第19話・サオリの指と無意味な問い
暗闇。
2匹の獣が絡み合う。
情欲に駆られて激しく求め合い、噛みつき、舌を出し、吠える。
ひときわ大きく吠えた獣の顔は、リナの顔だった。
声にならない声を上げて、ぼくは目を覚ます。
時間の感覚がおかしくなってしまったのか、最近はよくこうやって夜中に目を覚ます。
船内は静まり返っているのだろう。
枕元に置かれた時計が静かに淡々と時を刻んでいた。
ぼくはどうなってしまったんだろう。
あれ以来、ほとんど誰とも話していない。
ひとりで黙々と清掃をし、誰とも顔を合わせず、下を向いたままこの部屋に帰ってくる。
なんだかこの船のみんなが、手の届かない遠くへ行ってしまった気がする。
このままではいけない気もするし、なんとか彼女たちを理解したい。
でも、そのための一歩はなかなか踏み出せなかった。
そして、いつものようにベッドに横になる。
目を閉じて思い浮かべる。
ぼくのとなりに座り微笑むリナ。
暗闇で獣のように交わるリナ。
ぼくの手を握るリナ。
苦しげに顔を上げるリナ。
隣に座ると感じる柑橘系のさわやかな香り。
はげしく揺れ動くふたつの影。
汗。
光。
闇。
ぼくの手の動きが早くなる。
突然、ドアをノックする音。
慌てて居住まいを正す。
ドアを開けると、いつかと同じ、儚げな白いワンピースを着たサオリが立っていた。
「はいってもいいですか?」
サオリはきまり悪そうに呟く。
「え、いま?」
「あ、ごめんなさい、邪魔でしたか?」
サオリは顔を赤くして俯いてしまう。
「あ、いや、いいよ、どうぞ」
「突然押しかけてしまってごめんなさい」
サオリはベッドに座るぼくの前に立つ。
「あ、いや、いいよ、ちょうど目が覚めちゃって」
サオリは俯いたまま、ぼくはそんなサオリを少し困惑して見つめたまま、時だけが過ぎていく。
「あ、あの、お体は大丈夫ですか?」
「え、ああ、大丈夫だよ、元気、心配かけてしまってたのならごめんね」
「あ、いえ、そんな、あの…」
ぼくは自分の座る位置を少しずらした。
「座ったら?」
「あ、はい、ありがとうございます」
ぎこちなく頭を下げたサオリがぼくのとなりに腰掛ける。
相変わらず俯いたままサオリは言う。
「最近、ずっとよそよそしいというか、元気がないみたいで、何があったんだろうって…」
「ああ、ごめんね。ちょっと疲れちゃったのかも」
「そうなんですか…」
「そう、なんだかいろいろ起こりすぎて、頭の整理がつかないというか、なんかぐちゃぐちゃになってしまって…」
サオリは顔をあげてぼくを見つめる。
「わかります。わたしにも、わかります。いろんなことが起こると、頭の中がごちゃごちゃになって、何をどう感じたらいいのかとかどうしたらいいのかとか、考えられなくなります」
サオリはさっきまでとは打って変わって、水を得た魚のように喋りだす。
「すごく辛い場所から逃げてきて、みんなと仲良くなって、お喋りしたり、いっしょにお食事をしたり、すごく楽しかったんですけど、だけどまた、追いかけられて、襲われて、また逃げ出して、その繰り返し。なんだかそれがとても辛くて、なんのために逃げてるんだろうって。なんのために戦ってるんだろうって。わたしはなんのために生きてるんだろうって」
サオリはそこまで言うとまた俯き、自分の膝の上に置かれた自分の手を見つめて震えている。
「なんとなくわかるよ」
そう言ったぼくの顔をサオリはまっすぐな眼差しで見上げる。
「わたし、愛されたいんです。誰かに必要とされたいんです。誰かに激しく求められたいんです。ほんとうにわたしが生きてるのなら、愛されたいんです」
そう言ってサオリはぼくにすがるように抱きついてくる。
サオリの細い腕が、ぼくのからだに巻き付いてくる。
サオリはぼくの胸に顔をつけ深く息をする。
ぼくの鼓動が速くなる。
サオリはぼくの胸に顔を押し付けたまま言う。
「見てしまったのですね。わたしたちが物資を得るためにしたこと」
いまのぼくにとっては胸のど真ん中を貫かれるような言葉だ。
ぼくの鼓動が急激に激しくなる。
「うん、ぼくは見てしまった。見たくなかった。見なければよかった」
サオリの両手はぼくの体を慈しむように弄り始める。
「君たちはそんな世界から逃れてきたんだろう?なぜまた自分たちを道具にするんだ?」
サオリの指がぼくの体の上で踊る。
「あなたは自分を慰めていたのですね」
ぼくは混乱する。悲しみと後悔、サオリの華奢なからだとふくらみ、そしてリナを求める情欲が絡み合い入り交じる。
「リナのこと、愛してるんですか?」
咄嗟過ぎてぼくには答えられない。
そしてサオリはぼくの胸の中で、熱い吐息まじりの声で言う。
「わたしも同じように愛してくれますか?」
サオリの指の動きは激しくなる。
「わたしを愛して、理解してくれますか?」
ぼくは何も答えられない。
サオリの問いは、どこか遠いところ、真っ暗な深淵から聞こえてくる。
何もない、茫漠とした深みのなかから、無意味な言葉を連ねる小さな人形。
ぼくにはその問いの意味も答え方もわからない。
サオリはその柔らかく細い指の蠕動でぼくをどこかに導こうとしている。
問に対する答えが無意味なのを、問いそのものが無意味なのを、ぼくは感じる。
「でも、もういいんです」
サオリは突然、動きを止める。
そしてぼくを見上げる。
「あなたにはきっとわかってもらえない。理解もできない。わたしたちのこと、あなたには愛せない」
そう言うとサオリは体を離す。
「あなたは自分のことだけを見てます。じぶんの想いだけで、わたしたちを理解しようとしています。あなたが人間ならばわかるはずです。あなたの問いに意味はない」
サオリは立ち上がる。
そして「ごめんなさい…」と言い残し部屋を出ていった。
サオリが何を言おうとしていたのか、ちゃんと理解はできない。
でも、なんとなく、自分が間違っているような、大切なものを見逃しているような、焦りとも不安ともつかないやるせさがぼくの胸に残っていた。
そして、複雑な感情の残り香だけが、ぼくの空虚な部屋に漂っていた。
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