第8話

“初期昇圧が完了しました”


暖気で震えている亜耶ト小型飛翔機の無機質な補助音声が、ヘルメット内のイヤープラグから流れる。

操縦盤左手の操作パネル上に流れている緑の文字列、スタートアップシークエンスのログを眺めながら、俺は静かにその時を待っている。

重厚な金属音がして前を向けば、広い格納甲板の入庫口のシャッターが開いていた。何人かの整備士が、忙しく滑走路を確認している。


右前方には、チズル・ヒトリの飛翔機がある。

視線は無意識に、無骨な機体に跨る彼女に向いていた。


前傾姿勢で、背から臀部にかける艶めかしい曲線。だが、それに抱くのは劣情ではなく、嫌悪の交じる劣等感。


——今度こそ、俺はお前の先を行く。


そんな思いを抱かれていることも、お前からすれば無価値なのだろう。


五帝、アスラ・ケストバトラーの秘書官より伝えられた内容は、単純明快で俺好みの趣向を感じた。

黒く錆び付いた甲板内部から見える、四角い青空に遠く並んでいるのは、10隻の大型飛翔戦艦、五帝艦隊の主陣形団。

それら各飛翔戦艦を束ねる、それぞれの代表、各艦の機関長に挨拶をしてくるだけというもの。

ただし、同じ飛翔戦艦には、2隻の飛翔機までしか着艦できない。


つまり重要なことは、艦隊の最前部、五帝旗艦ヘカトンケイルに辿り着き、その機関長に顔を売れるのは、出撃の時を今かと待ち構えている配属候補生、19人の中で2人だけという訳だ。


——当然、お前はそこに行くんだろう。


俺は意識をチズルから外し、理想の飛翔を思い描く。

目の前の空を睨みつけ、細く息を吐き出し、闘志を鋭く研ぎ澄ます。

そして、前方の鉄階段から慌てて降りてきた整備士の一人が、待ちに待った合図を出した。


瞬間、メインブースターを点火し、滑走を開始。

空に出る。

肌は外気に触れ、風に撫でられる体は奮い立つ。

チズルは既に、最大出力で他の機体を率いている。俺も続いて、彼女の率いる列に並んだ。


恐らく彼女はあと4.5秒、全速で前進した後、急浮上し、戦艦隊列を見下ろす高度のまま最前部に到達するだろう。

巨大な艦を1隻ずつ避け、迂回しながら行くよりは速い。しかも、艦隊は尚も、作戦指示で進行中なのだ。

後ろに張り付いている何隻かも、その腹積もりだろう。


——それでは、勝てない。


俺が誰よりも優れていると自負するのは、空間の把握、細部の記憶だ。

頭の中の立体空図を展開すれば、握る操縦根を押し倒し、俺は列から外れ、全速で下降を開始した。


戦艦隊列は通常、攻撃接空面を広げるため、先頭列の戦艦陣ほど高度を低くとる。

つまり、後方から四、三、三と水平座標で並んでいる艦隊の先頭陣列三隻は、いま俺の視界を防ぐように空を進む後方陣列四隻よりも、低高度に位置している。

だから、一気に艦隊陣形の最低高度座標まで機体を潜り込ませ、最前列の旗艦を目指した方が、戦艦隊列を飛び越えて行くよりも速いのだ。


だが、問題があった。


大型戦艦の下部には巨大な浮遊魔導機関が稼働しており、鋼鉄の保護外殻を繰り返し上下に駆動させ、排熱部を定期的に露出させている。

その排熱処理時には、高熱の圧縮ガスを大気に排出するため、ただの小型飛翔機が近づこうものなら、空中分解は必至。

それでも、そんな無謀な空路を選択したのは、俺なりの勝算を見出したからだった。


自動運転に入っているであろう、艦の排気動作には、規則的な周期が存在する。

その排熱部が開閉する周期を、記憶し、閉塞時に最高速で通過できるよう、機体速度を計算する。

一手違えば、旗艦へ到達することは難しい。


——いや、出来なければ、チズルには勝てない。


高度を下げ切ったところで、飛翔機の制御を前方推進へ切り替える。

目視できるのは、大型戦艦の主要推進魔導が放つ青白い6つの光と、その下、突き出された鋼鉄の円柱、たしか、パルドラ式浮遊魔導といったか、細かい構造は覚えていない。


ペダルを踏み込みメインブースター出力は上がっていく、速度メーターを見れば、殆ど全速に近い機体。

戦艦のブースターの光が見えなくなった接近距離で、その巨大な円柱の中心部が割れ、保護外殻が引き下がり、なにやら複雑な板のようなものが重なった構造を持つ、排熱部が露わになった。


脳内の計算機をフルで稼働させる。眼前には今、露出する浮遊魔導の排熱部が、赤く目の痛くなるような光を放ち続け、排出されている高熱ガスが俺の視界を陽炎で強く歪めている。

計算機の答えは、あと約1秒後と出ている。間違っていれば、機体もろとも溶けて消

えるかもしれない。その恐怖を振り切るように陽炎を睨みつける。


——それでいい。空帝軍配属になっても、アイツの尻を追いかけるのは、もう御免

だ。


決したその好機に、ブースターを最大出力まで上げて加速、メーターは振り切れるように上がり最高速度へ。

その瞬間、排熱部は閉まり、大気に残された哀れな陽炎を、俺は突っ切っていた。


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——はは、どうやら、まだ、生きているらしい。


熱気に何度も当てられ、もはや霞み始めてきた視界に映るのは、最前列の戦艦、左舷の装甲に描かれている、旗艦を示す紋章。

俺は安堵と共に、開かれている甲板入庫口の高度まで機体を引き上げる。

だが、そんな束の間の解放感すら引き裂くように、物凄い速度でとある機体が俺の進路に侵入する。


俺の数十m先、滑るように甲板に入って行ったのは、チズルの機体。

大きな落胆に、全身の力が抜けた。急に重くなったペダルを、やけくそに踏み込み、続いて甲板に入った。


中に入れば、兵士の簡単な誘導に従い、彼女の横へ、乱暴に機体を止める。

エンジンを切り、跳び降りると、どっと疲労が押し寄せる。それを苛立った気持ちで押し返し、困惑する整備兵に構わず、前方、昇降口で既に直立姿勢で待っている彼女の方へ足を進めた。

横に並んで、その涼やかな横顔に、精一杯の強がりを見せる。


「待たせたか」


彼女はこちらを一瞥しただけ、それ以上の反応はなく、歩き出した。


「…なるほど」

——条件は、2人揃うことだからな。関係ないのだろう、俺が誰であろうと。


苛立ちは何故か収まっている。今回は流石に疲れたのかもしれなかった。

冷めた気持ちは、肩も振れないで歩く彼女の背中を、都合よく寂しく映している。

そんな彼女の背中は、今まで、俺が常に直ぐ後ろで見ていた事に、まだ気付いていないのだろうか。


—————————————————————————————————————


「アスラ様、ヘカトンケイルへの着艦機、その操縦者が確認できました」

「そうか、名前を教えてくれるか」

「はい。識別、百と243、チズル・ヒトリ。それと、百と378、ロイ・リドリッチ」

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