第189話 公家からの内示
現代において、多くの歴史家達は、今日こんにちの独特の京文化を形成した歴史の分岐点が、『織田軍による獣コスパレードである』と考えている。
そう。希美が猫耳将軍の救済のために行った策は、京の都に変化をもたらした。
その一つが、都人(みやこびと)の獣人化だ。
京の通りを歩けば、『獣耳』『獣尻尾』の獣人に当たる。
最早、和風ファンタジーの世界がそこに出現したと言っても過言ではない。
希美はその光景を目の当たりにして、今更ながら歴史改変の罪深さに戦慄し、さっさと京の都から逃げ去りたい気持ちでいっぱいだったが、そうは問屋が卸さなかった。
本能寺に、朝廷からの使者がやってきたからである。
「ほほほっ、久しいの。上杉殿」
「はっ、関白左大臣の近衛様におかれましては、ご健勝の程、何よりで御座る」
百人一首によくいるタイプのポッチャリ系公家男子。従一位関白左大臣近衛前久このえさきひさ君である。
年の頃は二十代後半、信長と同じくらいか。
そんな若さで、関白左大臣。
(関白とか左大臣とか、普通、爺の名誉職的なやつじゃないの?雛人形の左大臣も、THE 翁!だったよね?!)
などと内心混乱する希美をよそに、前久と輝虎の話が弾んでいる。
どうも、二人はプリキュ……じゃない、親友同士だったようだ。
『あの時は戦中に公家のコノが来るからビックリしちゃったー』
『頑張ってるウエスギ、応援しようと思ってー。でも、急に帰っちゃってメンゴ、メンゴ☆』
などという昔話(超意訳)に花が咲いている。
以下は原文ママである。
「麻呂も、まさかに上杉殿が柴田殿の家臣となるとは、思いもよらぬ事でおじゃった。いや、先はわからぬものでおじゃる……」
(で、出たあーーー!!『麻呂』と『おじゃる』のニコイチ感がぱねえーー!!!)
公家率120%。ここまで全力で公家テンプレを体現されて、笑わない現代人がいるだろうか。(いや、いない(適当))
希美は鼻と口を押さえながら下を向き、自分自身とギリギリの攻防を繰り広げていた。
「柴田殿は、どうしたでおじゃる?」
(お、おじゃるうーーー!!!)
もう腹筋が限界だ。だが、相手はリアル公家。しかも、めちゃめちゃ偉い。
希美は、頑張って手の隙間から言葉を絞り出した。
「き、きん、ちょ、う……しており……ま……」
「ほほほ、可愛かわゆい事を」
前久は希美の言葉を素直に受け取ってくれたが、(絶対嘘だろ)という視線を、この場にいる輝虎と信長、秀貞からビンビンに感じる。
希美は織田家の面々の確信に対して取り繕う余裕もなく、ひたすら俯いていた。
『おじゃるを視界に入れぬ』作戦である。
しかし、前久は希美に試練を課した。
「実は麻呂は柴田殿に会いとうてな、此方に来たのじゃ。今宮中でも流行っているこれ、麻呂もつけておるのでおじゃる」
「これ?」
希美は思わず顔を上げて前久を見た。
烏帽子を取る前久。
『猫耳』だ。
烏帽子に隠されてわからなかったが、その頭には『猫耳』が鎮座ましましていた。
「今公達(きんだち)や女官に流行っておるのは、『隠し獣耳』といっての、烏帽子や冠の下に『獣耳』をつけておる公達に、女官が何の獣か、その獣を詠んだ歌で当てるのでおじゃる。当たれば返歌をして、夜這いを……」
ダムッ!!
希美は前久の話もそこそこに、息を止めたまま、跳ね上がるように部屋を飛び出した。
廊下を駆け抜け、向こうからやってくる滝川一益を認めると突進していき、「お、おいっ、何だ!?」と驚愕する一益の胸ぐらを掴む。
そして、
「ブウッフオハアアアアア!!!」
と、心の底から吹き出した。
一益は希美の唾を真正面から浴び、「何するんだ!!」と希美に頭突きしたが、希美はノーダメージで一益に迫った。
「彦右衛門、聞いて欲しいんだ。私の気持ちを……」
一益は、ギクリとした。
「おい、まさか、お前……。俺の事を……?」
「頼む。限界なんだ。もう、お前が『穴』にしか見えない。溜まったものをお前に全て吐き出してしまいたい……!」
「俺の『穴』に!?」
一益は尻を押さえて後退りした。だが、後ろは壁だ。
追い詰められた。
横をすり抜けて逃げようとした一益を、希美は両腕壁ドンで逃げ道を塞ぐ。
「ご、権六……?落ち着け?話し合おう。もしどうしても避けられぬなら、せめて俺が入れる側になりたい」
「うるせえ!すぐ済むから、黙って受け入れてくれ!私達、親友だろ?」
「親友を何だと思ってんだ!!?」
「ああっ!もう限界!いくぞ、いくぞ、彦右衛門!!」
「え、え!?ちょ、権六!?ああ、もうっ、や、優しくしてえっ!!」
希美は血走った目で一益を見ると、―――息を限界まで吸った。
「公家の耳は、猫の耳ーーーっっ!!!!」
ねこのみみーーー
ねこのみみーー
……このみみー
…………みみー
寺内に希美の声がこだまする。
一益は壁に寄りかかっまま、ずるずるとへたりこんだ。
「サンキュー、彦右衛門。おかげでスッキリしたわ!」
希美は、男として大事な何かを汚されてしまった風な一益を残し、満足して戻っていった。
「申し訳ありませぬ。どうしても限界で、急いで用を足して参り申した」
部屋に入りしれっと述べた希美に、信長が薄く笑みを浮かべた。
「いや、今しがた外から妙な声が聞こえた瞬間、わしも急に催したわ。近衛様、少し席を外しまする」
「あ、ああ……」
「殿もで御座るか?行ってらっしゃ……」
「お・ま・え・も・い・く・の・じゃ」
「え?連れション?殿?ちょ、なんで?え?」
希美は信長に引きずられていき、全裸鎖に『猫耳』の変態猫スタイルで戻ってきた。
「何故隣の部屋に河村久五郎が待機してんの……。何故いつも裸にされんの……」
などとぶつぶつ呟きながら。
前久がギョッとして希美と信長を見る。
「な、何があってそうなったのじゃ??」
信長は、希美の頭を押さえつけて強制土下座させて言った。
「織田家家中の者が大変ご無礼を致し申した。こやつ、仏の加護故に体を痛めつけようにも叶いませぬ故、恥辱を与えておりまする。お見苦しいとは存じまするが、これにてお心をお慰め下され」
「麻呂、男の裸で心を慰める趣味は持ち合わせておらぬが、織田殿の心遣いには感謝するでおじゃる。まあ、特に気にしてもおらぬしの」
「有り難き事で御座る」
信長も頭を下げた。
前久は切り出した。
「さて、本題に入ろう。恐れ多くも主上におかれましては、此度の羅城門建築費用の献納の事、大変お喜びで、『織田上総介に官位を』と仰せなのじゃ」
「勿体なき事に御座る」
信長が益々深く平伏した。前久は言った。
「主上は昨今、足利よりも織田に期待しておるようでな。織田領が広がる度に感心の声を漏らされての。足利との仲も悪うは無さそうでおじゃるし、畿内の安寧をもたらしてもらえるものと願うて、『副将軍』はどうか、という話が出ておる」
信長の肩がぴくりと震えた。輝虎と秀貞も目を見開く。
希美が呟いた。
「え?水戸黄門って、昔は織田信長だったっけ??」
そんなわけあるか。水戸黄門は徳川である。そもそも、水戸黄門は本当は副将軍になった事などない。
信長は上体を起こすや、希美の頭をスパンッと叩はたいた後、前久に返答を返した。
「真に有り難きお話なれど、未だ畿内をまとめきれておらず、また朝廷は大坂本願寺からの献金もありましょう。織田と本願寺は敵対しておりますれば、某を『副将軍』と為さば本願寺が朝廷に対してどのような動きに出るか。面と向かって喧嘩を売るような真似は致さぬでしょうが、門徒等がどう反応するかわかりませぬ。よって、『副将軍』は御辞退申し上げたほうが宜しいかと」
前久は唸った。
「なるほどのう。比叡山の悪僧ではないが、御所巻きなどされては叶わぬからの。……ならば、別のものが良いの。何が良いか……」
静寂が訪れる。いわゆる、シンキングタイムだ。
相応な官位でないと、各所からやっかまれたりして色々面倒なんだろう。
柴田勝家の記憶が、ふと甦る。
(そういえば、昔、殿(信長)がイキって、親王しかなれない『上総守』を名乗って、「無知乙(笑)」とか馬鹿にされてたな……。そんで、以降はずっと『上総介』で来たわけだけど)
信長を見ると、険しい顔でプルプル首を横に振っている。
(お?殿もあの黒歴史を思い出しちゃった?)
希美が片手で口元を隠しながらプスプス笑っていると、信長が何か感じたのだろう。こちらを見てきた。
希美は、咄嗟に笑いを引っ込めて信長を見返す。
五秒ほど見つめあった後、そのまま「ぶっふぉ!」と吹き出した希美は、無事に更なるお仕置きプレイ『四つん這い』を命じられた。
(織田信長といえば、どんな官位が有名だったっけ?)
お仕置き中の希美は、知識を思い返していた。
(『第六天魔王』はあだ名、いやペンネームかな?あれ、確かお手紙で自称したんだよね。ププ、廚二乙(笑))
ビシビシビシイッ!!
急に尻にバラ鞭を受け、希美は信長に抗議した。
「何故!?」
「その方がろくな事を考えていないような気がした」
「エスパー織田!」
ビシビシビシイッ!ビシビシビシイッ!
懲りない希美である。
しかし、その刺激で希美は思い出したようだ。
「そうだ、弾正忠だ!」
「弾正忠……」
希美の言葉を、信長は復唱した。
弾正忠は、織田家先祖代々の官職だ。別に今さら朝廷から家の箔付けなど要らないが、あればあったで損はない。それに、職権はほとんど無い毒にも薬にもならぬ官職である。父が後に賜った備後守よりも、使い勝手が良い。
「権六のくせに、やるではないか」
そう希美にニヤリと笑んだ信長は、前久に言上した。
「いただけるなら、『弾正忠』でお願い致しまする」
「『弾正忠』……。良いでおじゃる。主上にそう奉上致そう」
希美といえば、そんな二人を、ワクワクしながら眺めていた。
(おおー!織田信長『弾正忠』ゲットの瞬間!今回は史実通りだし、問題ない!しかもなんか、歴史好きからしたら、めちゃ貴重な場面なんじゃない?!)
歴史好きからしたら、近衛前久、上杉謙信、林秀貞というそうそうたる面子が見守る中、『全裸鎖に猫耳スタイルで、織田信長にバラ鞭でしばかれる四つん這いの柴田勝家』という場面の方が、よほど衝撃的で貴重な場面だろう。
何にせよ、織田上総介信長(自称)は今年度中にも、織田弾正忠信長(正規採用)となる事が決定した。
それは史実の1568年よりも五年早い、1563年の事であった。
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