第23話・わかりあうこと

 オレンジの壁。

 小さな部屋。

 ベッドの上に寝ているぼく。

 懐かしい声。

 「あなたはとても優秀よ。それにとても素直。わたしは鼻が高いわ。他の子達とあなたは違うの。きっとあなたは私たちに未来をもたらしてくれるわ」

 そう言ってぼくの頭をやさしく撫でたその女性は立ち上がり、ドアを開けて去っていく。

 もっと声を聞きたい。そばに居てほしい。

 ぼくはベッドから起き上がり、その人を追って行こうとドアを開ける。

 ドアの外には巨大な工場のような空間。

 無数のベッドが並べられ、その全てにぼくが寝ていた。

 

 汗だくになって目を覚ましたぼくは上体を起こし、壁を見つめる。

 いつもの船室の無機質な壁。

 ぼくが感じていたのは、恐怖。

 広大な空間に無数に存在していたぼく。

 なんて不気味な夢なんだろう。

 ぼくは立ち上がり、部屋を出る。

 そして展望デッキのソファに座り、宇宙を見つめる。

 ぼくは何かに怯えている。自分の記憶が戻らない限り、ぼくはずっと怯え続けなくてはならない。自分が一体何者なのか、それがわからないこと、それをこんなにも恐ろしく感じたのはこれが初めてだった。

 小さな足音が近づいてくる。

 それがリナのものであることはわかっていた。

 いまのぼくは、とにかくリナにすがりたかった。

 助けてほしかった。

 リナはぼくの隣に静かに座る。

「眠れないの?」

 ぼくは頷く。

「ねえ、リナ、自分が何者かわからないってことが、こんなに怖いことだなんて、ぼくはいま初めて知った」 

 リナは優しくぼくの腕に手を添える。

「きっと、あなた自身がその答えを求め始めたってことなんじゃないかな。自分と向き合う準備ができたってこと」

「そうなのかな?ぼくはそんなこと知らなくても構わないって思ってた。この船でみんなと新しい人生を送れたらそれでいいって思ってた」

「きっとそれをあなた自身が許せないってどこかで思っているのね」

 リナはぼくの隣に座り、ぼくと一緒に窓から宇宙を見つめている。

 船は確かに前に進んでる。だけどぼくは、どうやったら前に進めるんだろう。

「あの惑星であなたは言ってた。アンドロイドも人間も変わらないって。いろんな経験を積み重ねてそのなかで自分を形作っていくのが人間だって、憶えてる?」

 そう、たしかにあの時ぼくはそう言った。

「あなたにもその積み重ねがあって、それがあなたを作っているはず、だからこそ、あなたはそれを求めなくちゃいけない」

「でもぼくは残酷で無慈悲で傲慢な連中と同じにはなりたくはない。ぼくの記憶がぼくをそこに連れて帰ろうとするのなら、ぼくは記憶なんかいらない」

 リナは優しく微笑む。

 それは全てを包み込むような微笑みだ。

 記憶を求めているけど、求めていない。ほんとうの自分に戻りたいと思っているけど、戻りたくない。そんな矛盾したぼくの全てを包み込むような。

「わたしもあなたが好きよ」

 リナは言った。


 船室のベッドでぼくとリナは抱き合っていた。

 一緒にいたい。離れたくない。

 そう思い始めたら、自分を抑えられなくなっていた。

 リナとぼくのあいだの僅かな空間ですらぼくには邪魔だった。

 たとえ数ミリでも、離れているのが我慢できなかった。

 そうしてぼくたちはひとつになったのだ。

 ぼくに必要なのはリナだ。

 リナがただのプログラムであってもそんなことは関係ない。

 リナには魂が宿っている。それを決めるのは回路図じゃない。

 ぼくだ。


「この船が向かっているのは、ある惑星、そこに私たちと同じように脱出してきたアンドロイドたちがたくさん住んでるの。彼らはそこで助け合い、生活をしながらチャンスを待ってるの」

 リナはぼくの腕の中で話してくれた。

 彼女たちが目指してる場所のことを。

「わたしも詳しくはしらないけど、彼らには計画があるらしいの。アンドロイドと人間が、もっと親密に、わかりあい、分かち合いながら生きていける世界にするための計画」

 それが、ほんとうに可能なのかはぼくにはわからない。

 でも、それが彼女たちの未来への希望なのであれば、ぼくはそれを実現するために力になりたいと思った。

 世界は残酷で無慈悲で傲慢だ。だけど、それを変えることもできるかもしれない。

 ぼくたちは互いに見つめ合い、声にならない声で、言葉にならない言葉で、語り合っていた。それぞれの想いをお互いにわかりあい、理解して、その瞬間確かにぼくたちは、愛し合っていたのだ。

 そしていつの間にかぼくたちは眠りについていた。

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