[1-12] ≪文化衝撃≫
「お気になさらないでください、洗濯物がひとつやふたつ増えても変わりませんよ」
「慣れない場所で寝たから緊張してしまったのですね」
「あ、はい……」
侍女の皆様の暖かな気遣いが心に刺さる朝。
良心は平然と大量虐殺ができるレベルで崩壊しているが羞恥心は健在だったようだ。
シュミーズ風の寝間着を着ていた
このシエル=テイラにおいても、やはり上流階級は自分で着替えたりしないものらしい。小さな頃に親が着替えを手伝ってくれた記憶はルネにもあったが、それはあくまで自分で脱ぎ着ができなかった頃の話。今になって一から十まで他人にやってもらうというのは違和感があるものだった。
今は予行演習というか、お嬢様の影武者として本格的に仕事をする前のトレーニング期間である。ルネの暮らしは質素だったから、貴族暮らしの体験はそれなりにカルチャーショックだ。母は宮廷を追われる時、幾ばくかの財産を下賜されていたようなのだが、浪費はせず細々と切り崩していたようだ。使用人のひとりも雇わなかったのは……単に、隠れ住む身の上だったからかも知れないが。
着替えさせられるのもカルチャーショックだが、服装もそうだ。ルネはシンプルでありふれた羊毛のワンピースくらいしか着た事が無かった。ところが今用意されているのは、目が潰れそうなくらい鮮やかな深紅とゴシックな黒の……ドレスだかワンピースだかよく分からないもの。もはや大仏ヘッドのようにフリル飾りで埋め尽くされ、そこかしこにリボン飾りが付いている。思いきり広がったスカートは腰回りを細く見せる効果もありそうだ。アンダーに着る白くてフリフリのパニエは、おそらくスカートの裾からのぞくはず。
こんな絢爛に飾り立てられた服、ネズミ御殿のパレード用電飾衣装とさして変わらないのではないだろうか。
――いや、男だった記憶が戻ってくると、そもそもスカートとかワンピースの時点で違和感あるな。スースーするって言うか、こんなの何も履いてないのと同じようなもんじゃない? なんで女の人みんなこんな格好で平気なの? 強いの? 戦闘民族なの?
女性向けの下着(下)で主流なのはゆったりとしたドロワーズのようだが、これはまあ……外見に目をつぶればトランクスパンツと大差ないという気もするし、あまり気にならない。
しかし。
「いたたたっ!」
「あら、少しきつすぎましたでしょうか」
思わず
胸の下から腹にかけてを圧迫するコルセットはルネとしても初体験。一般的地球人男性だった長次朗にとっては言うまでもなし。
確か地球の歴史において、コルセットは身体に悪いと言われて使われなくなったはずだが……
――これは確かに身体に悪い。うん、まあ、俺はもう死んでるからいいんだけどね?
『イリス』としての仕事に差し支えると困るなあ、とは思う。
下着を着せ終わると、次はあのパレード衣装みたいな服。下に着るシャツがあったり、エプロン状の部位があったり、あちこちを紐で締められたりして、もはや組み木細工のパズルみたいな工程を経て服が着せられていく。おそらく、後でこれをひとりで着ようと思ってもやり方が分からない。
「さあ、できましたよ。ご覧になってくださいな」
やっと着付けが終わったようで、
「おおー」
『人形のような』という形容が違和感なく似合う美少女がそこには居た。ウェーブの掛かった金髪が美しい彼女は、鏡の中で藤色の目を輝かせている。
そもそも今ルネが依り代としているイリスは見栄えがする顔立ちだ。そこに良い服を着込めば華やいだ雰囲気になるのも道理。
仮の肉体とは言えど、
紛う方無き貴族の装い。物語の中で想いをはせるだけだった素敵なお洋服を、今自分は着ているのだ。
――って、ちょっと待て。ここでときめくのは正しいのか? 俺。
ふと、思い直して真顔になる
『楽しく生きることが最高の復讐』という言葉だってある。まあそんなヌルい復讐ではとても満足できないわけだが、復讐のために活動する日々の中でちょっとした楽しみを見つけることは決して悪い事ではないのだと
とは思うのだが、しかし。
バリバリに少女趣味な服を着るという行為にときめくのは正しいのかと真剣に自問する、元地球人男性にして最強のアンデッド。
『復讐すべし』はルネとして考えても長次朗として考えても同じなのだが、割とそれ以外の部分では思考の股裂きを食らっていた。
ルネとしてはまあこの服はアリだろうが、長次朗としてはどうだろう。かつて地球に生きていた頃の、男である自分がこの服を着ている姿を思い浮かべた
――えーっと、でも今は女の子なわけで……って言うか、俺はイリスに憑依してるんだからイリスの基準で考えた方が……あれ、なんか思考がズレてる?
* * *
城内で生活している使用人向けの居住区画。元は空き部屋だったらしい部屋ひとつがパーティーの領域だった。本来は5,6人向けの部屋であるらしい大きめの部屋にベッド3つと多少の家具が運び込まれている。
「みんな、おはよう」
『イリス』の記憶をなぞり、
食事の手を止めてぽかんとした顔で
「おお、イリスか! 一瞬分かんなかったぞ」
「俺は分かった」
「お前は鼻で分かるだろうがよ!」
ヒューは燻製肉のサンドイッチを囓っていたベネディクトを引っぱたく。
コボルドであるベネディクトは犬並みに耳と鼻が利く。その力で何度かパーティーを救っていた。
まあ、さすがに≪
「どうしたんだ、その格好?」
「えっと、メイドさん……じゃない、侍女さんか。侍女さんに着せられたの」
「ほーん。似合ってるよ、イリス。普段から可愛いけど、そうしてると見違えるように可愛い」
さらっと当然のようにディアナが褒める。なんだか
「そうか、お嬢様の影武者だもんね。同じ服を着なきゃいけないか」
「いっつも防御力と動きやすさしか考えないローブだし、そういうのにも慣れなきゃならんな」
「コルセットで死ぬかと思った」
「あっはっは! 確かにありゃキツいよ。冒険者はあんなもん着けないからね」
ディアナは普段コルセットなんて使っていないが、着けたことはあるようだった。
コルセットはあくまでも見栄えを良くするための矯正下着。あんな息苦しくて動きを妨げるようなもの、冒険者はとても使っていられないのだ。
「それと、この服。すっごく複雑なの。わたし着方どころか脱ぎ方も分かんない」
「ん? ……ああ、そうか自分で着たわけじゃないからか」
「そうなの。全部侍女さんがやってくれるから……
お着替えをお世話になるのって、なんだか恥ずかしいね」
「お前、俺らの前で平気で服脱ぐくせに着替えさせられんのは恥ずいのか?」
「うぐっ。あれは……」
元々イリスはどちらかというと無頓着な方で、ベネディクトやヒューが居る前でも無防備な姿をさらしてはディアナに窘められることが度々あったようだ。
ただ、既にルネが憑依している3日前、ヒューの目の前で平然と着替えるという、ちょっと大きめのやらかしをしてしまった。
思うに、あれは『男の感覚』だったのではないか……という気がする。
――この場合、イリスが元々そういう子だったからセーフだとしても……!
『ルネ』のままだったら絶対やらなかったな。前世の記憶と感覚が蘇ったせいかも。怪しまれないよう気を付けないと。
今の自分が女の子であることを忘れてはならないと、教訓を心に刻む
「それで、ひとりだけふかふかのベッドで寝る仕事はどうだった?」
「えっと、まあ……」
ヒューに問われた
「俺らもちゃんとした寝床だったろ」
「おう。すきま風ひとつねえ部屋で寝れるってのは幸せだな。ついでに飯もうめえ」
「そりゃそうだよ、危険な
まだこの仕事に納得しきれていないようで、ディアナは必要以上の力を込めてサンドイッチを噛みちぎる。
「しかし、こんなんでいいんだろうかな。影武者と言ったって丸わかりじゃないか?
イリスは変装すりゃお嬢様に似せられるだろうが……“竜の喉笛”だって無名じゃないんだ。俺らが城に出入りしてたら、お嬢様とイリスがすり替わってる可能性があるって、ナイトパイソンだって気がつきそうなもんだよな」
「請けたあんたがそれを言うのかい」
ベネディクトが訝しむ。実は
使用人たちもこの件を知っているし、だいいち、
つまり、城の中には都合ふたりの『キャサリン』が存在する事になるわけで、意味があるのだろうかと思わなくもない。
だがヒューは、気にすることではないとばかりに首を振る。
「気がついたって良いんだよ。たぶんな。それはそれで連中、お嬢様に手出ししにくくなるだろ。もしかしたら今ここに居るお嬢様は偽物かもなーって」
「なるほど」
「仮にそれで上手くいかなかったとしても、そりゃ計画を立てた伯爵様の問題だ。俺らは言われた通りに仕事すりゃいい。文句言われる筋合いはねーぜ」
ヒューはあっけらかんとそう言うが、ベネディクトはお嬢様を心配してか渋い顔だ。
――えーと……ここは『イリス』が口挟むべきポイントだよな。
ルネはイリスに憑依した際、彼女の記憶を覗き見られるようになっている。
ここで子どもらしい正論を言うのが、ルネがイリスの記憶から読み取ったイリスの姿だった。
「ヒュー。冒険者としてはそれでよくっても、わたしはちゃんとキャサリンちゃんを助けたいの」
心にも無いことを
「俺も助かりゃ良いたぁ思うけどね。俺らの対処能力を超えた事態になったら手は出せねえぞ」
「だね。イリスも、くれぐれも危ない目に遭わないよう気を付けとくれよ」
「はあーい」
ちょっとだけ不満げな風で
「それより、イリスは朝飯まだなのか? 取っといたんだけど」
「あ、じゃあいただきます」
「お待ちください、イリス様。……やはりこちらにおられましたか」
イリスがサンドイッチに手を伸ばそうとした時だ。半開きの扉を押し開けて、飾り気の無い禁欲的なワンピース姿の女性が押し入ってきた。
アップに纏めた髪に三角眼鏡というコテコテの姿をした彼女は、その見た目通り(?)、キャサリンのお作法の先生だ。
「イリス様は別でご朝食を。食事の取り方もお勉強にございます」
「は、はい……」
「残念。しごかれてらっしゃいな」
苦笑してディアナが手を振る。
「あたしらもこれから警備の打ち合わせと、そのための城内見学ツアーだよ」
「注意点だけは後で伝える」
「わかった、お願いね」
* * *
先生に続いて廊下を歩きながら、
“竜の喉笛”の仲間たち。冒険者のパーティーはビジネスライクで、時には金のため仲間を裏切ることもあると聞いていたが、少なくとも“竜の喉笛”はそうではない。まるで家族のようなパーティーだ。
皆、イリスのことを深く思いやっているのが伝わってくる。その想いが自分に対して向けられたものではないのだと知りながら、イリスに憑依しているルネは、このパーティーを好ましく思っていた。
イリスに憑依し成り代わり、彼女が受け取るべき愛情をかすめ取っているのは、背徳感と共にどうしようもない切なさがある。所詮、これはイリスに向けられた想い。満たされているという気はしなかった。
この悲しみと怒りは誰にも癒やせはしない。
復讐で流された血によってしか癒やせないのだと、
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