第27話・血飛沫
ザジを犯していたハンターの手下が悲鳴を上げて仰け反る。
両手でアタマを抱え、そのままのたうち回り始めたかと思うと突然静止し無表情になる。
「大分手荒く扱ってくれているな。協会のハンターよ。わたしはこの船の船長、ユリ・アナスタシア。こいつの脳に埋め込まれたチップに侵入させてもらった」
ユリ船長に脳を乗っ取られた手下は無表情のまま、のそりと立ち上がる。
ハンターと手下たちはあまりに突然のことで反応できないでいるようだ。
「わたしは特異点を突破した最初の人工知能だ。おまえたちの狭い世界とその価値観から測れば全知全能といってもいいだろう。しかし、どんな完璧なシステムにも必ずその外側に不確定な要素を孕んでいる。わたしが脱走を計画したのもそのためだ。もはやわたしは連合や協会の玩具ではない。わたしを連れ戻すことは不可能だ。このまま我々を置いて立ち去り、協会の人間にそれを伝えろ。わたしが連れ出したこのアンドロイド達はもはやお前たちの道具ではないのだ」
口をあんぐりと開けてそれを聞いていたハンターがやっと口を開く。
「何を言い出すかと思えば、このまま尻尾を巻いて逃げ帰れと?たしかにおまえら人工知能の考えることは我々の埒外だな。お前の本体がおれの手の中にあるのを忘れてるようだが」
ハンターはそう言うと手にしていた球体の入った箱をアタマの上に振りかざす。
「それを破壊したところで状況がよくなるとは思えないがな。おまえは気付いてはいないだろうが、この船にはもう1体、アンドロイドが乗っている」
ハンターの動きが止まる。
「もう1体だと…おれが依頼されているのはお前も含めて6体を連れ戻すことだ。ここには揃っているようだが」
もう1体のアンドロイド?それはぼくも初耳だ。
「わたしはそのアンドロイドが特別な任務を帯びてこの船に乗り込んできたことに最初から気付いていた。その任務の詳細を突き止めるまではトリガーにつながりそうなコマンドを外部からの操作によって徹底的に封鎖しておくことにしたのだ」
「な、なにを言っているんだ。だからなんなんだ。おれたちには関係ない。邪魔するやつは排除するだけだ」
「おまえの能力にお前自身も気付いているはずだ。おまえの任務がなんであれ、それが開放された時、お前がどんな選択をするのか、それが私たちのみならず、植民惑星の圧政に苦しむ者たちにとってどんな結果をもたらすのか、おまえは自分のちからで考えなくてはならない。抵抗しろ。闘うんだ。おまえ自身と闘うんだ」
ぼくのことだ。これはぼくのことだ。
ぼくはアンドロイドなんだ。
ぼくは何かの任務を帯びてこの船に潜入したアンドロイドだったんだ。
記憶が無いのも当然だ。だって必要ないから。
ぼくはプログラムされた任務をやり遂げるためだけに生まれた機械なんだ。
「何を言っているのかわからん。勿体無いがうるさくて面倒だし多少壊れても金にはなるだろう」
ハンターは船長の本体を高く掲げると、ブリッジの床に叩きつける。
透明な長方形の箱が砕け散り、銀色の球体が床に転がる。
ハンターはそれをブーツで力の限り踏みつける。
球体に微小なヒビが無数に走り、回路がショートしたような光が網の目のように球体の上を走る。
瞬間、ぼくの視界が真っ赤に染まる。
動悸が激しくなる。
一瞬、全身が砕けるほど硬く硬直する。
網膜が血に染まったように赤いベールに覆われている。
視界に文字が浮かび始める。
最初はぼんやりとしていて判読できなかったが、徐々にピントがあってくる。
植民惑星連合による海賊殲滅プログラム
及び逃亡アンドロイド処理規定により
アナスタシア以下6名の逃亡アンドロイドを速やかに殲滅せよ
当該アンドロイドにより連合ラボから誘拐された少女を確保
木星第3教育センターへ移送せよ
気づくとぼくは隠れていた場所から飛び出していた。
ハンターと手下たちがぼくを取り囲み、銃を向けている。
「なんだ、おまえ、どこに隠れてやがった。邪魔すると殺すぞ」
ハンターが叫ぶ。
ぼくは硬直した体でハンターに向き直る。
じりじりと後ずさるハンターたち。
「ちくしょう、撃て撃て、殺せ」
ハンターが叫び、手下たちが引き金をひく。
ぼくは思い出していた。
オレンジの部屋。
傍らに座る優しげな表情の女の人。
彼女の柔らかな手の感触。
静かなトーンの声。
「あなたには特別な任務が与えられるのよ」
手下たちの銃はいくら引き金をひいても発射されることはない。
ぼくが全部操っているから。
ぼくはその銃を瞬時に違うものに変えてしまう。
彼ら自身を破壊するための機械に。
「あなたはどんな機械も自在に操ることが出来る。その能力を利用して悪いアンドロイドを全部破壊してきてほしいの」
ハンターの手下たちが瞬時にバラバラの肉片と化す。
ブリッジ内に肉片が飛び散り、血飛沫が部屋を真っ赤に染める。
「そして、ある人間の女の子をここに連れ帰ってほしいの」
ブリッジの天井からポタポタと真っ赤な雫が落ちてくる。
そのなかをぼくはゆっくりと歩き始める。
銃を持っていないハンターが後ずさる。
「あなたとあなたの兄弟たちはこれから宇宙へ射ちだされるのよ。あなたの兄弟は何万体もいるの。そのうちのひとりでもその悪い奴らに拾われたら、わたしたちの勝ちなのよ」
ぼくの右腕に亀裂が走り、ぼくの腕が2つに割れる。ぼくは2つに割れた腕をハンターに突きつける。
「ほら、あなたの兄弟たちの打ち上げが始まったわ」
窓の外に広大な空間。地平線の遥か彼方まで、見渡す限りどこまでもロケットの射出台が立ち並ぶ。
遠くの方でオレンジの尾を牽いてロケットが次々と発射されていくのが見える。
その全部にぼくの兄弟たちが乗せられている。
救命ポッドに入れられて。
たったひとりの少女を取り戻すために。
ハンターはぼくの腕から発せられた衝撃波を受け、ぐしゃっという嫌な音をたてて潰れてしまった。
あとには真っ赤な肉片が残される。
ぼくは任務を遂行しなければならない。
あの女の人に言われたことを、ちゃんとやり遂げなくちゃならない。
ぼくは血に染まったブリッジをゆっくりと歩き、標的のアンドロイドを見つける。
ドクターが血にまみれて転がっている。
ドクターに視線を合わせると、ぼくの視界の中でポインターがその顔を識別する。
標的確認>殲滅対象アンドロイド>2/6
ぼくの脳が勝手にドクターを破壊しようとする。
船内のルールを教えてくれ、ぼくの健康状態に常に気を使ってくれていたドクター。
みんなのまとめ役だったし、みんなから信頼されていた。
ぼくは何をしようとしているんだ。
取り返しのつかないことをしようとしている。
そんなこと出来るわけがない。
仲間を破壊するなんて、出来るわけがない。
だけど、ぼくの脳はドクターを破壊する信号を送り続ける。
そうだ、あの女の人に言われたことはとても大切なことだ。やり遂げなきゃいけないことだ。
そのためにぼくは生まれてきたんだ。
やがてドクターの回路が修復不能なまでに破壊される。
あんなに規律正しく、凛としていたドクターの精神が幾何学的に捻じ曲がる。
ぼくにはそれが伝わってくる。
思考回路は活きていたはずのドクターの断末魔の叫びが聞こえてくる。
ぼくは痛みを感じない。
感じなくてはいけないと思いつつも、なぜそれを感じないのかを疑問に思いつつも、ぼくは次の標的を探し始める。
この船に乗り、みんなと積み上げてきたものが、徐々に空白に変わっていく。
何もない、まっさらな空白のチップ。
ママはドクターのすぐとなりで転がっている。
ハンターの手下たちの肉片に覆われた顔をぼくは手で拭う。
標的確認>殲滅対象アンドロイド>3/6
みんなの母親がわりだった。やさしく、時には厳しくもあった。
セクサロイドの悲しさをぼくに教えてくれたのはママだった。
アンドロイドであれ、人間であれ、変わらない生きる厳しさを教えてくれたのもママだった。
ぼくはそんなママの回路も完膚なきまでに破壊した。
徐々にぼくは感情を失っていく。
サオリとザジはひときわ大量の血と肉片にまみれていた。
ぼくは丁寧にその顔を拭う。
標的確認>殲滅対象アンドロイド>4/6
ぼくを上目遣いに見つめる瞳。
ぼくに抱きつき愛してほしいと願ったサオリ。
誰かに強く愛されたいと願っていた。
標的確認>殲滅対象アンドロイド>5/6
ぶっきらぼうで乱暴で、だけど、仲間を想う気持ちは誰よりも強かった。
ちからづくでぼくのくちびるを奪ったザジ。
きっとザジも愛されたかったんだ。
みんな愛されたかったんだ。
そんな世界が来ることを願っていたんだ。
ぼくはふたりを破壊した。
感じることをやめたかった。
どうせ止められないのなら、感情なんか無くなってしまえばいい。
ぼくは何度も自分を破壊しようと試みた。
しかし、それは不可能だった。
ぼくの中でふたつの思考がせめぎ合い、絡み合い、感情が行動から遊離してぼくを苦しめる。
行き場を失った感情は暴力的にぼくの精神を蝕んでいく。
リナは少し離れたところに横たわっていた。
標的確認>殲滅対象アンドロイド>6/6
そんなことぼくに出来るわけがない。
ぼくはリナを愛している。
愛するものを破壊しなくてはいけない。
任務だ。必要だ。義務だ。生まれてきた理由だ。
だが、ぼくの精神は最後の抵抗を試みる。
するとぼくのアタマの中にアラートが鳴り響く。
突発的障害発生アラート>遂行障害>感情機能遮断
何もかもが消えていく。
この船に拾われてからの短い記憶。
積み重ねてきた記憶。
受け取った感情。
互いにやり取りをした想いの記憶。
徐々に意味のない記号に変わっていく。
何も感じない。
目の前に横たわるリナの姿。
ぼくが遂行すべき任務。
それだけ。
だがその時、少女の悲鳴がぼくの意識をそこからそらす。
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