あなたはどちら



 学校へ行かなくなった。首の痣を見られたくないというのもあるけど、第一にリンと会うのが気まずかったからだ。両親も私の乱れっぷりを見て心労と判断したのだろう、快く許してくれた。ただクラスメートと痴話喧嘩で不登校になったとも言えず、親を騙しているような申し訳のない気持ちでただ自責の念に駆られていた。

 あれから夜の街を徘徊することはなくなった、というよりも両親がそれを許さなくなったという方が正確なのだろうか。夜になると両親がそわそわしてその両親の様子を見ていると私は心配をかけているという申し訳なさから家を出ることもできなかった。


 部屋に建てつけられた窓から夜空を眺めるといつの間にか、リンのことを思い浮かべるようになっていた。都会の夜空はクラゲに似ている。携帯のSNSアプリを開いて、未だ会話のない青い背景しかないトーク欄を見つめていた。


 海月と深海魚。あなたはどっち。


 クラゲはふわふわと浮いていて、いつしかあたりを照らしている。いつの間にか深海にいる私のことすらも照らしてくれて、私はそれが羨ましくていつかそこへと向かえたらと何度も思っている。

 私は深海魚。あなたはクラゲ。

 あぁ、だけれども。

 もしかすると、あなたはクラゲではなくて深海に沈む深海魚なのかもしれません。もしかするとあなたにとって私はクラゲであるかもしれない。私はそれが嬉しくて、とてもとても嬉しくて、そうして切なく思ってしまうのかもしれない。

 私の光はあまりにも弱すぎる。もしかすると弱すぎてあなたを照らしきれないかもしれない、深海にいるあなたを惑わせるほどの光を私は持っていない。

 私はクラゲ。あなたは深海魚。


 さて、どっちなのかしら。


『海月と深海魚。あなたはどっち』


 そこまで打ってキーボードの上で走らせていた指を止めた。やっぱりやめよう、一方的にフッた相手にそこまで未練タラタラなのもおかしいことだ。彼女からしてもとても迷惑かもしれない。

 そう思ってデリートボタンに指を置こうとした時。ポン、と軽快な音が携帯から発せられた。誤爆してしまったのかと思い、焦るがそれもトーク欄を見て強風で吹き飛ばされてしまった。


『会いたい』


 それは私のところから出た吹き出しではなく、反対側から出た吹き出し。横たわっていたベッドから跳ね起き、外出する準備を私の意思とは関係なしに行っていた。バタバタと急いで準備をしていたため、不審に思った両親が私の部屋に入ってきた。


「ごめん、これで最後だから」


 私がそう告げると、両親は何か反論したそうにしていたが切迫した状況を理解したのだろう、渋々ながら承諾してくれた。


 家を飛び出して。

 ただただ走って。

『会いたい』の文字だけを追っかけて。


 彼女が会いたがっている場所なんてわからない。私がわかるわけもない。

 だけれども、あそこしかないのではないか。


 私がクラゲを見つめていた場所、知らない人の群れと知りたくもない欲望の波に押しつぶされそうになって必死に私が夜空を見上げて、クラゲのようだと思った場所。あなたが私のことを見つけてくれた場所。私の気持ちを見抜いてくれた場所。


 結局のところ、私は私のことを好きにはなれない。ただただ自己嫌悪に駆られ、ただ反省と後悔に身を削られながら足元の頼りない社会を一本綱で生きている生き物だ。普通だから特別に憧れて、そうやって道を踏み外して後悔して息が詰まりそうなほどに泣き叫んでいる生き物だ。そうして泣き叫んでいる自分のことすら私は嫌悪している。私は永久に私を好きになれやしない。


 だから私はあなたのことも好きになれない。好きではない。あなたはあまりにも私に似過ぎている。だからこそ、あなたも私のことを好きではないはずだ。きっとこの気持ちは恋ではない。

 恋ではないと思わなければ、私の胸は罪悪感で押しつぶされていつしか息もできなくなってしまう。そうやって泣き叫んで、誰かに助けを求めることしかできなくなる。きっとあなたに縋り付きたくなる。


 結局、私たちは誰かの特別になりたいだけなんだ。私が特別だと思える人の特別に思って欲しいだけのただの女子高生なんだ。

 そして、きっと私たちはそんなことを思っている私たちのことさえ嫌いになるのだろう。


 知らない人の波、知りたくもない欲望の匂い、甘い香水の匂いと頭が痛くなるほどに香る色香。そんなゴミ溜めのような世界の中であなたは夜空を見上げて立っていた。

 世界が乖離していく。音が不協和音へと変わる。世界は全てスローモーションに見えて、全てが他人行儀に進んでいく。彼女が怪しげに笑っている。


 答えは直接聞いた方がいいのだと、両親から教えてもらった。


 だから私はあの問いを問おう。答えなんて分かりはしない、もしかすると私の中でもわかっているのかもしれないが、わからないふりをしておこう。私が口を開く瞬間、彼女も口を開いているのがわかった。もしかすると彼女の邪魔をしてしまうのかもしれないと考えたが、気道からせり上がった言葉は止まらない。


 それにきっと。


 きっとあなたも同じことを聞いてくれるから。





「「海月と深海魚、あなたはどちら」」

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