第190話 やんごとなき頼み事
近衛前久の話はこれで終わったかに見えた。
だが、違ったようだ。前久は「実はの……」と話を続けた。
「柴田殿に、頼みが二つあるのでおじゃる」
「某に、で御座るか?」
『えろ大明神』たる希美に頼み事など、確実にろくな事ではない。
「お断りしま」
スパーン!!
「せめて話を聞かぬか、この大うつけ!」
信長に頭を叩かれて、希美は首をすくめた。
信長が頭を下げる。
「家臣が無礼を……。申し訳御座らぬ」
前久は鷹揚に頷いた。
「うむ。よい。ただ、この話は公にはできぬのでな、他言、詮索は無用にしてもらいたいのでおじゃる」
「公にはできない?」
「うむ。近う」と前久は扇子で希美達を招いた。
「さる『やんごとなきお方』が、『馬耳』をご所望なのでおじゃる。『馬耳』と『馬尻尾』を一揃え、用立てて納めてほしい」
「「「……」」」
近衛前久=従一位。彼よりやんごとなき人。
トップオブジャパン。
希美は、口を開いた。
「ねえ、それって主」
ドカッ、バキッ、スパーンッ
信長と秀貞、輝虎がすかさず希美をしばく。
「詮索は無用じゃと言われたであろうが!」
信長に怒られて、希美は「はい、そうでした」と引き下がった。
と見せかけて、再トライした。
「じゃあこれだけ聞かせて下さい。『馬耳』をつけるのはご本人なの?それとも誰かにつけ……」
ドカッ、バキッ、スパーンッ
希美は、黙って『馬コスセット』を手配して納品する事になった。
『乗る方なのか、乗られる方なのか』の詮索は無しである。
「それで、もう一つの頼みなのでおじゃるが、これもさる『やんごとなきお方』の筋の頼みでおじゃる」
「また……」
やんごとなきお方エ……。
前久は、希美達に尋ねた。
「今、都の女達が『朝柴物語』に熱を上げておるのは知っておるかの?」
希美は、流れるように突っ伏した。
「『朝柴物語』?」
「寡聞にして存じ上げませぬな」
秀貞と輝虎が顔を見合わせる。彼らは知らぬようだ。
意外にも信長は知っているようで、秀貞等に説明を始めた。
「『朝柴物語』なら、室達に散々聞かされた故、知っておるぞ。権六と朝倉九郎左衛門尉景紀との恋物語であろう」
「何?!ゴンさん、あの男とそういう……!」
ギョッとする輝虎に、希美は突っ伏したままゴリゴリと首を横に振った。
「違うわっ。朝倉館の女中達が勝手に物語を……!BL生モノジャンルは、御本人様の目の届かない所で留めて欲しいっ!世に出過ぎちゃまずいでしょおっっ」
それを聞いた前久は、神妙な顔付きで現状を語り始めた。
「事の真偽はともかく、今の都の女達にとって『朝柴物語』は、『后の位も何にかはせむ』と言われておるくらい、その人気は著しいのでおじゃる。女達のあまりの熱狂ぶりに、麻呂達は『朝柴の病』と呼んでおじゃる」
「菅原孝標女すがわらたかすえのむすめ級のオタク腐女子が増殖……!」
希美は益々顔を上げたくなくなった。
前久は更に希美を追い詰める。
「宮中の女官達も当然その『朝柴の病』にかかっておじゃる。もっと高位の『やんごとなき女人』も……」
「「「『やんごとなき女人』……」」」
信長達の声がかすれている。
(こ、高位の貴族のお姫様って事よね?『やんごとなき女人』って、そういう事よねえっ!?)
クイーンオブジャパンの事では無い。決して無いはず。(希望)
希美は自分に言い聞かせた。
前久はそのあたりを濁しつつ、核心に進む。
「さて、そんな女人達が、『朝柴物語』の柴田権六が都にいると聞けば……」
「当然、会いたいという事になりましょうな」
信長が希美の代わりに返答する。
「朝倉殿も、ちょうど来ておるしのう」
輝虎も追撃した。
前久は、頷いた。
「麻呂は、さる『やんごとなき女人』に内々に頼まれたのでおじゃる。『えろ大明神である柴田殿から、女官達と『有り難いえろの説法』を聞きたいので、機会を設けよ』と」
「え、『えろの説法』!?」
希美は思わず顔を上げた。
(『えろの説法』って何言えばいいの!?猥談?猥談を『やんごとなき女人』様に?!)
それは絶対にやったらいかんやつである。
前久は、慌てる希美に向かい「いやいや」と扇子ごと手を振った。
「『説法』とは建前でおじゃるよ。新大す……『あのお方』や女官達が求めているのは、柴田殿や朝倉殿の姿絵でおじゃる。柴田殿と朝倉殿の睦まじい姿を絵師に描かせたいのだとか。そして、堺での祭を目の前で見たいと。後は柴田殿の良いように、との仰せじゃ」
「『後は良いように』って……。いや、それはともかく、祭の再現で御座るか!?あれは、全裸に鎖の姿に御座るぞ!」
前久は渋面を作った。
「堺の祭での姿を見たいのだそうな」
「え?でも」
「『堺の祭での姿』がえろ大明神の正装であると、誰かからお聞きになられたようでな。女官達も含め、『正装』を強く所望しておられる」
(……わかっていて、所望してやがるな!!)
男ばかりが異性の裸で喜ぶと思ったら大間違いだ。
いける口の女だって案外いる。特に女ばかりの閉鎖的な空間で公達との恋愛駆け引きを楽しむ肉食系女官集団なら、南蛮人火消しのムキムキボディカレンダーをみつけたら、主体的にパラパラめくってしまうだろう。
だが、そんな破廉恥を女達の主である『トップオブジャパン』が許すだろうか。
「あの……、名前を言ってはいけないあの『やんごとなきお方(男)』は、なんと仰せなのですか?」
恐る恐る希美が尋ねると、前久はため息を吐いて答えた。
「条件をお出しになられた。一つ目は、女達は簾の中から出てはならぬ事。二つ目は、男は庭で説法を行い、女が坊内にいる内は庭より出てはならぬ事。三つ目は、女より男を好む『柴田権六』と『柴田権六』の室や愛人ならば、女官達に情欲を覚えぬだろうから、特別に『鎖』を『正装』と認める。要は、女官に欲を向けぬ者ならば、裸同然でも『鎖』を衣と見なして目を瞑る、という事でおじゃる。よほど、新お……『かのお方』に頼み込まれたようでおじゃる」
「なるほど、つまり、ゴンさんと朝倉殿なら女官の前で全裸鎖でいけるわけか」
「よ、よかったのう、権六。全裸鎖にお墨付きが出たぞ」
輝虎が納得したように呟き、信長がなんとも言えぬ表情を浮かべて希美に声をかける。
希美は虚ろな目で頭を抱えた。
脳内で、後世の柴田勝家年表が改変されていく。
「1563年、柴田勝家が男色家として公認される……。柴田勝家の公認配偶者は朝倉景紀……。全裸鎖が柴田勝家の正装として公認される……。なんだ、これ……、なんだ、これ……!!」
大変だ。柴田勝家が公式に露出癖の変態男色家として、国の認定を受けてしまった。
柴田勝家の人生が迷走を極めてしまっている。
落ち込む希美に、秀貞は眉間の皺を深くし、輝虎と信長は同情の目を向けた。
よく考えれば、希美が一方的にペロペロされるだけで、朝倉景紀との間にそういう雰囲気は無かった事に輝虎達は気付いたのだ。
だが、女共に勝手に恋人同士にされ、晒し者になろうとしている。
可哀想でもあるが、自分でなくてよかったとホッとしていた。
そんな輝虎と信長に、前久が無情に告げた。
「というわけで、『かのお方』や女官達の希望により、柴田殿と朝倉殿、それから上杉殿と織田殿にも協力いただくでおじゃる」
「は?何故?!」
「我々は、関係無いはずでは!?」
驚愕する輝虎と信長に、前久は目を細い目を見開いて言った。
「知らぬのか?『朝柴物語』は、様々な巻が出ているのでおじゃるぞ。『朝柴物語』で柴田殿の昔の男として登場した、織田殿と柴田殿との過去の悲恋を描いた『織田柴物語』や、『朝柴物語』の続巻として、柴田殿のもう一人の室である上杉殿と二人で柴田家を盛り立てていく『朝柴物語二の巻』、柴田殿と上杉殿との馴れ初めを描いた『上柴物語』、他にも様々な巻が……」
「「なんじゃとお!!?」」
まさかの続編やスピンオフが刊行されていた。
げに恐ろしきは、腐女子、貴腐人達の妄想力である。
彼女達に備わる邪眼は、脳内において、男達のあらゆる関係を腐らせる能力を持つ。
その邪眼の前には、さしもの有名武将もただの恋愛脳(男色)でしかない。
とにもかくにも、公家女(くげじょ)限定ライブは決定した。
落ち込んでいる暇はない。
希美は前久と相談しながら、精力的に女子向けのライヴ計画を立てた。
そして、当日。
希美は、本能寺の庭で、男の腕の中、顎(あご)クイされていたのである。
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