言葉を聞き、拷問官が銀の髪を掴んでルネの顔を引き起こした。


「熱い? 熱いか? 熱いんだな、よーし! 冷ましてやろう!」


 狂気的に目をぎらつかせた拷問官の後ろには、また別の拷問官が立っていた。

 煮えたぎる湯を入れた鉄鍋を持って。


「ひっ……」

「……焼けた鉄よりは、こっちのが冷たいだろうさ」


 鍋の中身が


 *


「わああああああっ!」


 叫んで跳ね起きたイリスルネは自分が石の拷問室ではなく、ふかふかのベッドの上に居ることに気付く。

 繊細に刺繍されたカーテンの隙間からは、青紫色になり始めた夜明けの空が見えた。


 全力疾走で山ひとつ登り切ったかのように息が切れ、心臓は割れんばかりに脈打って、身体は土砂降りの雨を浴びたように汗で濡れていた。


「……夢……」


 夢であったことを確かめるようにイリスルネは呟いた。

 アンデッドであるルネは睡眠も休息も不要の存在だ。しかし、仮宿としているイリスの肉体は違う。疲労すれば睡眠が必要だった。そして地獄の夢を見た。


 悪夢と呼ぶも生ぬるい生き地獄の記憶。

 ルネを捕らえた王弟派の騎士たちは、ただひたすら苦痛を与えることを目的としてルネに拷問を科した。

 それは今にして思えばルネを苦しめることが彼らの正義だったからだ。あれは彼らが絶対悪と見なした前王の治世に対する攻撃だった。

 何より彼らは熱狂の中に居て、仲間が居て、ルネは無力だったから攻撃が苛烈になった。自分が優位だと思うほどに残酷になるのは、きっと猿の時代から変わらない人の習性だ。


 イリスルネはまだ暗い部屋の中を見回す。夜通し燃え続けた暖炉が部屋をぼんやり照らしていた。

 天蓋付きのベッドに、ふかふかの絨毯。壁すら美麗に装飾され、家具はどれもこれも輝くようで優美な曲線を描く。泥団子ひとつ投げただけで大金が飛びそうな部屋。パーティーのメンバーとも離れて独占している、キーリー伯爵の城館の客間だ。

 伯爵令嬢キャサリンとイリスルネは、ふたつの客間を代わる代わる使って寝ることになっていた。もし暗殺者などがキャサリンを狙ったとしても混乱させるためだ。


 ここは暖かな寝床。仕事中の冒険者という仮初めの立場。

 安心してもいい。ここは冷たい石の牢獄ではなく、おぞましい拷問具など存在せず、稚拙で残酷な拷問官も存在しないのだ。


 ――はは……バカじゃないか。安心? 今の俺は最強のアンデッドだぞ?


 イリスルネは震えた苦笑を漏らした。


 今のルネなら、もし誰かに捕らえられたとしても、生まれてきたことを後悔させてやれるだろう。ローレンスみたいな規格外の敵が出てこない限り。

 前世の記憶が蘇ったことで、人生経験の分だけ精神的に強くなったような気もする。

 だが、夢の中のルネは無力な少女でしかなかった。


「俺は……強い。次は、殺す」


 自分に言い聞かせるようにイリスルネは言った。


 まるで記憶の中の自分が『怨みを忘れるな』と吠えているようだった。

 あの屈辱を、痛みを、恐怖を忘れるな。

 優しく美しかった母を、平穏な生活を、全てを奪われた怨みを忘れるな。

 復讐以外の何者も、この魂を癒やしてはくれないのだ、と……!


 ルネは自分を正義だなどと思っていない。

 これからルネは、奪われた以上のものを奪い、傷つけられた以上のものを傷つける。復讐の対象は、親兄弟も無垢な子どもも、末代に至るまでも祟り殺し尽くす。理不尽に殺す。惨たらしく殺す。ルネを怨み復讐の復讐を企てる者があれば、これを踏みにじり嘲笑う。必要とあらば咎が無い者も糧とする。

 そんな行いが正義であるはずない。だが、理非善悪などもはやどうでもいい。胸の内に燃えるどす黒い怨みの炎が全てを焼き尽くすまでルネは止まらない。


「殺す……殺す……殺すっ!」


 そして拳をベッドに叩き付けたイリスルネは妙に湿っぽい感触に気付く。下半身からシーツに掛けて、汗では説明できないレベルでぐしょ濡れになっていた。


 イリスの記憶を探っても、そんな恥ずかしい癖は無い。だとしたらこれはきっとルネの持ってきた記憶のせいだ。あの悪夢は、人の身には余る。


「もー……最悪……」


 切れ切れの息の合間から、イリスルネは鉛のように重い溜息をついた。

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