杖と断崖の告白【最後の犯人/群像劇】+個人的なファンタジー縛り


 白波が打ち付ける断崖の上に男が一人で立っている。銀の髪に高級ブランドのスーツを纏い、右手には魔法使いの杖。彼は眼下の岩肌に寄せては砕ける日本海の荒波を見つめ、ほう、と僅かに熱っぽい溜息を溢す。胸の奥から不意に溢れ出した悪心と、どんなに誤魔化しても癒える事を知らない罪の甘美なる疼痛が男を駆り立てた。

 断崖は森の果てにあり、彼女はその森の闇を一途に翔けた。美しい翼を持つ鳥に変身し、オリーブの葉をその嘴に咥え、木と木と、その枝の隙間を縫い、日の光の侵入を厚く拒む森の闇を飛び抜けていく。その飛行には焦りがあった。同時に使命と、決意が。少女は二度と取り戻せないと分かっていた。しかし彼女には決して諦め切れないたった一つのものがある。

「この場所で、語るべき事は一つしかない。事の真相を。ああ、そうとも。なぜ私は君を殺したのか。それが知りたいのだろう」

 男は後ろに向かって、振り返らずに言った。そこには誰もいない。ただ、白いドレスの中心を真っ赤に染め、胸の真ん中にナイフを突き立てた顔のない女の死体が横たわっているだけだ。彼女は、そこに立っていた。誰もいないそこに。死体の頭の上。殺された女は、困惑の表情を浮かべて男を見つめている。

 鳥がぐるりと回転する。翼は喪われ、足が出来、軽やかな着地を成し遂げた牝豹がしなやかな肢体を加速させる。少女には果たすべき約束があった。噛み締めたオリーブの葉が、それを強く意識させる。

「六人の死体。その最後の一つである君には総てを知る権利がある。勿論、語ろう。任せ給えよ」

 男は振り向く。手を広げる。彼の眼に映る透明な死者の姿はまだ困惑していたが、その向こうには一匹の黒い獣が木々を縫って飛び出してくるのが見えた。獣はそこに立つ男と、横たわる女を見つけ、一瞬の硬直の後、小さく――そして雄々しく一度吠えた。呻くような、それは悲鳴にも聞こえた。

 男が笑う。豹が地を蹴った。杖の石突が振るわれ、少女は鼻先でそれを掻い潜ると迷う事無く死体から抜き取ったナイフで男の首を右から左へと一文字に切り裂いた。血が飛沫を上げ、顔に掛かり、一層荒々しい波が打ち寄せて岸壁にぶつかって大袈裟に砕け散った。

 男の動機は下らない。つまりはお家騒動で、権力争いで、そこから救いたいたった一人の女がいた。愛情だとか憐憫だとかそういうものではなかった。彼はそうすべきだと知っていたし、そうする方法も分かっていた。男の告白は言葉を用いずとも結果としてここに顕れる――夢で見た通りに。

 血飛沫を浴びた杖が転がった。豹は消え、いつしかそこには一人の少女が立っている。銀の髪に黒いドレスを纏った彼女は茫然と手にしたナイフを見下ろした。止めようとした筈の儀式、その最後の仕上げを施した凶器を。

 その後ろで、自分の死体を見下ろしながら立ち尽くし、オリーブの葉を握り締めて静かに咽び泣く女が一人。

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