第207話 周知の事実

あの後、笑窪御前が鼻血を吹いて倒れたおかげで、介抱のどさくさに紛れて、『伊達柴地獄』から逃れる事に成功した希美は、輝虎に芦名止々斎の受け入れ準備を頼み、紫には湯殿の準備をさせた。




おっさんにはむはむされた耳を、至急消毒したかったからである。




まあ、ついでに半身浴でもしながら、伊達と芦名をどうネゴシエイトするか、ゆっくり考えたかったのもある。






準備が出来るまで、東北の戦国大名の関係についておさらいしておこうと思い立った希美が、誰に聞こうか考えながら自室に向かって廊下を歩いていると、向こうから獣人がやって来るのに気付いた。


(なんだ、ただのケモミミか)


そう思って目を逸らしかけた希美は、きれいな二度見を決めた。




「越後に、猫耳おじさん出現だとぉ!!?」




(ケモミミが爆発的に流行ったのは、京の都でだったはず!?)


希美が愕然としていると、猫耳おじさんは希美の前までやってきて、声をかけてきた。


「おお、大殿。伊達家への応対は如何ですかにゃ?」


上杉家の懐刀。軍事も内政も、外交までこなすパーフェクトヒューマン。


上杉家の重臣直江景綱さん(55歳)が、まさかのご乱心である。


「あ、あわわ……」


「あわ?粟がどうか致しましたかにゃ?」


どうか致したのはお前だ。




「直江さん、なんでケモミミ!?語尾までケモノ化してるぞ!!」


「おお、気付いて下されたにゃ。実は、殿(輝虎)より、関白(近衛前久)様からの書状をいただきましてにゃ」


「へ?書状?近衛さんとお知り合いなの?」


「関白様は、三年ほど前に、越後に参られましてにゃあ。その時の饗応役を務めたのが、某で御座る。その際に、この田舎侍の饗したものを大層喜んでいただき、以降は殿への書状と共に、某にまで文を頂けるようになり申したにゃ」


「『にゃ』のインパクトが強すぎて、全然入ってこねえな……」


「此度も書状をいただいたのですが、なんと、今京で最も流行っているという『猫耳』を某にお送り下されたのですにゃ!つけて鏡を覗いてみると、これがにゃんともしっくりと……。どうせなら成りきらねば、と、猫の鳴き声も取り入れてみ申したにゃーん」


「……どうしよう。なんだか、可愛く思えてきた」


希美もご乱心である。




「流石に京文化は、雅ですにゃあ」


「それは、京文化でもなければ、雅とはほど遠い代物だぞ」


希美は頭が痛くなった。




だがここでパーフェクトキャットに出会えたのは、幸運であった。


彼なら、近隣武将のアレコレに関して詳しいはずだ。




「ちょうどいい。直江さん、ちょっと部屋に来てくれ」


直江景綱は、両手で胸を隠しながら後退った。


「い、いけませんにゃ!いくら某の猫姿が魅力的だからといって、大殿には殿がいらっしゃるではありませんにゃ!」


「ちょっと待て!突っ込み所しかない物言いはやめろ!」


「突っ込む……。某に突っ込もうというのにゃ!?」


「私はどちらかというと、【受】だあーー!!!」


希美が勢いでカミングアウトしてしまったのも仕方がない。




その後、なんとか誤解を解いた希美は、無事、部屋に猫耳おじさんを連れ込む事に成功した。


直江景綱(猫)は、居住まいを正して説明を始めた。




「では、伊達氏と芦名氏の領がある陸奥国についてお教えするにゃ。陸奥には多くの大名が領土を接しているにゃ。そもそも、伊達氏の中でも勢力が……」




猫の鳴き声がうるさいので、まとめてみたにゃ。




陸奥では、様々な勢力に分かれて争っているようにゃ。


しかも、婚姻関係が半端ない。さらに北の勢力まで含めると、もう、色々な大名が代々娘を嫁に出したり出されたりして、わけがわからない事になっているにゃ。


大体みんな、親戚!というわけにゃ。


だのに、何故争い合うのにゃ。


結局戦するのなら、何のために娘を嫁に出してるのか、意味がわからないにゃ。


戦国大名って、そういう所あるにゃー。


「俺ん家の娘嫁がせるから、お互い裏切り無しな!」とか言っておいて、平気で裏切るのなら、娘は嫁ぎ損ではないにゃ?


希美は、彦姫が少し心配ににゃったが、本人同士が好き合っているなら損にはにゃるまいと、思い直したにゃーん。




閑話休題……。ごほんっ。


とにもかくにも、伊達と芦名が婚姻同盟を結んだ事で、伊達晴宗と敵対する相馬氏と田村氏、そして二階堂氏がタッグを組んだのは間違いない。


さらに、伊達晴宗のお父さんも、相馬氏について息子の晴宗と敵対しているし、どうやら芦名と田村に挟まれ小さくなっていた『堕ちた名門』の二本松畠山氏も、相馬・田村連合に与している模様。




「なあ、直江さん。田村氏って"坂上田村麻呂"の子孫なんだろ?なんで、坂上氏じゃなくて、田村氏なんだ?変じゃね?」


「それ、伊達と芦名の仲裁に関係あるので御座るにゃ?」


「ごめん、無い」




直江景綱は、呆れを含んだ視線を希美に向けているが、猫耳のため「オマエモナー」状態である。






その時、紫の声が部屋の外から聞こえた。


「えろ様、湯殿の準備ができましたよお」


「おおっ。待ってました!」


やっと耳についたおっさんの唾液を洗い流せる!と、希美は勢い良く立ち上がる。


「直江さん、忙しい所を、色々教えてもらってありがとうな!助かったぞ」


「にゃんの。いつでもお聞きにゃされ」


希美は、そそくさと湯殿に向かった。






春日山城に拵えた湯殿は、皆がまとめて使えるように、三、四人は同時に入れる大きさに作ってある。


希美は脱衣場で衣服を脱ぐと、湯気の立ち込める室内に足を踏み入れた。




濡れた手拭いに液体石鹸をつけ、よく揉み込んでから体を擦っていく。




ガタリ……




背後で引き戸の開く音が聞こえ、背後に気配を感じた。




「えろ様。お背中、流しますねえ」


「ユカ?湯女しにきたのか?」




振り返ると、薄い麻の湯帷子が、しっとりと紫の体にまとわりついているのが目に入った。


なんとも艶かしい。……が、だからなんだ、である。


希美のボディーに付属してある勝家おじさんは、ぴくりとも動かない。


どうやら、しかばねのようだ。




「えろ様は、相変わらず私の体に興味は無さそうですわねえ」


手拭いで、希美の広い背中を擦る紫にそう言われ、希美も言い返す。


「紫こそ、男には目がないのに、私には無反応じゃないか」


「何故か、えろ様には、そそられないのですよねえ。不思議です」




希美の中身が同性である事を感じ取っているのだろうか。


あまり突っ込んだら、やぶ蛇になりそうだ。


希美はそう思って、体の泡をざばりと流した。




髪を洗ってから、少し椿油を馴染ませた後に手拭いを頭に巻いた希美は、湯に体を沈めた。


役割を終えて湯殿を出ようとする紫に、「ユカ、せっかくだから、いっしょに入っていきなよ」と誘う。


紫は、「あれ、いいんですか?」と言いながら、スパーンと湯帷子を脱いで、脱衣場に置き、戻ってきた。




「ユカ、堂々と正面からまたぐなよ……」


「私、えろ様なら、全てを見せられまする」


「女の全てなんて、えぐ過ぎて見たくないわ」




希美は嫌そうな顔をして、湯船の縁を跨ぐ紫の肢体から目を逸らす。




ザボン……。


希美の右肩に湯波が押し寄せた。紫のため息が室内に響く。


「はあああ。良いお湯で御座いますねえ。」




右隣の紫を、ちらと見る。


白くて丸いものが二つ、ぷかりと浮かんで揺蕩うている。


(大きいな……)


自分の胸を確かめる。


(私だって、大きいさ!)


だが、浮かないし揺蕩わない。


発達した大胸筋は、ガチガチに胸にへばりついて、浮く要素など微塵もない。


筋肉は、浮かないのだ。




希美は、ちょっと悲しくなった。




「なあ、ユカ」


「何ですか?」


「ユカも女だからさ、やっぱり子どもとか欲しいんじゃない?もし、誰か好きな人や子どもができたりしたら、言ってな。うち、産休と育休制度あるから。育休使えば、三年まで休めるからさ」




紫は、希美を見て微笑んだ。


「えろ様、実は私、子ができませんの」


「え!?ご、ごめん」


「いえ、言っておりませんでしたので」




「……」


「……」




希美は、そっと紫の横顔を見た。希美の大胸筋と同じだ。穏やかな表情がガチガチに顔にへばりついている。


そっと見守るべきか。


だが希美はおばちゃんなので、ずけずけと聞く事にした。




「なあユカ、さっき彦姫にした仮定の話、もしかして、ユカ自身の話か?」


紫はこちらを向かぬ。


希美は、さらにずけずけした。


「婚家とうまくいかなかったのか?」




紫は、ふっと笑って希美を見た。


「今日は、やけに踏み込んでこられるのですねえ」


「ここなら二人きりだし、お互い裸をさらけ出しているからなあ。言えぬ事も、さらけ出せるかな、と思って。まあ嫌なら言わなくていいんだけど。その時は、『聞かないで』と言ってくれ。もう聞かないから」


紫は、互いの腕がくっつくほどに近付くと、そっと希美の肩に頭を預け、ぽつりぽつりと話し始めた、




「初めて嫁いだのは、十四の頃で御座います。お相手は、美濃斎藤家に代々仕えるお家の方で、元々織田家に仕えていた父でしたから、斎藤家を裏切らぬという証に私を譜代のお家に嫁がせたのだと思います」




天井から水滴が落ち、湯の表面で小さな王冠を作る。


また水滴が落ちて、今度は希美の首筋にぶつかったが、希美はじっと紫を見つめ、その話に耳を傾けた。




「婚家は、新参の我が家を侮っておりました。私は、正室として迎えていただいたものの、正室としての役目のほとんどは、姑が行っておりましたの。夫は私の実家はともかく、私の体には夢中でしたわ。でも、私、遊女のお姉さま方から、あまりに交わい過ぎると、殿方が死ぬ事もあると聞いておりましたので、あまりせぬように、お諌めしておりました。でも、それが、あの人をさらに苛立たせてしまっていたのですけれど」




「その内、姑のご実家筋から、側室が参りましたの。夫は、あまりそちらへは参りませんでした。体は、私の方がよい、とおっしゃって。私が拒否したら、あちらに参っていたようですよ。ふふ」




「ふふ、じゃねえわ。既にいらつくわ、その男」


忍び笑いを漏らした紫に、希美は毒づいた。


紫は、歌うように、話を続ける。




「それなのに私は、なかなか子が出来ず、家の者達から『石女』と呼ばれておりました。出入りの商人から家臣の方から、私に言い寄る者が後を立ちませんでしたので『遊び女』とも。姑を筆頭に、奥の女達からは、悉く嫌われましたわねえ」


「もてすぎたんだねえ」




「しばらくして、側室の方が懐妊致しました。姑も夫も大喜びでしたわ。それからしばらくして、私の月のものも来なくなりました。不思議な感覚でしたわ。ふわふわとして、お腹が温かいのです。私はそれだけで、満たされておりました」


「……わかるよ。男にはわからない感覚だよね」


「えろ様、男ですよね?」


「……続けてくれ(泣)」




「ある日、姑から用を申し付けられて、蔵に参る途中、私は転びました。床に蝋が塗られていたのです」


「おい、まさか……」


「姑は否定しましたが、恐らくは」




紫は、少し俯いた。


「子は流れました。夫は『子殺し』と私を怒鳴りつけ、姑は笑っておりました。私のお腹は、空っぽになり、そして、満たされたいがために、夫を諌める事をやめて淫蕩に耽りました。夫は、連日連夜、夢中になり過ぎて、体力も思考力も尽き果てていたのでしょう。ある時、落馬して死にましたわ」


「私は、姑に責められ、そして実家に返されました。その後、側室が男を産んだと聞きました」




希美は鼻に皺を寄せて、吐き捨てた。


「滅びちまえ、そんな家!」


紫は、クスクスと笑って言った。


「今はもう、滅んでおりますよ。実は、後日談が御座いましてね、数年経って、城下町で姑と側室、その子どもを見かけたので御座います。あの方達、私を見るなり、嬉しそうに跡取り息子を自慢して見せたのです」




「ですが、あの子どもの顔、あの時私に言い寄った商人に、そっくりでしたの!」


「ええーーー!!?」




ホーホホホホとひとしきり爆笑した紫は、涙目で息を整え、慈しむようにお腹を撫でた。




「私は、ずうっと空っぽのまま。注いでも注いでも、満たされない……」


「ユカ……」




紫はこうして壊れたのか。


希美は紫を抱き寄せた。


希美の大胸筋に押しつけられた紫が、呟く。


「えろ様も私に注いで下さるの?」


「すまんな。それは無理」


「知ってます」




くすくすと、二人して笑う。


希美は紫の秘密の対価を、自身の秘密で払おうと思いついた。


秘密の共有は、信頼感を深める。




(ただ、何を話すか、だよなあ)


えろ界なんてないよ♪とか、御仏なんて会った事もないぜ♪とかは、えろ教徒の紫には、言ってはならないやつだ。


TS転生も、理解してもらえないだろう。


じゃあ、後は……。




「ユカ、お前の秘密を教えてもらったから、私の秘密も話すよ」


「えろ様の秘密?」


紫は、興味深そうに希美を見上げた。


希美は、カミングアウトした。




「実は私、男が好きなんだ……!」




「それ、みんな知ってますけど」








『柴田勝家はホモ』




周知の事実となっていた。







※後書き


紫の婚家は、河村久五郎が織田に寝返った時、意趣返しでついでに滅ぼしたという裏設定。


書ききれなかったので、ここに置いておきまーす。



◆伊達さんと芦名さんのご近所さんのおさらい


伊達晴宗さんとお父さんの稙宗さんが、ご近所さんを巻き込んで派手に親子げんか。


晴宗さん、お父さんの稙宗さんを追い出したので、伊達領が、晴宗陣地と稙宗陣地に分かれる。


ちなみに稙宗さんの正室で晴宗さんのお母さんは、芦名氏。


このけんかの時に、稙宗さんには相馬氏と田村氏、二階堂氏が味方をし、晴宗さんには(最終的に)芦名氏が味方をしたため、晴宗さんと相馬さん達は仲が悪い。


相馬氏は稙宗さんの娘と田村氏の娘を嫁にもらっている。


田村氏も、稙宗さんの娘と相馬さんの娘を嫁にもらっている。


晴宗さんは、二階堂氏と芦名氏に娘を嫁に出している。




他にも、陸奥の武将同士で嫁を出し合っているが、ややこしいので割愛。

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