目をそらして泣いている



 人は失ってその価値を抱きしめるのだと、父に教えてもらった気がする。


 下腹部を無造作に突く男性器と、その持ち主の荒くなった息を間近に感じながら彼がより興奮するために作った喘ぎ声を出しておく。そうすると男性は喜ぶのだとわかっているから。


「何惚けちゃってんのぉ、キョウコちゃーん」


 綺麗に染められた金髪と、鍛えたのだろう逞しく浮き出た筋肉の持ち主のチャラ男がそう言っていた。その問いに答えようとも考えず「ううん、なんでもない」とだけ言っておく。


 内臓が全て取られてしまったかのように体が軽かった。その代わりに今まで感じたことのない疼きが胸の中に蔓延っていて、とても気持ちが悪い。胸の奥がとても寒かった、何か頼りを無くしたかのように不安定で、小石が地面に落ちていればつまづいて転んでしまうほどに心もとなく、とても虚無に等しいものだった。だから私はこの瞬間だけ、私を特別だと思ってくれる人に全てを捧げる。


 下腹部を突く男性器が気持ち悪かった。


「ねぇ、試してみたいことがあるんだけどさ」

「なぁに?」


 目の前の瞳が怪しく光ったのを視認できた。人間の嫌な予感というものは大体当たるのだと母が言っていたのを思い出した。


 私の首を大きな両手が軽く包み込んだ。

 恐怖が滲んだ。


 瞬間、私の首を握りつぶすかのようにして男性の大きな手が力を込めてめり込んで来る。気道が狭まり、息ができなくなる。喘ぐように息をしようとするがそれも叶わずただ掠れた吐息が必死に口から逃げていった。やがて酷く唸るような頭痛がして、視界が狭まりチカチカと蛍光灯が点滅するかのように視界が点滅していく。逃げようと足をもがいても男性の力には勝てないし、首から手を引き剥がそうとしても力が入らず、ただ無力に引っ掻くだけだった。その暗闇に紛れ込むかのように男性の唸るような喘ぎ声が聞こえてきて、恐怖に震える。


 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。


 チカチカと点滅する視界が、深海に光るクラゲのようにも見えて思わずリンのことを思い出していた。ごめんなさい、ごめんなさいとただ謝るだけだった彼女を眺めるだけだった私を強く嫌悪して、また胸の奥が疼くのを感じた。


 ごめんなさいは私の方なのに。


「あぁ、やっべ、気持ちいいわぁ」


 男性のそんな声がして、意識がどこか遠くへ放り投げられるような、無造作においていかれるような感覚がして、途絶えて行くのを感じた。


 気がつけば夜は明けていて、ホテルから私が家に帰ると、朝帰りの私と首に残っている痣を見比べながら両親がかつてないほどに叱ってくれた。そのことに私が必要とされていると感じてしまって、高校生になって初めて大声で泣いた。両親はただただ泣きじゃくる私のことを受け止めてくれた。




 私はただ、胸の奥にポッカリと開いた穴から目を逸らして泣いているだけだった。


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