第206話 れえす下着>芦名さん

次の日の午前中、まずは伊達家ご一行様が到着した。


一行を、春日山城内に新たに建てられた迎賓館に通し、希美と輝虎は挨拶に向かう。彦姫もいるので、女手もいるかと紫も伴い、部屋に入った。


そこには、むすっとした顔の伊達晴宗と悲嘆の表情を浮かべる彦姫、そして中年ながらに可憐な美しさを持つ女人が座っている。


希美は心の中でため息を吐きつつ、努めて笑顔で「遠い所をよく来られたな」と声をかけた。彦姫は希美の顔を見て、破顔し頭を下げた。




「ご無沙汰しております、権六様……いえ、義父上!」


「おお、久しいなあ、彦姫。少し大人びて美しくなられたなあ」


「まあ、お上手な……。義父上は、変わらず逞しゅうて素敵に御座います」


「いやいや、私などおば……おじさんだから。ところで、こちらのお方は彦姫の母御かな?」




女人が口元に笑みを浮かべて挨拶の口上を述べる。


「此度は、娘の縁談のためにお骨折りいただき、真に忝なきことに御座いまする。私は伊達左京大夫が室にて、笑窪御前などと呼ばれておりまする。お見知りおき下さいませ」


「いやいや、良き縁談に関わらせていただいた。伊達家とも良い付き合いが出来て、こちらも有難い事に御座る」




笑窪御前は、希美と同年代のアラフォーである。


しかし、十は若く見えるほどの可憐さと、年齢なりの色気を併せ持つ美魔女だ。


これは、晴宗さんも花嫁強奪したくなるはずだ。


希美は一人で納得しつつ、彼女を妻にしてめちゃめちゃ子作りし、六男五女も産ませた、うらやまけしからん夫の晴宗をじろりと睨んだ。




「伊達さん……。いつまで不貞腐れておるのだ」


「わしは、この婚姻は認めん。彦姫が柴田殿の養女となったから、柴田家との縁も出来ておるのじゃ。伊達家としては、もうあの芦名の変態爺と縁組する必要は無いからのう!」




つんと横を向いた晴宗の頬が、ぷくーっと膨れる。


ツンデレ女子がやるなら許せるが、四十を越えた武将のおっさんがやるべき仕草ではない。


(まあ、あざと可愛いおっさんは、私は嫌いじゃないがな!)


希美は武将社会で様々なおっさんに揉まれて、おっさん萌えが変態方向に進化中である。




「父上、私は……」


「ええい!許さんといったら、許さん!久保が『せめて柴田殿と話してから』と頼む故ここまで来たが、わしの気持ちは変わらんぞ!」




(面倒臭え……)


全員の目が『困ったちゃん』を見る目で晴宗を見つめている。


希美はとにかく事情を聞く事にした。




「おい、伊達さん。なんで芦名との婚姻が嫌になったんだ?」


「芦名が悪いんじゃ!芦名なぞとは口も聞きとうない!」


「男子小学生か!ちゃんと説明しろよ」




「柴田様、私からご説明申し上げまする」


使えぬ夫に、笑窪御前は、一瞬、レベルMAXの威圧を込めた眼光を放った。


そしてフリーズする晴宗をよそに、思わず庇護欲をそそるような困り顔で希美に説明を始めた。






「事の起こりは、芦名殿が二階堂氏を攻めた事に御座いまする」


「二階堂氏……。芦名と領地を接していた所か。そういえば、前に戦支度してるって言ってたの、あれ二階堂さん家を攻める用だったの!?」


「そうなんじゃ!あの野郎、わしの娘が二階堂に嫁いでおるのを知っておきながら!」


「え、そうなの!?それはいかんでしょ!まさか、娘さんごと滅ぼされちゃったの?」


「いえ、娘は無事です」


悲劇の予想を笑窪御前に否定され、希美はホッと息を吐いた。


「なんだ、よかったよ」


「よくはないのじゃ!娘は、離縁されて戻されたのじゃからな!」


「?どういう事なんだってばよ?」


「それが……」






笑窪御前の説明を始めた。


「初めは二階堂氏の領民と芦名氏の領民との小競り合いだったと聞き及びます。


それにつけ込んだ芦名氏は二階堂氏の領である岩瀬郡に侵攻しました。しかし今回の婚姻で、伊達家と芦名家は同盟を結んでおりまする。婿である二階堂氏を助けるために兵を出せぬ。恐らく、芦名殿はそれを見越して、二階堂氏を攻めたのではないかと思いまする」


「うーん。それは賢いけど、伊達家との関係が悪くなるよね?」


「あれはそういう男なのじゃ!狡猾で、戦好きで、身内も平気で裏切る男よ!」


「まあ、戦国武将ってそういう所あるからなあ」




伊達さん家も、二代続けてお父さんと争った挙げ句に追い出してますよね。




「それで、結局どうなったの?」


希美の問いに、晴宗が答えた。


「相馬氏と田村氏が援軍を出し、芦名軍を退けた。そして、わしの娘は離縁された」


「どうして、そこで離縁されるんだよ」


「柴田様、伊達と芦名の同盟で、二階堂氏は疑心を持ったので御座いましょう。我等が組んで、岩瀬郡を切り取るのではないか、と。実際、芦名が二階堂氏を攻めても、援軍を出せませなんだ。だから二階堂氏は、伊達家と敵対する相馬氏、田村氏に与する事に決めたのでしょう。それが、伊達家との決別として、娘の阿南おなみを離縁した理由です」


「そもそも相馬と田村は、うちと芦名の婚姻を知ってから、近隣の木っ端大名等を集め、反伊達・芦名を掲げて盟約を結んだらしい。二階堂氏にも声をかけていたようじゃ。当初は、わしと姻戚にあるため、疑心を抱きながらも断っていたらしいがな。しかし、芦名が二階堂氏を攻めたために、完全に相馬に取り込まれたわ!」




晴宗が怒り任せに、拳を畳に叩きつけた。


希美は、ううむ、と唸る。




確かに晴宗の怒りは理解できる。芦名が利己的だったために、味方が離反したのだ。笑窪御前も穏やかそうにしているが、娘が離縁されたのは悔しいに違いない。


だが、ここで彦姫と盛興の結婚を取り止めていいのだろうか。


そもそも、彦姫はどう思っているんだろう。


希美は、そんな事を考えながら、彦姫を見た。


彦姫は俯いている。父親の晴宗の怒気に何も言えずにいるようだ。






「なあ、ユカ。私が彦姫の婚礼のために用意したアレを、持ってきてもらえるか?」




急に話を振られ、紫は少し驚いたが、希美の表情から何らかの意図を感じ取ったのだろう、「はいな」と頷くと部屋を出た。


しばらくして戻ってきた紫の手には、希美発案のアレがあった。




希美は紫からソレを受け取ると、広げて見せた。




「「「なんと、美しい……!」」」




伊達親子の声が揃う。


それは初夜用に用意した単ひとえであった。


ただの単ではない。総レースの真っ白な単だ。


これを纏えば、透けた肌に美しい花柄が浮かぶ。見えそうで見えちゃうスケスケランジェリーに夫も大興奮!の逸品なのである。




「これ、彦姫の初夜用に作らせたんだ。結婚をどうするかは置いておいて、せっかくだから、御披露目をね。彦姫、どう?」


「美しいです……。こんな美しいものを、私のために……」


彦姫は嬉しそうにレースを撫でて、その瞳に哀しみを後から滲ませた。


着られないかもしれないと考えたのだろう。


「気に入ってもらえたみたいだな。よかったよ」


希美は彦姫の頭を撫でて、晴宗に目を向けた。




その晴宗は、手で口元を覆い、その目は完全に乙女のものと化している。


(お前が花嫁かよ!)


というツッコミを呑み込んだ希美は、晴宗に言った。


「他にも、レース湯巻きを何着か用意したんだ。ああ、伊達さん、向こうの部屋に婚礼の品といっしょに置いてあるから、このレース単も含めて、よく確認してもらえないか?じーっくり手にとって、不備がないか調べて欲しいんだ」




晴宗は、最高の笑顔で返事を返した。


「承知したっ!!向こうの部屋じゃな!」


素早くレース単を抱えた晴宗は、既に立ち上がって、出入口に駆け出している。


「伊達さん、速いわ!向こうの部屋がどこかわかんないだろっ」


「わかるぞ!れえすの匂いがするのじゃ。わしを誘っておる!」


「何の能力隠し持ってんだ、あんた……。ケンさん、案内してやってよ」


「わかった。伊達殿、こちらだ」


「うむっ♪」




うむっ♪じゃねえよ、と希美は独りごちて、彦姫に話しかけた。




「さて、父親は追い出したぞ。お前の正直な気持ちを聞かせてくれ。盛興に嫁ぎたいのか、婚姻を止めたいのか。どちらだ?」




彦姫は、母親の笑窪御前をちらと見て、俯いた。


「阿南姉様が……泣いているのです。二階堂に置いてきた子に会いたい、と」


「それで?」


「私が芦名に嫁げば、阿南姉様が苦しまれます……」


彦姫の声が消え入りそうだ。


希美は口を開こうとしたが、笑窪御前の方が早かった。




「阿南の事は良いのです。彦、あなたは嫁ぎたくないの?」


そう問いかけた母に、彦姫は苦し気に言葉を返す。


「ですが、母上とて、姉様がこんな事になる元凶の家に私が嫁いで欲しくはないのでは!?」


「彦姫」


希美は名を呼んだ。


「私達は、彦姫がどうしたいのかが知りたいんだ。誰かのためじゃない。彦姫が嫁ぎたいのかどうか、それを彦姫の口から聞きたいんだ」




彦姫は躊躇した。


状況的に、破談の未来しかない。父が許さないなら、嫁げない。




そこへ、これまで黙っていた紫が口を開いた。




「嫁がない方がよろしいですわ」






皆が、紫を見た。紫はふんどし頭巾の隙間から覗く目を細めて笑んだ。




「家同士で禍根が残るような状況で嫁いでも、幸せにはなれませぬよ。きっと婚家の者達は、あなた様を通して伊達家を見、疎みましょう。正室として入っても、奥の実権は姑が握り、夫の側室に姑の縁戚の娘をつけられ、その娘に子ができようものなら、石女(うまずめ)と罵られ……。もし子を孕んでも、下手をすれば姑に子を殺されるかもしれませぬ。夫からは役に立たぬと責められ、夫が死ねば、もう用はないと家に戻される。つまらぬ事になりまする。お止めになった方がよろしいですわ」




それを聞いて、彦姫は憤慨して声を荒げた。


「無礼な!芦名のお義母上はそんなお方ではありませぬ!私にいただいた書状では、随分気にかけていただきました。夫とて、そのような心ないお方ではありませぬ!今も私を好いて、大事に思うてくれています。私の婚家の方達を馬鹿にしないで下さいまし!」




「それは、大変ご無礼致しました。申し訳御座いませぬ」




紫が平身低頭して謝罪する。


そして、ふふ、と笑った。


「『私の婚家』ですか。もう、お心は既に嫁入りしておりますのねえ」




彦姫の顔に朱が差した。


笑窪御前も笑みを浮かべた。


「あの美しい単、着たいのでしょう?」


益々赤くなる彦姫に慈愛の眼差しを向けた後、、笑窪御前はため息を吐いた。




「あのような美しい布、初めて見ましたわ。私も若ければ着てみたいですわねえ」


「え?笑窪御前は、まだ見た事はないの?伊達さんなんか、何度もレース湯巻きを注文して……」




「あの人が、れえす湯巻きを注文?……へえ、誰の?」




笑窪御前が【威圧】を解放した。


希美は、思わず両手で口を押さえたが、時既にお寿司だ。




そこへ、残念顔の晴宗と疲れた顔の輝虎が戻ってきた。


このタイミングで帰ってくるとは。




「いやー、れえす湯巻きも良かったのう。それにしても、調べるなら身につけて確かめたかったがのう」


「それを見せられるのは、ごかんべんを……!」




そんな会話をする晴宗に、笑窪御前が静かな声で聞いた。




「殿様?れえす湯巻きを注文された、とは?私、見た事が御座いませんの。誰にお着せになられたの……?」




晴宗の顔が、真っ青になった。


そのまま、希美の隣へにじり寄り、小声で尋ねた。




「どどどどういう事じゃ?!何故、室が知っておるのじゃ!?」


希美もこそこそと小声で答えた。


「ごめん、私がポロリした!」


「馬鹿ああああ!!!」


「でも、伊達さん、あれ奥さん用って事で注文してたから、私、悪くないよな。うん。伊達さんはいい機会だから、奥さんに真実を言いなよ。女モノ下着は自分の趣味だって」


「そ、そそそそんな趣味、あああるわけない!な、何を言っておるのじゃ??」


「まだ言うか!誤魔化しが下手すぎんだよっっ!!」




「何を二人でこそこそと……?説明してくださる?」


「「は、はいっ!!!」」




希美と晴宗は、すくみ上がった。




晴宗は、笑窪御前と希美を交互に見た後、決心したかのように口を開いた。






「実は、あのれえす湯巻きは、……いつか柴田殿に着てもらいたくて注文をしておったのじゃ!!」




「はあああ!!?何言って!」


叫ぶ希美の口を、晴宗が慌てて塞ぐ。そして、耳元で囁いた。


「すまん、死なばもろともじゃ!」


「もがっもがもがっ」


希美は抗議した。




晴宗は、笑窪御前に頭を下げた。


「お前を愛しておる。だが、同時にわしは男として柴田殿に惚れた!柴田殿はわしに振り向いては下さらぬだろうから、せめて柴田殿に着せたいれえす湯巻きを買っておった……。すまぬが、これからも柴田殿に似合いそうなれえす湯巻きを買い続けたい。愛の証として!!」


(嘘つけ!!さくっと、『これからもレース下着を買います』宣言してんじゃねえ!!!)




はたして、笑窪御前は、晴宗の元へふらふらと歩いてくると、希美の口をふさいでいないその手を強く握った。




「……いくらでも!!!」




目を見開く希美に、笑窪御前は懇願した。


「ああっ、柴田様。どうか、夫にお情けをいただけませぬか?柴田様がれえす湯巻きを纏ったお姿、きっとお似合いだと思うのです」


「もがもががっ!!?もががががもがーがもがががっ(何言ってんだ!!?着てるのは、お前の夫だぞ!)」


「そして、是非、『伊達柴物語』を!!夫を、あなた様の物語にお加え下さい!」


「もがーー!!?(何ーー!!?)」


「すまぬ、柴田殿。久保は『朝柴物語』が好きでなあ。こう言っておけば、れえす湯巻きを堂々と買えるのじゃ。口裏を合わせてくれ!(小声)」


「もがが!(阿呆ー!!)」


「殿様!もっとくっつきなされ!手は胸元を、まさぐるように!耳は軽くはんで!」


「え、こ、こうか?」


「ふおおおお!!最高に御座いまする!これで、れえす湯巻き姿ならば、至高ですのに!ああ、絵師、絵師を呼んでーー!!!」




笑窪御前は、ごりっごりの貴腐人だった。






現在進行形で、耳をおっさんにはまれている希美は、誓う。


『伊達柴物語』の刊行は、世に出ないよう絶対に阻止せねばならぬ、と。


このままでは、伊達晴宗の代わりに、柴田勝家が『女もの下着を着用する変態』という事になってしまいかねない。








しかし、現実はうまくいかなかったようだ。


現代において、伊達家の蔵から、失われたと思われていた『伊達柴物語絵巻』がみつかった。


その保存状態は良く、特に伊達晴宗に羽交い締めにされて耳をはまれている、レース湯巻き姿の柴田勝家は、『伊達柴物語』を象徴する絵として、広く世間に公開される事となった。


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