ある男の信仰 ~三河一向一揆勃発~
大坂本願寺。
法衣を着た若い僧が、茶を点てている。
シャシャシャシャ……
シャ……
茶筅の繊細な動きに、泡立つほどに翻弄されていた緑の水面は、ゆっくり弧を描いて止まった穂先が水面を離れると、落ち着きを取り戻し緩やかに揺れてから静謐を湛えた。
僧はするりと茶碗を持ち上げ、その静かな水面を騒がせぬよう、そっと向かいに座る老僧の前に置く。
老僧は茶碗を皺の刻まれた両の手で包み、慣れた手付きで持ち上げ、作法通りに飲み干した。
「お若いのに、良い茶をお点てになりますな」
「恐れ入ります」
若僧は、薄く笑んだ。
老僧は、開け放たれている飾り障子の外に目をやった。
「さて、今頃は各地で面白き講が行われておるとか。真、顕如殿はお若いのに壮大な計を謀られる事よ」
若い僧は、大坂本願寺の主であり宗主として本願寺派の頂点に立つ顕如であった。
顕如は、老僧姿の三次日向守長逸に真面目な顔で返す。
「我々の講は、御仏の御名をただ一心に念ずるのみ。その有り難き御仏のご威光で、悪魔の手先共は封じられる事でしょう。織田弾正忠殿も、伊勢の地でお倒れになるやもしれませぬな」
「越後の大悪魔は、如何なさるおつもりじゃ?」
「手先の悪魔が封じられ、少数の手勢で伊勢に参りましょうな。主亡き後、その座を狙うなら、主を助けに行くと見せかけねば、見殺しにしたと織田譜代の家臣の懐柔が難しくなりましょう」
「そうして、伊勢に来た所を囲い込んで、討つ……。うまくいけばよいが、あれは不死身と聞く」
長逸が白髭を撫でながら、目線を顕如に移した。
顕如は、「馬鹿な話に御座りますな」と鼻で笑う。
「この世に滅せぬもののあるべきか。釈尊とて、入滅は免れなかったというのに、あれは第六天魔王の化身とはいえ、人間でしょう。ならば、槍で突き、首を切り落としても生きていられるか、確かめてみましょうや?」
「それは是非、確かめてみたいものじゃ」
くつくつと、僧達が笑い合う。
血生臭さの染み付いた坊主共の忍び笑い。
かくして、柴田勝家調伏の計は、実行されたのである。
その時、三河は岡崎城では、突然の知らせに、松平家康が手の小刀で思わず彫っていた人形の耳を削いでいた。
「えろ母様の知らせ通り、一向一揆が起こったか!」
「はっ、碧海郡野寺村の本證寺住職、空誓なる者が『えろに与する者を調伏せよ』と煽動し、本宗寺や他の本願寺派の寺や門徒共が一揆を起こし申した!さらに、門徒の家中の方々も、一揆に加わった者がおられる由に御座いまする!」
「家中の!?誰じゃ、その不忠者はあっ!?」
傍で自身も四苦八苦しながら人形を彫っていた家康小姓の本多忠勝が、何故か土偶そっくりになってしまった自作を怒りの余り、叩き折った。
「馬鹿力か、平八よ」
「黙れっ、お亀!」
忠勝は、土偶の成れの果てを、小姓仲間の榊原康政に投げつけたが、康政はひょいひょいと避けた。
この二人、同い年だけあって、仲良しなのだ。
忠勝は腕っぷしの強い男気キャラ。康政は、逆に人を使う事に長けており、『於亀』などと女のように呼ばれる頭脳派優男キャラ。
この対象的な少年達の睦まじさを陰から見守る岡崎城の腐女中達は、忠×康派か康×忠派かで分かれており、仁義なき戦いを繰り広げているという。
そんな事は、どうでもいい。
先ほど一向一揆勃発の残念なお知らせをもたらした侍は、忠勝への答えを主君家康に返した。
「石川康正様、酒井忠尚様、夏目吉信様、大津半右衛門様、乙部八兵衛様、久留正勝様などの名が挙がっておりまする!」
酒井忠次が声を上げる。
「何っ、叔父上が!?」
家康も、次々と挙がった家臣等の名前に、驚愕を隠せない。
「石川じゃと……?与七郎の父親か!まさか、与七郎まで!?」
わなわなと震える家康に、大久保忠世が声をかける。
「落ち着け、殿!与七郎なら、今朝、自分の彫った着衣人形を庭石の上に立てて、這いつくばったまま、様々な角度からイヤらしい目で眺め回しておったぞ!」
「えろか!ならば、安心じゃな!」
そんな男のどこが、安心なのか。
そこへ、別の侍が駆け込んで来た。
「殿!桜井松平家、大草松平家、さらに吉良氏や荒川氏も兵を挙げ申した!!」
「何!?」
「一揆に合わせて、敵対する者達を同調させたのか!」
家康と家臣団に衝撃が走る。
だが、それを黙って聞いていたある男が立ち上がった。
「えろの敵はわしの敵……。えろの教えは、わしが守る……!」
「おおっ、『えろの守り刀』が動くか!」
頼もしそうに家康が見上げたその男は、本多正信。
現在は、『えろ門徒』にして、『えろの教えをこよなく愛し守る』と評判の男だが、元はガチガチの門徒である。本来なら、真っ先にこの一向一揆に参加していてもおかしくない男であった。
そんな彼が、何故えろ門徒となったのか。
それは、正信が以前、信長と家康が『岐阜同盟』を為した際に遡る。
主君家康に伴われ、岐阜城にやって来た正信は、悩んでいた。
彼は本願寺派の門徒である。
だが、主君はえろに傾倒し、えろの良さを家臣達に語るようになった。
別にえろ教に入れと言われたわけではない。
しかし、えろは主君の帰依する宗教であり、同盟国の織田家が保護している。それも、えろ神とされるのが、織田家家中の柴田勝家。
彼は、御仏の知識を持つのだ。実際柴田勝家は、その知識をもって領内を富ませ、昨今はえろ使徒が三河でも知識を披露して、己れの領のために尽くしてくれている。
それを考えれば、えろに帰依し、これから伸びるであろうえろ勢力に迎合しておくのも悪くはないと、正信は算盤を弾いていた。えろは宗教の掛け持ちを推奨しているので、門徒でありながら、えろとなるのも問題はない。
しかし、一仏帰依の門徒として、他の宗派も受け入れてよいのか。それに、着衣を着た女こそ良いという教えに、正信はピンと来なかった。別にわざわざ想像などせずとも、裸の女が目の前にいればよいではないか、と。
正信は、えろに帰依すべきか迷っていたのである。
そんな正信は、宴会場である男に出会った。
えろ教筆頭使徒、河村久五郎である。
正信は、久五郎に相談してみた。
「わしは門徒なのだが、えろの教えも良いなと思い始めたので御座る。しかし、一仏帰依の教えもある。えろは何故、掛け持ちを許すのか?」
久五郎は答えた。
「ある時、わしの元にえろに入信した若侍が訪ねて参った。彼はわしに尋ねた。『私は突っ込むのも突っ込まれるも好きなのです。私はどちらを選ぶべきなのか』と。わしは答え申した。『どちらも選べばよい。なんなら、突っ込みながら突っ込まれてはどうか?』と。若侍は目からウロコが落ちたような顔で帰り申した。そして、少し経って、若侍から文が届き申した」
「それには、何と?」
「『試したが、生まれきてよかった』と。えろも他の宗派も同じで御座る。何故良いものを一つに絞らなくてはならぬのか。神仏のような解脱した存在が、己れだけを信じろなどと狭量な事を言うだろうか。本多殿がどうしても一仏にこだわるなら、それでも良いでしょう。しかし、そうではないから、あなたはわしに相談したのではないかな?」
正信は、ハッとして久五郎を見た。久五郎の丸い目が、正信の眼の奥を見据えている。
この時点で、自分がほとんどえろ教掛け持ちの気持ちに傾いているのに、正信は気付いた。
だから、正信はえろ教徒になった時の不安を久五郎に聞いてもらいたくなったのだろう。正信は、自分のプライベートえろスタイルを告白した。
「私は、閨では女を裸のまま待たせるのが常なので……。着衣えろにこだわる理由がよくわからないのて御座る」
久五郎は微笑んだ。
「それに関しては、えろ大明神たるお師匠様のお言葉をお贈り致しましょう」
「そ、それは……?」
こくりと喉を上下する正信に、久五郎は告げた。
「『着衣えろ初心者は、裸足袋から始めよ』と」
「はだか、たび?裸に、足袋か?」
「左様。奥方の格好を足袋一丁にするのです。そうして、想像する。何故、足袋だけ履いているのか、この足袋姿でどうしてほしいか、と」
「何故って、そりゃ……」
「事実ではなく、自分の妄想ですぞ?足袋を脱がせないほど早急にしたかったとか、この足袋で踏んでほしいとか」
「……」
何を言ってるんだこいつ、と引き気味の正信に、久五郎はおだやかな笑みを浮かべて勧めた。
「足袋だけなら、ほとんど裸と変わりませぬ。一度試してみて下され」
「はあ……」
三河に戻った正信は、言われた通りに、室に足袋だけを履かせてみた。
すると、妙に足袋が気になる。
足袋があるから、裸の存在感が増す。
足袋にまつわる物語を想像してみた。すると、これまでとは違う世界が広がった。
正信は、着衣えろを理解した。
正信は、直ぐ様その気持ちの変化を久五郎に書いて送った。
それから、河村久五郎との文通が始まる。
正信は久五郎の指示を受け、積極的にその指示を己れの性生活に費やした。
段々、着衣の面積が広がっていく。
そして遂に、きちりと着込ませる所まで到達した。
その頃になると、正信はもう、押しも押されぬえろ門徒となっていた。
着衣えろは習得できた、と正信は満足していたが、久五郎からの届け物に目を見張る事となる。
『本多殿、まずは着衣えろ習得おめでとう御座る。
さて、ここで満足して、普通のえろ門徒として過ごすのも良いでしょう。
ですが、えろの道はまだ先があり申す。さらなる高みを目指しますか?
目指すならば、同封の着衣人形と新たな指示を記した別文を開けなされ』
同封された着衣人形は、つるつるに磨き込まれている。
その黒眼が、問いかける。別文を開けなくてよいのか、と。
正信は、迷う事なく別文を開いた。
『奥方の格好は奥方の好きなもので構いませぬ。
本多殿は、目隠しをして奥方の湯巻きでくつわをし、尻に着衣人形を……』
その日の夜、とうとう正信は、どこに出しても恥ずかしいほどに仕上がった。
話は、一向一揆の知らせの場面に戻る。
正信は立ち上がり、いつ、事が起きてもいいように用意していた兵力を集めた。
他の家臣達も、同様に一揆鎮圧の準備中であろう。
正信は、己れの家臣に加え、えろ門徒と各宗派のえろ教徒部隊を率いる。
二千のえろ達に、ふんどし頭巾姿の正信は吠えた。こやつ、既に使徒化していたのである。
「えろは、共存共栄!みだりに他宗派と争う事は禁じられている!だが、えろ大明神様は、万が一の時のお言葉をくだされた!!」
えろ達は、固唾を飲んで、正信の次の言葉を待つ。
正信は、宣言した。
「『正当防衛』じゃあ!!我々えろの平和を不当に脅かす者共に、『正当防衛』を降すっっ!!我々は、守るために反撃する!!!『正当防衛』の力を見せてやれえっっ!!!!」
「「「「「うおおおおおおおお!!!正当防衛!正当防衛!」」」」」
士気が異常に高い。
武士とえろで膨れ上がった兵力は、家康に率いられ一揆集団へと向かっていく。
その道中、さらにえろが増える。増える。増える。
一般のえろ教徒達が、使徒を通じてもたらされた『正当防衛』を合言葉に、鉈や鍬を持って集まってくるのだ。
皆、えろとえろの生み出した豊かさを守らんと集まってくる。
結果、一揆勢は、えろの波に呑み込まれた。
どうせなら知将になりたかったんだが @koutetu-no-zaru
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