第2章 誘惑と覚醒

第9話・ふたりきりの時間とぼくの苦悩

 リナの回復は思ったより早く、あれから1週間経った今、彼女は元気に働き始めている。

 目の周りには大きな痣が出来ていたけど。

 そして、元気になったリナと、ぼくはいろんな話をした。

 リナとぼくがいるこの展望ラウンジは、大きな窓から宇宙を眺めながら寛ぐことができる、乗組員たちの憩いの場的なスペースだ。

 ここがぼくらのお気に入りの場所。

「あの時のことはあまり憶えてないの…」

 巨漢を足技で沈めたあのバトルのことだ。

「うん、あの時のリナはまるで違う人みたいだった」

 リナは俯いたままつぶやく。

「怖い?」

「え、なにが?リナのこと?」

「そう、わたしあんなに悪態をついて、あんなことをして…」

 確かに、あの時のリナはそれはそれは恐ろしかった。

 でも、それと同時にカッコよくもあった。

 何も出来ずにただ転がされていた自分がとにかく恥ずかしい。

 それを伝えるとリナは、ほっとしたように微笑んだ。

「よかった。怖がられて避けられたりしたらどうしようって…」

 ふと気づくと、いつもより隣に座るリナの距離が近かった。

 ひそやかではあるけど爽やかな柑橘系の香りがする。

 リナの肩がぼくの肩に軽く触れている。

 にわかにぼくの動悸が激しくなる。

 そのまま、時が止まったかのようにどちらも身じろぎもせず、ただ窓の外の宇宙を眺め続けた。

 小さな声でリナが呟いた。

 「わたし、みんなに一目おかれるような立派なエンジニアになりたいの…特に船長には…ちゃんと認められたい」

 今回の事件でおそらくリナは、負い目を感じているのだろう。リナの設定した障壁システムが時代遅れだったばっかりに、敵にむざむざと乗艦を許す羽目になってしまった。

 船長に睨みつけられ縮こまっているリナの姿。

「それが簡単なことじゃないのはわかってるの。もっと学ばなきゃいけないことも多いし、あるものをあるがままに使ったところで、そんなもの簡単に破られてしまう…」

 リナは窓の外の宇宙をみつめているようでいて、じつは今、自分の内側を見つめているのだろう。

 なにか言ってあげきゃ。なんでもいい。ひとりで背負い込むより、ふたりのほうがきっと楽だ。

「ぼくにはよくわからないことだらけだし、ぼくはこの船に居候してる部外者だから、あまり偉そうなことは言えないけど、頑張るしか無いし、きっとうまいやり方が見つかるよ。それに結局リナがいなかったら、あのままみんな捕まって一巻の終わりだった…」

 宇宙をみつめるリナの横顔は微動だにしない。

 そして時だけが過ぎていく。

 そうやって硬直したまま時間の感覚を失いかけた頃。

 リナはやっと聞き取れるくらいの小さな声で呟いた。

「このままあなたの記憶が戻らなかったらいいのに…」

 そしてリナは立ち上がり、爽やかな香りを残して歩み去って行った。


 兎にも角にも、ぼくの日常は清掃に始まり清掃に終わる。

 自分の船室はもちろん、食堂、ラウンジ、居住スペースの廊下からシャワールームやトイレまで。ぼくがこの船に居続ける限り、命じられた清掃を手を抜かずにやり続けるしかない。というわけで、今日もせっせとシャワールームの掃除に精を出す。

 そういえば、シャワールームを掃除しているときに、下着姿のサオリが突然入ってきてしまったことがあった。

 サオリはぼくに気づくと声も出せずに座り込み、そのまま壊れた人形みたいに動かなくなってしまった。

 なんというかすごく線が細い印象だったけど、意外と胸は豊かだった。

 ふとそんなことを考えている自分に嫌気が差したりもするのだけど、考えてみたら女ばかりの船に男がひとり、もうずいぶんそんな状況が続いているのだ。むしろ平静を保っているのが奇跡なんじゃないかと自分で自分を納得させる。

 そもそもあまり気にしないようにしてはいるけど、乗組員たちの格好がどう考えてもいろいろなものを掻き立てるようなものばかりなのだ。

 リナはよくデニムのミニスカートを履いているのだけど、そこから伸びる脚の眩しいことといったら、生まれたばかりの超新星並みだ。だいたい海賊がそんな格好でウロウロするものなのだろうか。海賊でなくとも船員としてどうなんだ。

  こんなことを気にしだしたらキリがないのかもしれないけど、もしかしたら、ぼくが過敏になってしまっているだけなのかもしれないけど、それはそれでうれしくもあるけど、だけどやっぱりつらいのだ。


 だからこそ、そんな時にリナとふたりで過ごす時間はやはり心地よい。

 余計なことを考えずにただ、リナのことだけをまっすぐに想う時間。

 それは未来への不安や恐れを一時とはいえ、忘れることの出来る貴重な時間なのだ。

 リナはドクターからぼくの世話を頼まれていたし、ぼくはリナの優しい笑顔が好きだ。

 リナと話をしていると不思議とリラックス出来たし、ぼくのなかにはリナのために何かしてあげたいという気持ちが芽生え始めてもいたのだ。

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