第10話・宙を舞うバスタオルと緩やかなメロディ
そして今日もぼくは居住スペースの廊下を丹念に清掃している。
いい加減、そろそろ飽きてきた。…のだけどそんなことはおくびにも出さず、ぼくはせっせと働いた。なにしろぼくは居候。少なくとも、ぼくを置いておくことで船が綺麗になるのなら、拾ってよかったかもと思ってもらえるのではないか、という都合のいい考えもありつつ。
でも、なにか船員ぽいこともさせてもらえたらなぁ。
そして、この船の一員として認められ、晴れてリナと結ばれたりして、皆に祝福されつつ幸せな航海の日々を送る…
そろそろ終わりにしようかと一息ついたその時。
白くてヒラヒラした何かがぼくの前を、ふわりと通り過ぎた。
目線をあげるとそこには…
白いバスタオルに包まれた褐色の脚…ネイビーブルーの原始的な文様に包まれたそれ。 おそるおそる視線を上へ…そこには
殺意に満ちた瞳でぼくを睨みつけるあの女、メカニックのザジ。
顔を合わせるたびに視線でぼくを殺そうとするその圧力。
怖じ気づいたぼくはいままで一度も彼女と言葉を交わしたことがない。
そして今、ザジは鋭くてまっすぐな視線をぼくに突きつけたまま、無言で立ち尽くしている。
白いバスタオル一枚だけの姿、ゆえにいつもより引き立つ褐色の肌と美しいトライバル模様。いつもは恐ろしいと感じていたそれだけど、なんだか今日はすごく繊細で美しいものに見える。金髪のショートカットがすごく似合っていたし、まるで彫像のようだなと見惚れてしまいそうになる。
呆けたような顔で見つめるぼくを、ザジは冷たく突き放すような視線で睨み返す。
「掃除だけで満足か?」
ザジが喋った…?
「そうやって従順なフリをして、お前は機を狙っているのだろう。何を狙っているのかは知らないが…」
は…?
「おれは騙されない。おまえが本性を現すまで、お前からは目を離さない」
それだけ言うとザジはくるりと踵を返し、スタスタと歩み去っていく。
背中に彫られた幾何学的な文様がぼくを睨みつけている。
やはりぼくは疑われているのだ。
しかし、何故そこまで疑う…
と、そこへ甲高い声を発し、背後から突如現れたルルがこともあろうにザジ目がけて疾風の如く駆け寄っていく。
「ザジっ!!!バスタオルで歩き回るの禁止だよっ」
ルルは怒涛のような勢いでザジの背後から抱きついた。
刹那、ぼくは自分の目を疑った。
はらりと宙を舞う白いバスタオル。
勢い余ってバスタオルを引き剥がし、バスタオルを握りしめたまま廊下に倒れ込むルルの姿。
一糸まとわぬ姿のザジは、背を向けたまま微動だにせず。
凍りついたように時が止まる。
ザジの後ろ姿はまるで彫刻のように均整がとれていて、なだらかな曲線が美しかった。
まるでアスリートのように引き締まった筋肉質の後ろ姿。
その背中には古代アステカ文明を偲ばせるような複雑な文様が描かれていたが、その中央には周囲とそぐわないやけに生真面目はフォントづかいの文字が刻まれていた。
M.P.T.0.3.22.
意味はわからないが、なにかとんでもなく見てはいけないもの見てしまった気がしてぼくはあわてて目をそらした。
そして、あらためて横目で恐る恐る覗き見る。
白いバスタオルと泣きべそ顔のルルを残し、ザジは姿を消していた。
展望ラウンジにふたりで座り、ぼくはルルを慰めている。
「勢い良すぎたね…次からはもう少し抑えて飛び込もうか」
「う…う…」
「怪我はない?」
「う…」
ルルはコクリとうなずく。
まるで妹を慰めてるみたいだな。
過去のぼくに妹がいたことがあるのかはわからない。
だけど不思議とルルにはいつもそんな気持ちで接している気がする。
さて、何を話せばよいのやら。
きっとルルはザジに恥ずかしい思いをさせてしまったことを後悔している。
それともあとでザジにこっぴどくキレられるのが怖いだけなのか。
とにかくここは兄として、ルルの沈んだきもちをなんとかしてやらなければ。
とりあえず矢継ぎ早に質問をするのだ。
「ルルもこの船に拾われたんだよね?」
「ルルはどこにいたの?船?」
ルルはうつむいたまま答える。
「憶えてないの…」
「あ、それはお兄ちゃんといっしょだね」
「そうなの、でも見つけてくれたのはザジなの」
見つけてくれた?ってことはルルはどこかに隠れていたのか、それとも何かに埋もれていたのか、とにかく普通の状況ではなかったのだろう。だとするとルルは、この小さい体に大きな重荷を背負い込んでいるに違いない。
本来であれば、同年代の女の子たちと輝くような青春を謳歌しているべき年頃のはず。それがこんな閉鎖された、しかもよりによって海賊船なんかに乗せられて、きっと窮屈な思いをしているはずだし、年上の乗組員たちに気を使ってる部分だってきっとあるはずだ。
彼女なりに。
「ルルは偉いな」
ぼくがそう呟くと、ルルは顔を上げた。
「えらい?」
「うん、えらい」
突如ルルは椅子の上に立ち上がり、腰に手をあて、胸をそらし…
「わたしはえらいのだ、ガッハッハ」
と、叫んだかと思うと、ぼくを見下ろしこう言った。
「歌、すき?」
自由奔放キャラ特有の強引さ。
「わたしは歌がすごくすき。歌ってもいい?」
と聞いたかと思うと、ぼくの答えを待たずに歌い出す。
おのれをしらぬこまどりよ
とどまる木々はいずこにか
ふく風をたよりにするならば
はてにみえるはふるさとか
緩やかなメロディの静かな歌だ。
吸い込まれそうな、心地のよい旋律。
とても短い歌だけど、目の前に大きな風景が見えた。
木々に覆われた壮大な森のような。
「いつも誰かが歌ってくれてたの」
「そっか、やさしい歌だね。歌ってくれたのはお母さんなのかな」
「わかんない…おぼえてない…」
ルルは椅子に座りなおして自分の膝を見つめる。
「わたし、歌手になりたいな」
なれるよ、がんばれ、って言ってあげたかったけど、いまそれを言うのはためらわれた。
だからといって、じゃあ、なんて言ってあげればいいのか、ぼくにはわからない。
膝を見つめるルルの背中はとても寂しかった。
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