第8話・捕縛

 そして、あれよあれよという間に艦は掌握され、乗組員は捕縛されてしまった。

 それぞれが銃を持ち虚しい抵抗を試みたが、いかんせん敵の数が多すぎる。

 驚くほどあっけなく船長以下乗組員たちは拘束されブリッジに集められ敵艦船長アブラハムの到着を待たされている。

 ぼくはというと、当然のことながら拘束されてブリッジの隅に転がされている。

 これからどう扱われるのかはわからないが、快適さは望めなさそうだし、記憶がなく、身分も明らかではないぼくのような存在がどんな運命を辿らされるのか、容易に想像ができる。

 乗組員たちは皆怒りを湛えた表情でブリッジの床を見つめている。

 ルルのことが心配だったが、どうやらルルはどこかに隠されているのか、その姿は見えない。

 船長だけが毅然と正面を向いて背筋を伸ばして、乗組員たちを監視する敵船員を睨みつけている。

 やがて、ブリッジのドアが開き、重々しい足音が響き渡る。

 優に150キロ以上はありそうな巨漢が悠々と船長の眼前に向かって歩を進め、船長の前に屈み込み船長の顔を覗き込む。

「アブラハム…」

「相変わらずの美しさだな。アナスタシア。なにか特別な処置でも施しているのか?」

 敵艦船長アブラハム。かなりの年配の巨漢。立派なヒゲを蓄え、幾重にも走る深い皺が戦いの年月を物語るような迫力のある風貌の男。

「大きなお世話だよ。アブラハム。そっちこそ、だいぶ老け込んだようだな。まぁ連合に魂を売り渡した時点で、もはやお前は戦士でも海賊でもないがな」

 アブラハムは大儀そうに立ち上がり、拘束され集められた乗組員たちを順に眺める。

「揃いも揃って美形ばかりだな。実に勿体無い。お前たちが海賊になった経緯をおれは知らんが…実に勿体無い」

 船長が俯きながら呟く。

「あんたは連合に雄々しく立ち向かった海賊として名を馳せた。わたしはそんなお前たちに一目置いていたんだ。商売敵ではあったがな」

「仕方がないんだ。連合の勢力はいまや地球圏を脅かすほどなのだ」

「チッ、そんな連合がなぜわたしたちを捕らえたがる?確かに連合の船を襲いはしたが、やつらにとっては蚊に刺されたようなものだろう」 

「そんなことまではわたしは知らん。わたしは乗組員達のためにやるべきことをやるだけだ」

 アブラハムは我々を取り囲んでいる船員たちに顎で指図を送る。

 敵乗組員たちは我々を立たせて連れ出そうと動き出した。

 終わりだ。このまま連れ去られて一巻の終わりだ。

 やはりこの人数の、しかも女性が海賊だなんて…

「アホくさ…やるべきことはもっと他にあるだろう」

 リナだ。しかしいつものリナの声とは違う。

 リナは拘束されたまま立ち上がり、うなだれたまま言葉を続ける。

「お前たちには魂がない。たとえかつて尊敬を集めていた偉大な海賊であったとしても、魂を失ったお前たちはいまや虫けら以下だ」

 それを聞いた敵乗組員たちが色めき立つのが手に取るように感じられた。

「卑しい連合の下僕たちよ、お前たちは連合の残飯にたかるウジ虫をありがたくいただくウジ虫以下の下等な生物に成り下がった。わたしでも簡単に捻り潰せる」

 アブラハムの顔色が変わっていた。さっきまでの余裕に溢れた表情は消え失せ、怒りに蒼褪めている。

「生きたまま捕縛せよと言われてはいるが…ひとりやふたりは死体になっても連合は文句を言うまいな」

「ああ、そうやってこれから一生、連合の顔色を伺って生きていくがいい。下等な生物にお似合いの生き方だ。自分で考えることを放棄した命じられるままに動く操り人形として」

 リナは相変わらず俯いたまま、長い髪に覆われたその表情は伺いしれない。

 それがあの優しいリナの姿だとはとても思えなかった。

 リナはユラユラと幽鬼のように立ち尽くし、呪いの言葉を吐き続けている。

「虫けらを捻り潰すのは造作でもない。かかってくるか?」

 アブラハムはリナを見据え腕を組み何かを考えていたがおもむろに口を開いた。

「その減らず口を塞いでおかないとな。道中気が滅入るだろう。おい、羊をここへ呼べ」

 現れたのは2メートルを軽く超える巨人。およそ人間とは思えない強靭そうな肉体を備えたモンスターのような男だ。全身に無数の傷をたずさえ、隆起する筋肉をそれが縦断している。

「こいつのことは聞いたことがあるだろう。いまや伝説だからな。わたしの命令ひとつで何百人もの命を奪ってきた、こいつがその羊だ」

 羊と呼ばれたその男はゆっくりと振り返る。

 顔半分がごっそりと抉れて赤黒くテラテラと輝いている。

 大きく見開かれた目がランランと赤黒い肉の狭間で妖しい光を湛えている。

 リナは何を考えているのか、それでもユラユラと揺れながら立ち尽くしている。

「そこの減らず口のお前。美しい女を壊してしまうのは心苦しいし勿体ないのだが、この羊と手合わせを願えるか」

 それを聞いてぼくは心底震え上がった。駄目だ、リナは殺されてしまう。

「いいだろう。もしわたしがそいつに勝ったら、我々を解放してもらう」

 アブラハムの嘲笑がブリッジに響き渡る。

「ガッハッハッ、まじか?そいつは傑作だ。言っておくが羊は一切手加減しないぞ、おまえを引き裂いてバラバラにするまで闘うぞ。勿体無いがな」

 船長や他の乗組員たちは俯いたままだ。何をしてるんだ。リナを止めないのか。ぼくが声をあげようとしたその刹那。

「いいだろう。かかってこい」

 リナがゆらりと体を翻す。

 垣間見える表情は完全な無。

 羊が岩のような拳を振り上げる。

 リナの瞳が妖しく蒼く光る。

 音を立てて羊の拳がリナに襲いかかる。

 ガツンと大きな音がしてリナの細い体が弾け飛んだ。

 そのままブリッジの壁に叩きつけられる。

 追い打ちをかけようと羊はリナに詰め寄る。

 殺される…

 そう思って目を閉じた時、柔らかいものを鈍器で殴りつけたような鈍い音が響き渡る。  

 恐る恐る目を開けると、羊が膝をついている。

 その眼前に脚をあげたまま立っているリナ。

 「虫けらは虫けららしく叩き潰されてろ」

 そう呟いたリナの脚が垂直に蹴り上げられ、羊の後頭部に振り下ろされる。

 音もなく声もなくブリッジの鋼鉄の床に大の字になる羊。

 やがて羊の体の下を真っ赤な血液が拡がり始める。

 リナはくるりと振り返り、ぼくには背中を向けたまま、大きく肩で息をしている。

 

 全員が拘束を解かれ、海賊たちは小型艇に乗り込み去っていく。

 去り際にアブラハムは言った。

「お前たちがどこを目指してるのかは知らんが、連合の追撃はさらに激しくなっていくだろう。それだけは覚悟しておけ」

「お前はどうするんだ。みすみす私たちを逃しては連合に顔が立つまい」

「さあな、なるようになる。それにしてもあの女、何者だ。特殊部隊あがりか何かか?生かさず殺さず、あの巨体を弄んでくれたな」

「それはわたしも知らないのだ。それよりあのバケモノのメンタルを心配してやれ。小娘に半殺しにされたのだからな」

「ふん、大きなお世話だ。また会うことがあるかどうかはわからんが、そのときは真っ先にあの小娘を無力化してやる」


 敵船シルバーホーク号は静かに我々の眼前から去っていく。

 船長の船室の秘密部屋に閉じ込められていたルルは不満たらたら。

 リナは直後に倒れ込み寝込んだまま。

 羊の一発が相当堪えているらしい。

 我々の船に平穏な日々が戻る。

 しかし、ぼくは知ってしまった。

 強大な力を持つ植民惑星連合がぼくらの船を追っている。

 次は逃れられないかもしれない。

 大きな不安と共に、航海は続くのだ。


~第2章へ続く~

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