第14話・小惑星帯
「アステロイドベルトへ向かっているそうです」
船長室からうなだれて戻ってきたぼくはそのままラウンジのソファにうずくまっていた。
背後からささやくような声がして、振り返るとそこにエルフがいた。
いや、エルフに見間違うかと思うほど白くか細い女の子、サオリだ。
「え、小惑星帯に?」
サオリは小さくうなずく。
「はい、いちおう念のために、連合の船に見つかっていますからね。無数にある小惑星のどこかにしばらく隠れるんです」
なるほど、コバンザメみたいに小惑星にくっついてたら見つけづらくなるって理屈かな。
そうやって臨機応変に追跡をかわしながらこの船はここまで生き延びてきたんだろう。
ふと、サオリとは、ホログラフィックの一件以来ほとんど言葉を交わしていないことに気づく。だけど食事の時などに頻繁に視線を感じてはいた。
「あの、記憶は、戻りそうですか?」
サオリの声はもともと小さくてか細くて聞き取りづらいのだけど、いっそう小さな声でサオリは聞く。相変わらずぼくのほうは見てくれない。
「ああ、いや、それがさっぱり、戻りそうな気配もないよ」
「そうですか…」
珍しいことに、サオリはふわっとしたランジェリーじみたワンピースを着ている。
ヒラヒラというかスケスケというか、それでぼくはサオリをエルフかと思ってしまったのだ。
でも、いつものスエットより全然似合ってるな。
「記憶が無いってどんなかんじですか?」
サオリは相変わらず下を向いたまま聞く。
「んー、どんなかんじって…何も憶えてないっていうか…」
などと当たり前過ぎることしか答えられないぼくの言葉を遮るようにサオリが言う。
「わたし、憧れるんです。記憶が無いってことに。だってそしたら、いまここから全てが始められる」
確かにそうだ、いまのぼくにとって全てはこの船に乗り込んだところから始まっている。
でもそれはそれで苦しいところもあるのだ。失われた記憶のなかに、なにかとても大切なものを置いてきてしまっている気がして、それを思うと居ても立ってもいられないくらい気持ちが右往左往してしまう。
「わからないでもないけど、実際失うとめんどくさいもんだよ」
そうは言いながらも、なんとなくサオリの気持ちがわかる気もする。
船長からクギを刺されたあとだけに余計に。
だからそれ以上ぼくは口を挟まない。
サオリは記憶を煩わしいと思っている。その気持はぼくがどんなに頭を働かせて考えたところで到底理解はできないものなのだ。
ぼくに出来るのは、サオリを励ますことぐらい。
何か言葉をかけなくてはと、サオリを振り返ろうとしたその瞬間。
サオリがぼくに近づく。
ぼくのとなりに座る。
肩が触れる。
アッシュグレーの長い髪がぼくの首筋を撫でる。
そのままサオリは頭を傾けてぼくの肩に載せる。
サオリの細くて、触れたら壊れてしまいそうなカラダが、ぼくのカラダに寄り添う。
「落ち着く…」
サオリは小さくそう言うと、固く握りしめたぼくの手にその白い手のひらを重ねた。
「ごめんなさい…」
そう言うとサオリは目を閉じた。
船内の照明が一斉にブルーに変わる。
特定の危険を回避しつつ、慎重に航行しなくてはならない場合に灯る色だ。
船は小惑星帯に突入したようだ。
小惑星帯といえども、狭い空間に小惑星がびっしりと密集しているというわけでもない。
船が一隻通るぐらいはなんでもない空間はちゃんとある。
それでも時おり、小惑星たちは衝突しカタチを変えたり、場合によっては衝突してひとつになったりして不安定な要素もあるため、航行にはそれなりの慎重さが求められるのだろう。
あるいは、この船と同じように、何かから逃れている船がどこかに潜んでいる可能性だってあるのだ。
ふと、サオリを見やると、サオリの白い胸元に汗が光っている。
やがて汗は雫となって、なだらかな曲線を辿ってサオリの胸のなかに落ちていく。
青い光を受けたサオリの肌はまるで透き通っているかのように見えた。
おもむろにサオリは目を開き、顔をあげ、ぼくのくちびるにそのくちびるを押し付けた。
仰天したぼくはカラダを硬直させたまま、なすがまま。
長い時間そうして硬直していた。
サオリはくちびるを離し、「ずっとみてた、あなたが拾われたときから」
そう言うとスッと身を引く。
そして再び「ごめんなさい」と囁くと青い光の中を走り去って行った。
ふわりと舞い降りた妖精は、ぼくを止まり木にし、そのうえなにか魔法のようなものを残して、ふわりと去っていった。
なんだろうこのかんじ。
それをぼくが理解する間もないまま、船内の照明は緊急事態を示す赤に切り替った。
そして耳障りなサイレンと共に船内に船長の声が流れ始める。
「総員ブリッジに集合。敵襲だ」
サイレンが鳴り響く船内を、ぼくはブリッジに向かって走り始めた。
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