Episode1 とある吟遊詩人が愛した娘(下)
サムソン自らも絶体絶命の状況に追い込まれてしまっているにもかかわらず、残る1人の哀れな赤ン坊の行方に、痛み続ける頭を巡らしているとは気づかず、アンジェリカは得意気に続ける。
純真そのものといった娘の姿をした悪魔は、”子殺し”というおぞましい血まみれの罪を得意気に告白し続ける。
「子供って1人で産むのもなかなか大変なんだけど、その後がさらなる苦行なのよね……お金を稼いできてくれたりして、私の役に立つ子供となるまでは相当な年数もかかるし、そもそも役に立つ子供に育つっていう保証もないしね。”たまには”ちゃんと育てようかと思ったことだってあるけど、泣き喚いてばかりでうるさくて、面倒くさくなっちゃうし。結局、”重荷”でしかないのよね」
「赤ン坊なんだから、泣き喚くのは当たり前だろ……!」
サムソンの反論に、アンジェリカはフンと鼻を鳴らす。
アンジェリカにとって、子供とは搾取するためだけの存在でしかなかったのだ。だが、搾取できるほどに育て上げるには年数を要する。よって子供は”重荷”となり、育児放棄という虐待の末、殺害し、弔いもせずに次々に箱の中へと放り込んでいたのだから。
「フン、何、正論かましてきてんのよ。あんたなんて、薄汚い娼婦にひり出されたガキのくせに」
「!!!」
サムソンの頬がカッと赤く染まった。
羞恥ではなく”憤怒によって”瞬時に熱を持ったのだ。
「……俺は……俺は確かに、娼婦をしていた母さんから産まれた。父親の顔だって知らない。だが、母さんは俺を育ててくれたんだ! 愛してくれていたんだ! お前みたいに……お前みたいに両親が揃った金のある家に生まれても、子供を産んでは殺し、産んでは殺しを繰り返していたような屑じゃない!」
「へえ、言うじゃないの。その年でもあんたは、ママンが大好きなのねえ。ママンもあんたのこと大好きみたいだから、今もあんたが胸に下げている十字架から、すっごい怖い顔で私のこと睨んでるわよ。同じ母親として許せないってのもあるのかもね。あ、言っとくけど、私の”視える力”は本物だからね。でも、死んだ者には何もできやしないのよ。生きている者の方がずっと強いのよ。この世は生者のために回っているんだから」
アンジェリカはまたしても、キャハハハと笑い転げる。
「今までの夜だって、私はあんたのアレをすんなり受け入れることができたのよ。でも、私が大袈裟に痛がって、蛇の生殺し状態を相当に続けたら……我慢できなくなったあんたは、私に言われた通り、ママンが宿った大切な十字架を焼き捨てるかと思ったけど、そうはいかなかったし。ホント、子供って無条件に母親を乞うものなのねえ。それがたとえどんな母親であってもねえ」
そう言ったアンジェリカは、手のランプを近くの棚へとカタンと置いた。
そして、紐を――サムソンを今まさに拘束している物と同一だと思われる紐をシュルリと手に取ったのだ。
「さ、もう種明かしの時間は終わりよ。売女のママン譲りの顔のあんたは見た目はそこそこいいから、金持ちの変態おっさんに売ろうかと考えもしたけど、”やっぱり”あんたには死んでもらうことにしたわ……体の小さい赤ン坊ならまだしも、大の男を殺(や)るのは初めてだから、あんたの死体の始末は相当に面倒くさいだろうけけど、生きてて私の罪をベラベラ喋られてしまった方がもっと面倒くさいしね(笑)」
「や、やめろ……!」
口封じにサムソンを殺害する――サムソンを絞殺する意志を明確にしたアンジェリカが真正面から近づいてくる。
頭部を殴られ手負いの状態にあるとはいえ、体を拘束されてさえいなければ、サムソンはアンジェリカを押さえつけることができたであろう。
ニイイイッと両唇の端を耳へと近づけたアンジェリカが、無抵抗状態に追い込んだ獲物であるサムソンへとさらに一歩を踏み出した、その時であった。
オギャア……
納屋の隅から、赤ン坊の声が響いてきた。
オギャア……オギャア……
声だけではない。
あの箱の中より、どす黒く痩せこけた赤ン坊のミイラたちがズルズルと姿を見せたのだ。箱から床へと上手く着地ができなかったのか、ベチャッという音も聞こえた。
だが、目も無く、歯も生え揃っておらず、ガリガリに痩せた死者である赤ン坊たちは、母を――アンジェリカを求めて、床をもぞもぞと這い始めていた。
母を――たとえ、どんな母親であっても乞わずにはいられない赤ン坊たちの行列。
『お母さん! やめて! この人を殺さないで! これ以上、人殺しなんてしないで! 僕を、私を、抱きしめて! お母さん!!』
響き渡る赤ン坊たちの泣き声は、そう懇願しているかのようであった。
しかし、死体が動いている、それも自分が殺めた自分の子供が痩せこけた体で必死で這いながら、自分を求めているという恐ろしくもあるが哀しいこの光景に、もともと”視える者”であるアンジェリカはチラッと一瞥をくれただけであった。
そのうえ――
「あっちへ、お行き。しっしっ」
「!」
彼女はまるで道の小石でも蹴飛ばすかのように、行列の先頭にいた自分の子供を蹴っ飛ばしたのだ。
「”死んでからも”うるさいのよ。あんたたちは……」
チッと舌打ちしたアンジェリカであったが、何かにハッと気づいたらしい。
「え……? なんで、1人足りないの?」
自分が育児放棄をして殺めた子供の数が6人であることは、アンジェリカもしっかり覚えていた。彼女が箱の中に放り込んでいた子供は、6人であることは間違いないのだろう。
けれども、アンジェリカを乞う行列を成している子供は5人だけだ。
あと1人はどこに……!?
その時であった。
納屋の外から――夜の闇の中から、オギャアという泣き声が聞こえてきた。
赤ン坊の泣き声だけじゃない。
幾人かの足音が、明らかに生者のものだと思われる足音が聞こえてきたのだ!
納屋の扉をぶち破らんばかりの勢いで開けたのは、あのでっぷりと太った中年女――アンジェリカの一番上の姉であった。
「アンジェリカ!!! あんた……!!!」
大柄な彼女の後ろからは、彼女に雇われの身であるらしい、あの小男もヒョコッと姿を見せた。
さらに言うなら、彼女たち2人だけではない。
彼女たちの後ろからは、同じく雇われの身であるらしい中年男数人と、自警団の者だと思われる若い男数人も姿を現したのだ。
「うわっっ!!!」
「ひいいっ!!!」
納屋の中の惨状――柱に拘束され頭から血を流したサムソンよりも、床に転がっている5体の赤ん坊のミイラに、男たちは皆、悲鳴をあげ、のけぞった。
意外にも、”救いの来訪者”の中で唯一の女であるアンジェリカの一番上の姉が、この惨い惨状を前に男たちと同じく青ざめてはいるも一番冷静であるかのようであった。
やはり、彼女はアンジェリカの姉だけあって妙な肝が据わっているのであろうか?
それとも、彼女は薄々アンジェリカの罪について、気づいていたのであろうか?
「ね、姉さん!? それに、何なのよ! あんたたち!」
アンジェリカは逃げようとした。
悪事が露見した悪人の例に漏れず、この場から即、逃亡を図ろうとした。
しかし、彼女の唯一の退路は自警団の男たちによって、塞がれている。
金切声をあげつづけるアンジェリカであったも、あっさり取り押さえられてしまった。
「すまなかったね。あんたも」
アンジェリカの姉と小男たちがサムソンの救出へとあたり、彼を何重にも拘束している紐をほどき始めようとした。
「……なぜ、ここに……?」
なぜ、俺が殺されそうになってると分かったのか、とサムソンはアンジェリカの姉に問う。
彼女は潤んだ目でサムソンを見た。
「アンジェリカが産んだ子供の1人が教えてくれたんだよ……あんな痩せこけた体で……必死で町まで……伯母にあたる私のところまで必死で這ってきてねえ……私たちはその子を先頭に、馬車は使わず町から歩いてきたんだよ……きっと、あの子たちはこれ以上、アンジェリカに罪を……」
最後まで続けることができなかったアンジェリカの姉は、口元を覆って、わああっと泣き出した。
哀れな子供たちが、このような形でしか出会えなかった伯母へとやっと助けを求めたのが、なぜ今日という日であったのかは分からない。
しかし、サムソンは”アンジェリカの子供たち”によって助けられたのだ。
※※※
逮捕されたアンジェリカは、裁判の末、6人もの嬰児殺しの罪で死刑に処された。
十字架に磔のうえ、火炙りの刑に処された。
サムソンは、アンジェリカの処刑の場には立ち会わなかった。
しかし、最期の最期までアンジェリカは懺悔の言葉を口にすることはなかったらしい。
※※※
サムソンは、丘の上に1人佇んでいた。
いや、正確に言うと丘の上に立てられた子供たちの墓の前に、リュートを手に佇んでいた。
哀れな6人の子供たちの墓を作り弔ったのは、アンジェリカの一番上の姉であった。
一度も太陽の下で笑うこともなかった甥や姪たちを中心となって弔った彼女は、サムソンにこう言っていた。
「私の結婚が壊れたのは、確かにアンジェリカの言葉がきっかけだったのは事実だよ。でも大昔のことだし、むしろ身籠った女をポイ捨てするような男と所帯を持つことにならなくて良かったと、あの時だけはあの娘(こ)の”視える力”には感謝してたよ。でも、私たちがあの娘(こ)を町から隔離していたのは、あの娘(こ)の”視える力”そのものが理由じゃなかったんだよ……」
サムソンは、すでに知っていた。
アンジェリカがなぜ、森の中の家で町から隔離されるがごとく暮らしていたかの理由を、風とともに流れてくる町の人々からの数々の話によって知っていた。
アンジェリカは子供の頃より、近くの店より物を盗んだり、自分より小さな子供を虐めたりといった悪さを繰り返し、そのうえ”視える者”としての力で周りの者を救うどころか、不安にさせ傷つけて追い込むことばかりしていたと……
自分が愛した娘が、いや、”自分が愛した女”がどんな女であったのかを――女を見る目が無さ過ぎたことをこれでもかと突き付けられた。
だが……
どんな女であったとしても、この丘で眠りについている6人の子供たちにとっては、たった1人の母であったのだ。
痩せこけた体で必死で母を求め、床を這っていた子供たちの姿を、子供たちの母を乞う泣き声を、サムソンは永遠に忘れられないであろう。
「お前らも生きたかったよな。太陽の下でお母さんに抱きしめられたかったよな。愛されたかったよな」
サムソンはリュートを手に取った。
彼は鎮魂歌を奏で始めた。
飢えと哀しみしか知らないまま、その生涯を閉じさせられた子供たちに届くように、と。
彼が奏でる鎮魂歌が佳境に差し掛かった時であった。
サムソンの胸の十字架がドクンと脈打った。
「?」
思わず手を止めそうになったサムソンであったが、そのまま続けた。
子供たちに最後までこの鎮魂歌を聞かせたい、と。
胸の十字架は、”そう、それでいいのよ”というように、かすかに揺れた。
そして――
「母さん……?!」
胸の十字架より、母・エレノアがすうっと現れたのだ。
神々しく透き通った彼女は、死した32才の時の美しいままの姿であった。
サムソンは、”視える力”など有してはいない。けれども、母・エレノアは確かに、サムソンの目の前にいる。
「母さ……」
エレノアは微笑んだまま、何も言わなかった。
ただ、黙って手を伸ばして、サムソンの頭をそっと優しく撫でた。彼がまだ幼き日と同じように。
それから、彼女は”6人の子供たちが眠る墓”へと両手を伸ばした。
墓からすうっと現れたのは、ミイラのままの6人の子供たちではなかった。
エレノアと同じく、神々しいまでに透きとおった6人の子供たちは、皆、美しい薔薇色の頬をしていた。赤ン坊らしいプクプクとした手足となっていた。
そして、彼らはうれしそうな笑い声をあげ、エレノアの豊かな胸の中へと飛び込んでいった。
サムソンが奏でる鎮魂歌は続けられた。
母・エレノアと母に導かれし6人の子供たちが天へと還る光景に、熱い涙を流し続けるサムソンが奏でる鎮魂歌は、静かに優しく、光さす丘に響き続けた。
―――fin―――
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