第20話・うそつきなくちびる

 リナと話さなきゃ…

 ここしばらくは顔を合わせるのを避けてきた。

 すれ違っても顔を反らしてきた。

 ぼくを裏切るなんてひどい。

 そんなこと間違ってる。

 ぼくはそうやってリナを非難しながら、リナを求めていた。

 ぼくにリナやほかのみんなを理解できるかはわからない。

 彼女たちが何を求めて、どこへ向かおうとしているのか。

 そのためにどれだけの覚悟をしているのか。

 記憶のない、中途半端なぼくが自分の狭い価値観だけで、それを知ることは出来ないのかも知れない。

 だから、彼女たちが見てきたもの、感じてきたもの、考えてきたことをひとつでも多く知りたい。

 相手がアンドロイドであろうが人間であろうが、それはきっと同じなのだ。

 理解するためには、ひとつでも多く知ること。

 ぼくがやるべきことがひとつ、明確になった。

 

 そして、ぼくはまた以前のように、食堂で食事をとり、仕事をしながらみんなと話をするようになった。

 ただ、以前のように、リナとふたりで、同じ時間を過ごすことは、まだ出来ない。

 一度距離をとってしまったら、再びもとの距離にもどるのは、簡単なことではないのかもしれない。

 お互いに超えられない線を、お互いの間に引いてしまったかのように。

 お互いの間のぎこちない空気にもどかしさを感じながら、だけど、ぼくはひとつひとつ、前に進んでいる気がしているのだ。


 それはある休息日。

 床にマットを敷き詰めたトレーニングルーム。

 この船は客船ではないから、本格的なものではないのだけど、乗組員たちが体を動かすことができるように、この船には小さなそれが用意されていた。

 ドクターに勧められ、ぼくは時おりそこへ行き、体を伸ばす程度の軽い運動をするようになった。

 やはり体を動かすのは気持ちのいいものだ。

 その日もぼくはトレーニングルームを訪れ、体のあちこちを伸ばす軽いストレッチをしていた。

 そろそろ引き上げようかと立ち上がったその時、トレーニングルームに誰かが入ってくるのが見えた。

 褐色の引き締まった体。タンクトップにショートパンツ姿のザジ。

 全身を覆うトライバルタトゥーが艶めかしい。

 ザジはぼくがまるで存在していないかのように、一顧だにせず、ウレタンフォームの床にあぐらをかいて柔軟運動を始めた。

 まあ、ザジはいつもこんな感じだし、でも最近はその視線の暴力もだんだん薄れてきたような気もしてきていたし、時間はかかるかもしれないけど、いつか仲間として認めてくれるに違いない。と、希望的観測で自分を納得させて、ぼくはトレーニングルームを出て行こうとした。

「なぜ、あの時、木っ端微塵にしなかった」

 ぼくの背中にザジが言葉を投げかける。

 ぼくは振り返り聞き返す。

「え、あのときって…」

 ザジはこちらを見ずに、黙々と柔軟運動をしながら言う。

「ハンターを、だ。なぜ粉々にしなかった」

 ぼくが銃座についてハンターを撃退したときのことだ。

「なぜって、無意味だと思ったから…」

 ザジは顔をあげ、ぼくを見据える。

「やつを殺したところで、代わりのやつなんかいくらでもいるだろうし、どうせまた他のやつが追ってくるだけなんじゃないかなって…」

 あの時とっさにそう思ったわけではない。あくまでも後付けの言い訳だ。

 ザジはきっとそんなことお見通しだ。

 立ち上がりぼくに近づきながら言う。

「そもそも、どうやってやつの動きを止めたんだ。やつはシールドを張っていたはずだ」

 あの時のことはぼくにも未だにわからない。ぼくが生まれつき持っている能力をぼくは突然思い出した。ただ、それが何故ぼくに備わっていて、何故、そのとき急に思い出したのか。

 自分でも納得のいく説明はできない。それをどうやって説明したところで、きっと理解してもらうのは難しいだろう。

「気付いたらシールドが消えていたんだ。やつが油断して早まったんだと思う」

 ぼくの目の前に立ったザジの表情。

 1ミリも納得していない。

 ザジの瞳に憎悪の光が宿るのを感じた。

 スイッチが入ったかのように、その瞳が妖しく光り始めたのだ。

「男なんてみんなクズだ。ハンターもお前も連合の連中もみんな同じ。自分のことしか考えてないクズ野郎だ」

 ザジはさらに1歩、ぼくの面前ににじり寄る。

 そして、睨めつけるようにぼくの顔を見上げる。

「うそをついているだろう。わかるんだ。おまえたちはうそをつく。私たちに奉仕させるために、その場しのぎのうそをな。自分の快楽のためになら、尊厳だってかなぐり捨てるだろう。それがおまえたちだ」

 ぼくはどう対処してよいのかわからず、ザジの圧力に声も出せず、ただ固まって、憎悪を吐き出すザジの姿を見つめている。

「おまえは何者だ」

 ザジはぼくの両肩に手をかける。

「最初からわかっていた。おまえは何かを隠している。それを自分で認識していないというのなら、おまえはとんでもないバカか、愚か者か、悲しい操り人形か…」

 ぼくはかろうじて声をあげる。

「どれでもない」

 ザジの表情が少し変わる。

「すくなくともいまのぼくは君たちといっしょに闘いたいと思ってるし、なにも隠してなんかいない。男はみんな愚かかもしれないけど、すくなくとも嘘はついてない」

「そうか…」

 ザジは突然ぼくの襟首を掴み、ぼくの体に腰を押し付けた、かと思うとぼくの体はくるりと回転し、いつの間にかぼくはザジにウレタンフォームの上に組み敷かれていた。

 そのままぼくの上に覆いかぶさり、ぼくの肩から脇にかけてをザジは両手でガッチリと固め、締め上げる。とてつもない圧力。

 息ができない。

 どうにか息をつこうとぼくの全身は、もがきのたうちまわろうとするが、1ミリも体が動かない。

 やがて、目の前が暗くなる。

 灯りが徐々に消えていくように。

 すると、ぼくを締め上げたまま、ザジはそのくちびるをぼくのくちびるに重ねた。

 一切の動きを封じられたまま、長い時間、ぼくはくちびるを奪われ続けた。

 やがて、ザジの圧力が消え、ぼくは解放された。

 そのままザジは何も言わずにトレーニングルームから出ていった。

 ぼくはその場で横たわったまま、しばらく動くことができなかった。

 ザジの圧力の余韻で体が膠着してしまっていたのもある。

 しかし、その時ぼくを覆っていたのは、甘美な陶酔感だった。

 絶対的な力でぼくを締め上げていたザジのくちびるは、これ以上無いくらい優しかった。

 圧倒的な力で締め上げられ、柔らかなそのくちびるを押し付けられている間、ぼくはリナの顔を思い出しながら、堕ちてははならない、従うべきではない、しかし抗うことのできないその誘惑を甘美に受け入れていた。


 それ以降、ザジの態度が少し軟化したように感じるのは気の所為だろうか。

 無闇に睨みつけられたり、悪態をつかれたりすることがなくなった気がする。

 とはいえやはり今だにザジはザジだ。

 つっけんどんで乱暴で愛想が悪いのは変わらない。

 だけど、ぼくは以前ほどザジを怖いとは思わなくなったし、積極的に避けるようなこともなくなっていた。

 それはきっとザジのことを少しだけ、理解するための一歩を踏み出せたということなんだと、ぼくはそう思うことにした。

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