第5話

聞き慣れた蒸気の抜ける音がした後、目の前の仰々しい鋼鉄の円扉は開く。

管制室に入れば、いつもの緊張感が俺の体を包んだ。


オペレーターがそれぞれ見張るパネルや、中央の立体映像機器、それらを結ぶように巡る光の線は青く明滅し、忙しなく調整に回る運転員や、絶え間ない無線連絡のやり取りは、こちらの気持ちを不安にさせる。

窓外には抜けるほど青い、静かな空が広がっており、騒がしい空間とのコントラストが滑稽に見えた。


飛翔空帝五界団大型戦艦ヒルデブリュート、先月から導入運用されたこの船は、進路を北東の境界沿いに取って進行中である、五帝艦巡航隊列の最後方を不安定な足取りで進んでいる。


「おいおい、大丈夫か。新人だからといって、緊張しているのか」

「あなたが来ているからでしょ」


俺の溜息交じりの呟きを、冷静にイサめた右隣の女は五帝専属秘書である、リナリア・リナリーナだった。

ウェーブのかかる金髪を束ね上げ、整った目鼻が化粧に映えている。その端正な容姿は目を引くものがあった。


「運用テスト時の結果は良好と出ています。オペレーターの配置も、テスト時と差異はないはずです」


続いて左隣から応えたのは、ルキ・ヘルヴォルール。

あどけなさを隠さずにいる幼い面立ちに、両耳辺りから緩くまとめた栗色の髪が肩先まで揃えられている。


彼女は、軍塔が開発したとされる人型端末である。

幼少期から洗脳を施し、徹底的に隷属レイゾクを覚えさせた人間に、電脳機器を埋め込んで造られた改造人間。自分を機械だと信じてしまっている、可哀そうな少女。試用段階の評価という話で、俺が手を挙げ採用し、五帝補佐役を任せていた。


「はぁ、どうやら補佐役との方が、有意義な会話ができるようだな」

「冗談では気は紛れませんか」

「いいや、お前のは、むかつくだけだ」


専属秘書との楽しげな会話の中、こちらに気が付いた艦長が慌てて向かってくるのを、黙って手をかざして制す。

そして、喧騒の端で縮こまっているに意識が向いたのは、機器から排気される埃の臭いに混じって、微かに香水の匂いが鼻に届いたからだった。


「彼らは?」

「ええ、確か、一界の軍校。クリュード軍式訓練校の特記生徒ですね。近々、五帝団に配属になります」

「本日の午前中、見学に伺う旨、編隊長から連絡が入っていましたが」

「ほう、あれが今年の有望株どもか。…だが、多過ぎるな。そうだな、2人でいい」


争いの空が近い昨今でも、有用な人材は絶えず軍事関係を希望している。中でも、飛翔空帝軍への従軍志願者は数多い。

貰える金が多く、良い暮らしが出来るなどという俗な理由の他には、単純に国空戦域を掌握する立場にある空帝軍が、軍職で最も花形であるからだろう。


俺は、リナリアの方に試すような目を向ける。


「奴らの走りを見られる場を用意できるか?」

「…はぁ。了解しました」


乗り気ではないと、上司に散々な態度で見せつけた後、彼女は艦長の方向へ歩いて行った。

その背中を、俺は冷たく見つめている。


長らく横で仕事を任せてきた秘書は、美人で有能だが、その性癖には危ういところがあった。彼女が普段から愛用している人脈や、仕事の進め方はいつしか、もはや公的な指導が届かない、闇の域まで達してしまったようにも感じていた。


「アスラ五帝、ゼレニード二帝より通信が入っています。お取りになられますか」


抑揚の無い声の方に視線を戻すと、こめかみに軽く指を当てたまま、ルキが尋ねていた。


「そうか、分かった。だが、ここじゃ騒がしいな」


ルキと共に管制室から出たところで、通信に出る。


「アスラだ。ゼレニードか、どうした」

「神職のごたごたがこっちまで聞こえてきたんだ。耳に入れといた方が良いと思ってね」


耳に当てた受信機から聞こえてきたのは、少女のような幼い声。

飛翔空帝軍、二界域最高統括者、ゼレニード・ゼアルノイドのものだ。


「厄介ごとだな、間違いない」

「酷いね。ただの情報共有さ」

「そうか、なら大歓迎だ。で、用件は?」

「天使が逃げた」


この女はよく、冗談めかした物言いをするが、この突拍子のない簡潔さは、逆に新鮮な真実味を加えていた。


「それは、軍の一般通信で言っていいことか?」

「ふふ、今のところはね」


思わぬ奇襲、眩暈メマイを抑えるように、眉間に指を押し当てる。


「被害は? 逃げたってのは、庭園からか?」

「被害報告はまだないね。残念だけど、詳細は降りてきていないし、公表もない。だけど、噂ってことはないかな。軍議長さんは知っているようだから」

「アズマから聞いたのか」

「いいや、直接ではないよ。話が入ってくるんだ。今、ちょうど近いところにいるから」

「何処にいる。ああ、いや、待て」


後ろで控えているルキは、通信先を割り出したようだった。

彼女の抱える電子プレートに座標が写る。


「ヘルバラード? なんだ、パーティーでもやっているのか」

「塔式十空の合同会食だよ。今月は軍塔が主催なんだけど、担当だった五帝さんは鮮やかに放り出したからね」

「あっあー、なるほど。そうか。では、謝罪の意も兼ねて是非、軍議長殿と詳細な話がしたいんだが」

「彼は今、会議中だよ。たぶん、直接来た方が早い、天使の事を聞くのなら尚更」

「オーケー、向かおう。必要なドレスコードとお前の招待状の写しを、俺の端末に送っておいてくれ」

「分かったよ。それじゃ、じゃあね。久しぶりの再会を楽しみにしてるよ」

「心にも無いことを言うな、気色が悪い。ではな、会場で」


通話を切り振り向けば、無意識に吐いていた盛大な溜息をルキに見られたところだった。


「ゼレニード二帝から只今、情報を受け取りました。…これは、作戦コードでしょうか」

「いや、違う」

「えっと、では…」

「至急、その招待状を五帝団の広報用情報で、書き換えろ。あと、この船の備品リストから、適したスーツを選んでおいてくれ、派手な物は控えろよ」

「承りました。ですが、何故?」


ルキは眉をひそめる。

この立場に就いてからも一切、浮いた場に縁がなかった俺を本気で怪しんでいる、そんなルキの表情に思わず苦笑が漏れていた。


「パーティーのお誘いだ」

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